静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

神の国アメリカ(3)

2009-09-20 18:37:58 | 日記
(本日のメモ;書評から。エマニュエル・トッド『デモクラシー以後』(石崎晴己訳、藤原書店)。母国フランスでの民主制の危機を警告。推測の前提1、教育の問題、2、家族の問題。ほとばしるのは「サルコジのごとき男が大統領になりえたのは何故か」という怒りにも似た感情。(毎日『今週の本棚』、松原隆一郎評)。

 3 「神から与えられた約束」

 それは、すべての人は平等かつ自由で幸福を追求する機会に値するという、神から与えられた約束だ」とオバマ氏は言う(就任演説)。これが「アメリカ独立宣言」の一節からとられたことは明白である。そこにはすでに「造物主によって・・・天賦の権利が賦与され」とあった。フランスの「人および市民の権利宣言」には造物主とか神という文字はない。「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」とだけである。だがオバマ氏は、アメリカの偉大さは所与のものではない、米国の旅を担ってきたのはリスクを恐れぬ者、実行する者、生産者たちだという。「私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えてきた」。 
 オバマ氏が言う「新しい生活を求めて海を越えてきた」というのはメイフラワー号でニューイングランドの海岸に到着した清教徒のピルグリム・ファーザーズのことだろう。今はプリマスと呼ばれるその地は合衆国の聖地となり、ニューイングランドはアメリカ建国の地とされている。 
 ピルグリム・ファーザーズたちは船上で誓約を交わしていた。「神とお互い同士がいる前で、厳粛に約束を取り交わし,われら自身を互いに結び合わせて政治体となし・・・それによって、植民地の一般的善にもっともふさわしく有益であると思われるような正義にかないかつ平等な法、布告、条令,国制、公的職務をおりにふれて実施し、制定し、起草し、それにしかるべき服従と従順を約束する」(メイフラワー誓約)と。
 このニューイングランドには五つの州ができた。そのうちの一つコネチカット州が制定した刑法(1650年)は聖書に想を求めて制定された。最初に「主にあらざる神を崇める者は死刑に処す」とあった。(トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第1巻上)。続いて同じような規定が10か条ほど聖書から採られた。トクヴィルは言う「最初の人間の中に人類のすべてがあるのと同じように、アメリカの運命のすべては、新大陸の岸辺に到着した最初の清教徒の中にすでにあったのを見る思いがする」。そしてさらに言う、「広大無辺の大陸を彼らに委ねて、自由と平等を長期にわたって守る手段を提供したのは、実に神ご自身である」(同書)。
 ギリシアの哲学者プラトンは「はじまりは、それがそれ自身の原理を含むゆえに、やはり神であり、その神は,人びとのなかに住み、人びとの行為を鼓舞するかぎり、すべてのものを救う」と言い、ボリュビオス(ギリシアの歴史家、前201頃ー120頃)は、「はじまりはただ全体の半分であるばかりではなく、終わりにまで到達しているものである」と述べていたそうである(上掲書)。プリグラム・ファーザーたちの神はやはり神であり、その約束は合衆国の終わりにまで到達するのだろうか。