今度こそ、新しい時代へ!  井上ちあきblog

待ちつづける政治から 挑戦しつづける政治へ!

誰がやっても一緒。。。。

2007-02-26 | Weblog
昨日は古くからの知り合いの方(といっても私よりいくつか年下)と久しぶりに
会いました。

いろんな話をしましたし、彼なりに加西市に対する前向きな意見を
もって話してくれました。
このブログのことも話をしましたから見てくれてるかも。。

でも、やっぱり寂しい一言が
「結局議員や市長なんて誰がなっても一緒やろ。。。」

前向きな意見をもっている彼にさえ、こう言わせてしまっている
現状が本当に寂しい感じがしました。

いろんな方にお話をききますが、異口同音に
「そんなうまいこといかんで。。」

でも、そういう方に限って本当に加西がよくなったらと思っている。

行政内、会議所内、様々に活動するボランティアなど
声をあげ、手をあげて変えようとしています。

一朝一夕でないことはよく分かっていますが、
やれるところでみんなで声を出し、手を挙げていきましょう。

私たちが子ども達に残してやる加西のために!


井上ちあき

加西市予算案

2007-02-25 | Weblog
神戸新聞で来年度予算案の一部が公表されていましたね。
昨日は加西、今日は小野。

どっちも見出しは小○年まで医療費無料!
加西は小3までで、小野は小6まで(内容はことなるようですが)

どこかの量販店のライバル店の広告合戦のようなきもしなくもありません。
小3まで医療費を無料にしていくことは大枠、県の方針でもあるでしょうから
良いことには違いありません。
また、新婚さんに家賃を補助することも悪いとはいいませんが、

「全体としての少子化対策」になるとは思えません。

理由は子供を育てていくことの経済的援助の一助にするにはあまりに少額であること。
例えば、今子供が2人だけど、もう一人欲しいが、将来的に経済的な部分を考えると。。。
と思われている夫婦に、医療費を補助するよ。まだ新婚3年目までなら家賃もちょっとだすよ。早い者がちだけど。。。
といわれても焼け石に水でしょう。


どうも加西だけではありませんが、子育て支援、少子化対策の名のもとに
「ふるさと加西」を安売り!していないでしょうか?

「大切なものを選ぶのは【安さ】よりも【価値】」であることが
より大きな要因だと思うのです。
バーゲンにはバーゲンで対抗する。この繰り返しは
互いのお店を結局つぶしかねません。
お店に資金が潤沢でないのなら安売りではなく、
価値を高めることを考えなければならないと思います。

たとえ話が長くなってしまいましたが、
現実として自治体間競争が激しくなってくる中で
補助金合戦はエンドレスの泥沼に陥ることになります。

限られた財源を子育て支援と地域の特色づくりに。。。と記事には
ありました。
特に医療費の補助は良いことだと思いますが、
加西の財政悪化にくさびを打ち込む視点は、安売りではなく、
それ以上にまちの価値を高めることだと思います。

予算案の詳細をみたわけではないので、いい加減なことは書けませんが
【その高めるべき価値】とは何度か以前にも書いた良い教育(良いには広い意味がありますが)と
確かな医療の確保であり、ここに予算をかけるべきだと思います。

そして住む場所に選んでもらえる、息子たちが帰ってくる、かえってきたくなる。
地域には、まだまだ小うるさいおっちゃんや世話焼きおばちゃんが住んでる。
その価値の上に、こうした地域社会がしっかりと引き継がれつつ、
地元サービス業や観光の充実していることが定住には必要です。

さらに地元サービス業とりわけ観光のために流入人口を増やすためにも
東西南への道路整備が必要でしょう。


つらつらと書いてしまいましたが、
市議会のライヴ中継費用が組まれていました。
これは素晴らしいことですね。是非実現すべき事項だと思います。

3/1から議会か開会し、一般質問は8・9日のようです。
しっかりとチェックしていきたいものですね。


井上ちあき











事務屋か?

2007-02-24 | Weblog
ここ数日はお約束の花粉症になやまされ、ブログの更新もままなりませんでした
すみません

昨日、大変親しい市の職員の方と20分ほど話をする機会がありました。
内容はおいといて、
そのときに話になったのが、「俺らは事務屋やからなぁ~」という言葉です。
私は「○○さん、行政は事務屋とちゃうで!」

確かに市民からの様々な申請や要望に対して、法令や県、国と連携しながら
適切かどうか判断する。
この事務処理をして事務屋と呼ばせるのでしょうが、
私はそうは思いません。

実際に法令の文言を呼ん、どう判断するかは市職員の特権といえます。
乱暴な言い方かもしれませんが、
ここに「加西市民として」⇒ 「そらそうやな」だとOKにする
              「そらあかんわなぁ~」だと×にする
と、こうした「当たり前」感覚をもって「判断」する
加西市の将来や形を、先頭きって判断する気概と誇りが大切だと思います。

こうした「当たり前やん」という感覚が通じない
気概と誇りをもたず、責任を負わない行政と感じるとき
市民の行政批判となって現れのでしょう。

もちろん、そのとき話た友人はもちろん、この気概と誇りと責任を
もってやっていただける方だと思うからこんな議論をしたわけです。

行政の新世代の力にも期待したいものです。

井上ちあき


残してやれるか?厄神さん

2007-02-20 | Weblog
2月19日は私がすむ「村」の御祭り「厄神さん」の日でした

町内では数日まえから小さな山の上の社や子ども相撲のための土俵作り
福引のための準備
奥様方を中心に、餅まきのための紅白もちづくり
それぞれ、しきたりのような段取りがあります。

当日は何故だか朝6時くらいから演歌が爆音のように一日中流れます
だれもうるさいと言わない

結構な石段をあがってこないといけない

いよいよ町内の子どもは特別にお昼を食べたら下校
昔はお昼は持ち帰っていいので、とにかく下校
それも2時ごろから始まる子ども相撲のため!
勝っても、負けてもお小遣いがもらえます。
そして3時ごろからは厄年の男性が軽トラックの
荷台から紅白餅をまきます。
私は本厄でしたので、今年は晴れの餅まきです。
荷台のまえには子どもから数十年前子どもだった女性まで
およそ150人から200人くらいが
大歓声!
なーんにも入ってないお餅だけれど、ほとんどパニック状態
それでもみんな笑顔でほんとに楽しそうでした。

こうした地域のイベントを通じて、年配の方から学ぶ
いろんな家族との交流がある
この日のために実家にかえってくる


それでも厄神さんも20年ほどまえにくらべればすっかり規模も
小さくなってしまいましたが、
加西でまだまだ残っている地域社会の姿があります。

たしかに、地域のつきあいというものは面倒だったり、融通のきかないもの
だったりします。
面倒だからいいや、私んとこはほっといて。やってもやらんでもそんなん
個人の自由やろ。

私たちの世代が受けた教育の結果よく言われてきた
「個人の自由」
こうしたものが、「いじめ」「学級崩壊」「DV」その他犯罪をふくめて
いろんな事の要因の一つといえるのではないでしょうか?
「自由」は「地域社会に守られている」ことを自覚しないと
いけないと思います。

こうした意識は黒板で学んだりすることではなく、
実際にある地域とのつながりから体感していくべきことでしょう。
だからこそ、私たち大人が意識して、地域伝統を受け継ぐことを意識しないと
いけませんし、しっかりと子供たちに残してやりたいものです。


井上ちあき















子どもの可能性と結果不平等の現実

2007-02-18 | Weblog
今回は誤解されるかもしれないとも思いながら、現実の問題に触れなければ
なりません。

前回、ある中学校では「塾の宿題があるので、学校では宿題をあまり出さないでおこう」ということであるようです。
嘆かわしい。
教育という現場の責任放棄である以外の何ものでもないと思います。
大前提として「学習」・「学歴」と「人間性」とが比例するものでないことは
当然のことであることは私も含めて社会の常識であることを確認した上で
現実の話に移らなければなりません。

私たちが小学校時代に学んでいた学習内容の、今は半分程度の内容になっている
ようです。以前が暗記中心・知識偏重の受験戦争という批判の対象であったから
です。このあたりから「ゆとり教育」「週休2日」の学習体制にかわり
本来家庭で主に養われるべき「心の教育」が学校の大きな目的になりました。

今の国策としての学校教育では、「子ども達の可能性」を摘んでしまっていないでしょうか?勉強ができることが最も尊いということではないが、基礎の上にしか応用は積み重ならないものです。
例えば何かの研究者やベンチャー起業とかということではなく、
一般にいざ、企業への就職となったときに、ゆとり教育でしたのでとか、
心の教育が中心だったからということは採用に重きを置かれません。
現実の問題として学歴の高い大学から有望な企業・高収入の企業に入社
できているということは厳然とした現実です。
私もある企業の人事をしていました。大卒の学生の採用担当でした。
学歴が高い人材が欲しいのではなく、そこに必要としている人材がいる
可能性が高いのでそうした学生を中心に採用の目を向けるのです。
となれば、親心としては、できるならば高学歴といわれる大学にいれてやりたい
と思うものです。
となると、少子化の中で希望すれば大学に入れる時代とは言え、人気大学は
依然として倍率の高いものです。結局は学習がしっかりできているかどうかと
いうことになります。

ここで、最初の宿題をださない中学の話に戻りますが、学習を塾に依存(いいすぎかもしれませんが)する状態であれば、塾に入っているか、入っていないか
で学習できる内容が変わってきます。これを学校も容認していることになります。
つまり、塾へ行かせる生活に余裕のある家庭とそうでない家庭では
子ども達の学習環境、機会が大変不平等であるといわねばなりません。
こうして、塾へ行った子どもは高学歴で高所得、塾へいけなかった子どもは
低所得という社会の固定化がおきてしまうということです。
これこそが大変問題です!

国策としての学習がいかにあるべきかという論議もありますが、
地方分権の時代にあって、加西市の子ども達の学習については我々
加西の大人たちがしっかりと、子ども達の将来のために、子ども達の可能性を
摘まないためにも、十分な学習機会を与えてあげるべきだと思います。
前回、学校運営協議会について書きましたが、
その地域によってローカルルールとも言うべき内容で、その地区の学校での学習と、日本でも特筆しなければならない「班行動」というチームワークを養う環境
や、削減されがちな音楽会や運動会の練習などの社会性を養う特別時間ををバランスよくカリキュラムしていくこととが大変大切だと思います。

そしてその結果として学校教育の改革から「子育て世代」が住みたい加西になっていく有効な方法の一つだと思います。

井上ちあき




学校評価制度と学校運営協議会

2007-02-16 | Weblog
学校教育について、その改革が望まれている
そんな中、似て非なるものが
「学校評価制度」と「学校運営協議会」ではないか?

私は「学校運営協議会」を各校に設置することを提案したい

「学校評価制度」は字のごとく、内部評価(先生の自己評価ですね)
外部評価(PTAや専門家など)を通じて、学校や先生自身が
研鑽し、保護者の学校への参加意識を高めることがねらいであるようです。
しかし、学校や先生というものは保護者から○点と評価される対象とみる
べきだろうか?
親が学校に点数をつけるところを見る子ども。
その点数が公表され、それを見る子ども。
常に親からの評価を気にする先生。
こんなことが果たして子ども達のための教育現場になるんだろうか?
実際に導入している学校も日本には多い。
まして高校にもなると、生徒が先生を評価しているところも実際にある。
。。。そういや学生時代に友人がある学習塾の先生のバイトをやってて
塾の生徒によって先生の給料や評価がきまるので大変だといってた
ことを思い出しました。
まさに進学塾状態ですね。

それとは対照的に。。。
前にも書いたことがありますが、「学校運営協議会」を各校に設置する
ことが親や地域が一緒に学校運営に参加することにつながると思います。
これはきちんと法律に定められたもので、教育委員会が指定した学校に
対して設置することができるものです。
その権限は大きく、カリキュラムや学校の運営について校長は提案し
承認を得なければなりません。また教育委員会に対して人事にまで
意見を述べることができます。
学校や先生は「評価するだけの対象」ではないと思います。
大切な子ども達の教育環境に対して、学校、先生とともに親や地域が
課題を共有しながら、シビアに取り組んでいかなければならないと
思います。
その矛先は時には先生であることもあるでしょうし、
親自身になることもあるでしょう。
一方的な評価する側とされる側という立場ではなく、双方の問題を
率直に指摘できる点が大切だと思います。


ある市内の中学の親に聞きました。
生徒は塾の宿題で忙しいだろうから、学校ではあまり宿題をださないとのこと。。
こんなことが本当だとしたら、子ども達にとんでもない禍根を
残してしまうことになる!。。。。ということは次回に。。。


井上ちあき

そもさん!せっぱ!

2007-02-14 | Weblog
懐かしい、一休さんの禅問答の掛け声ですよね。。
古いでしょうか?今の子ども達は知らないのかな?

昨日知り合いの紹介の方に、後援会のパンフレットをもって
ご挨拶にいきました。はじめてお会いする方だったのです。
ピーンポーン。。。チャイムがなってもしばらく応答なし。
お留守かな。。と思うと、ガラス状のドアごしに杖をついた
白髪の男性のご老人の方がゆっくりとでてこられました。
あ~申し訳なかったかなぁ~。ご面倒かけてしまったかなぁ~
と思いながら、ドアを開けていただいき
「はじめまして、井上ちあきと申します。。。」とご挨拶すると、

いきなり、「あんたは、今年の念頭に市長が「市民はお客様だ」といったが、
知っとるか?それでそのことをどう思う?」とご質問?
まさに「そもさん!」状態でした。

ちょうど前回「行政はサービス業か?」というブログを書きましたが、
行政には2つの側面があると考えていること。
1つは、窓口対応を含めた諸手続きなどの市民サービス
ここにおいて、市民はお客様というくらいの意識改革を行政はしなければ
ならないと思うこと。
2つには、行政として「まちのあり方」「これからのまちの方向性」を
市民に対して提案しなければならないこと。むしろこちらの方が重要で
「市民がお客様」というような心地よい言葉以上に注目されないと
いけないと考えていることをお話しました。

このご老人は「市民はお客様というが、現実には他の行政とくらべて選ぶ
ような選択肢はないんだ、こんな質問を来る人皆にするんだよ」
とおっしゃてました。

こうした、お話をお聞きすればするほど、
一人一人の市民の市政に対する関心は高く、
「やっぱり私たち市民の普通の感覚、当たり前が反映されていない」
実感がする今日この頃です。


井上ちあき





行政はサービス業か?

2007-02-12 | Weblog
よく行政サービスという言葉や、市民サービスという言葉が
飛び交うことが多いですね。
ある市町村では、土日に各種の手続きができるようになったとか
朝7時半から早出の職員がでて、夕方は6時半まで同様に
各種の手続きができるなったことをデカデカと雑誌に掲載されたりします。
「市民サービス」「市民満足」という言葉は大変私たち
市民にとって耳障りのよい言葉ですが、本来私たち市民が
行政に期待するところはこんな簡単な事ではないはずです。

これからの10年後、20年後のために、私たちの加西市を
こうしていこう。自治体間競争が激しくなる中で
こうやって私たちの加西市を勝ち残るまちにしよう。
という「まちづくり」の先頭であるべきなのではないでしょうか?
それは、もしかすると市民から猛反発のはある提案が含まれる
こともあるのかもしれません。
しかし、行政は信念のもと誠心誠意、市民と胸襟を開いて議論を
重ね提案をしていく。こうした仕事が本来もとめられている
ように思うのです。

例えば、近隣で加西市ほど他市町から車でくるのにクネクネと細い道を
やってこなくてはいけない市も少ないのではないでしょうか?
いくら大型のイオンがくるといっても、加西にくる道を電話で説明
することの難しいこと!
私は個人は東西を結ぶ、南への行き来、こうした交通網の整備(大きな道路)
の整備がイオンのためではなく、これからの加西にとって必要だと思いますが
となれば土地の買収で大変な交渉をしなければなりません。
たとえばですが、行政が仮にこうしたものが必要と考えるならば、
労力を惜しまず関係住民とタフな交渉をやらねばなりません。
財政危機のなか、どこかの予算を削って取り組まなければなりません。
こうした将来のために何を今するのかが、本体行政にとって
重要な仕事であって、私たち市民も行政をこの視点で評価することを
忘れてはならないと思います。

以前、いろんな検討会、審議会と名のつく行政の会議に出席しましたが
非常に多かったのが、いわゆるコンサルが書いた資料です。
名前を他の市に変えても十分通用する、加西のためとは思えない提案
にたいまいの税金が支払われることが残念でなりませんでした。
他の意見を取り入れることも大切でしょう。
最近多い公募や提案の募集も悪いとは言いません。
しかし、それ以上に加西に住み、暮らし、また加西で仕事をしている
からこそできるはずの提案をひねりだすことが行政に求められると思うのです。
こうした姿勢の行政であるからこそ、私たち市民とまさに協働して新しい加西市
のかたちをつくっていけると思います。

井上ちあき

行ってみたい越中八尾

2007-02-09 | Weblog
先日から櫻井よしこさんの著書「大人たちの失敗」
~この国はどこへいくのだろう~を読んでいるのですが、
そこに、おじいちゃんも、おばあちゃんも男の人も
女の人も子ども達も輝いている!
そんなまちとして【富山県の八尾(やつお)】が紹介
されています。
決して経済が発展したまちではなく、海からも遠く新鮮な海の
幸にめぐまれず、山あいなので山の幸はあるけれど、米作が盛ん
ではないので豊かにお米がとれるわけではないそうです。
町並みはすごく調和されていて、「私の財産なのでどんな屋根でもいい
だろう、金色の屋根にしてやろう」という人はおらず、
「私の財産だけど、半分は公の財産」という考えがあって、
個人の決定の中に公の要素が入っているのだそうです。
お年寄りが邪魔者あつかいされるどころか、むしろ尊敬されている。
親方や長老なんていうことばが、いまだに生きている。
象徴的な文化としての「おわら風の盆」というお祭りがあり、
その習わしがお年寄りの世代から、若者、子どもへとしっかり受け継がれ
その過程でお年寄りや年長者が敬われている。
こうした縦軸の関係、目上の人や学校の先生、人生経験の多いものと少ない者
親と子こうした縦軸の関係が自然と美しく息づいているのが実感
されるのだそうです。
夫婦仲はすこるぶるよく、とても魅力的なのだそうです。
とても書ききれませんが、どうしても行ってみたくなりました。
こうした地域文化をあらためて見直さないと!と思います。

同じ、この本にこんなショックなデータがありました。
今の日本人の人生の最後の5年7ヶ月は介護される立場になるということです。
65歳以上の半分の方が人生を終えられる前に痴呆に陥るということです。
今高齢になろうとされる方々は、戦後大変苦労され、社会や子ども達のために
必死に働かれ、税も払ってこられた方々の人生の最後が
数人の大部屋の施設で、家族が訪れることも年に1度か2度という
ことが珍しくないようです。

あらためて、地域の人のつながり、親と子 こうしたものをしっかりと
大人自身にも、子ども達への教育にも見直さなければならないのでしょう。


井上ちあき

調整区域を見直そう

2007-02-08 | Weblog
加西市の土地の75%程度は「調整区域」ということになっています。
つまり、自由に物が建たない土地ということですね。
市の中心部は市街地になっているところが多いですから
結局、市の周辺部はほとんどそうです。

ある方とお話しましたが、
 調整区域で家が建たんのに、人が減って子供がおらんように
 なったから学校をまとめなあかん!というのはおかしいや
 ないか!?
そらそうですね。
また北条鉄道に乗って!といっても周りに人があまり住んでないし、
住んでないから、お店もないし。一体誰に乗ってくれというのでしょう。
市の職員に進んで乗車をと呼びかけても、それは無理というものだと
思います。

では、調整区域という指定がはずれないか?
ある行政の方とお話したときに・・・
「自由にしたら、まちがむちゃくちゃになるやろ・・・」
とおっしゃってましたが、はたしてそうでしょうか?
確かに何でもかんでも自由にして、立てたい放題という
わけにはいかないと思いますし、それは「まちの形」として
適切かどうかは判断が必要でしょう。
でも、新宅を建てたいとか、工場を広げたいとか、新しいお店を
出したいとかが規制されすぎなように思われますね。
昨年、長く住んでいる人や地縁者は緩和して住宅を
立てることができる特別指定区域の指定がされましたが
これも規制緩和には程遠いと思います。
住宅が固まっているところにしか建てられないのです。
実際、新宅をする新婚さんのお嫁さんの気持ちになると
近くでもいいけど、隣はねぇ~ というのが本音じゃ
ないでしょうか?
それを杓子定規に住宅が固まっているところだけ!OK
なんていうのはUターンを誘引する本来の意図を全く
解していない制度だと思います。
もちろん調整区域をはずす作業は、市だけでなく県との
調整が必要ですが、特区申請をしてでもやっていかなければ
結局は「過疎化」の大きな引き金の一つになってしまうの
ではないでしょうか????

井上ちあき