静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

神の国アメリカ(6)

2009-09-23 19:00:11 | 日記
 6 自由という偉大な贈り物

 「地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語られるようにしよう」(就任演説)。
 『始めに』で紹介したワシントン・ポスト紙のマイケル・ガーソン氏の発言のような思想はアメリカ史を通じて見られる。トクヴィルはすでに「アメリカでは宗教こそ開明への導き手であり、神の法の遵守が人を自由の下に赴かせる」と語っていた(トクヴィル前掲書第1巻上)。
 「二十世紀哲学界の最高峰」と評されることもあるヤスパースはこう言っている。「信仰は何処からくるのでしょうか・・・人間の自由から出てくるのであります。自己の自由を本当に悟る人間が、同時に神を確認するのです。自由と神は不可分のものであります」(ヤスパース『哲学入門』草薙正夫訳、新潮文庫)。
 欧米では、ヤスパースのこのような思想が普遍化しているらしい。この場合信仰とはもちろんキリスト教の信仰である。つまり、キリスト教の信仰のないところ、その国には自由が生まれない、あるいは存在しないということなのだろうか。 さらにまた、キリスト教徒は選ばれた民であるという思想も存在するらしい。『神の歴史』の著者カレン・アームストロングはいう、「西欧のキリスト教徒たちは特に、自らを神に選ばれた者たちだという彼らを喜ばせる信念を持ちやすかった。十二、十三世紀の十字軍は、自らをユダヤ教徒が見失ってしまった使命を担う『新しい選民』であると称し、ユダヤ教徒やムスリームにたいする『聖戦』を正当化しようとした。カルヴァン主義的『選びの神学』は、アメリカ人たちに自国が神の国であると信じるように仕向けるのに大いに役立った」(カレン・アームストロング『神の歴史』高尾利数訳、柏書房)。おなじくアームストロングによると、アメリカ合衆国においては、全人口の99%が神を信じると主張しているそうである。
 また、フランスの思想家レジス・ドゥブレは次のように述べている。
 「デモクラシー<ここでいうデモクラシーとは、アメリカの新自由主義のようなものを指す>は、『われわれは神を信じる』がこころの底から湧き上がるスローガンなので(実際、ドル紙幣の一枚一枚にこの言葉が印刷されている)、個別主義の増殖を放置し、各コミュニケーションのエゴイズムの爆発的な増長を促してしまう。神のもとにあるひとつのネーションは、神がよきまとめ役を引き受けているので、ばらばらになってしまう心配はない。デモクラシーは心ゆくまで物質主義的で、徹底的に個人主義的になってもだいじょうぶだ。なぜなら、コミュニティ間のコンセンサスは、宗教がどれほど多様なものであっても、最終的にはアブラハム<ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの聖典の民の始祖のこと>のメッセージ(アメリカのホテルのどの部屋のナイト・テーブルにもこれが置かれている)によってしっかりと保障されているからである」(レジス・ドゥブレ他『思想としての共和国』みすず書房)。
 オバマ氏は「私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教徒からなる国家だ」といったが、ドゥブレによれば、神がまとめてくれるので「だいじょうぶ」なのである。神を政治の主題から外すことはできないのである。