今度こそ、新しい時代へ!  井上ちあきblog

待ちつづける政治から 挑戦しつづける政治へ!

子どもの可能性と結果不平等の現実

2007-02-18 | Weblog
今回は誤解されるかもしれないとも思いながら、現実の問題に触れなければ
なりません。

前回、ある中学校では「塾の宿題があるので、学校では宿題をあまり出さないでおこう」ということであるようです。
嘆かわしい。
教育という現場の責任放棄である以外の何ものでもないと思います。
大前提として「学習」・「学歴」と「人間性」とが比例するものでないことは
当然のことであることは私も含めて社会の常識であることを確認した上で
現実の話に移らなければなりません。

私たちが小学校時代に学んでいた学習内容の、今は半分程度の内容になっている
ようです。以前が暗記中心・知識偏重の受験戦争という批判の対象であったから
です。このあたりから「ゆとり教育」「週休2日」の学習体制にかわり
本来家庭で主に養われるべき「心の教育」が学校の大きな目的になりました。

今の国策としての学校教育では、「子ども達の可能性」を摘んでしまっていないでしょうか?勉強ができることが最も尊いということではないが、基礎の上にしか応用は積み重ならないものです。
例えば何かの研究者やベンチャー起業とかということではなく、
一般にいざ、企業への就職となったときに、ゆとり教育でしたのでとか、
心の教育が中心だったからということは採用に重きを置かれません。
現実の問題として学歴の高い大学から有望な企業・高収入の企業に入社
できているということは厳然とした現実です。
私もある企業の人事をしていました。大卒の学生の採用担当でした。
学歴が高い人材が欲しいのではなく、そこに必要としている人材がいる
可能性が高いのでそうした学生を中心に採用の目を向けるのです。
となれば、親心としては、できるならば高学歴といわれる大学にいれてやりたい
と思うものです。
となると、少子化の中で希望すれば大学に入れる時代とは言え、人気大学は
依然として倍率の高いものです。結局は学習がしっかりできているかどうかと
いうことになります。

ここで、最初の宿題をださない中学の話に戻りますが、学習を塾に依存(いいすぎかもしれませんが)する状態であれば、塾に入っているか、入っていないか
で学習できる内容が変わってきます。これを学校も容認していることになります。
つまり、塾へ行かせる生活に余裕のある家庭とそうでない家庭では
子ども達の学習環境、機会が大変不平等であるといわねばなりません。
こうして、塾へ行った子どもは高学歴で高所得、塾へいけなかった子どもは
低所得という社会の固定化がおきてしまうということです。
これこそが大変問題です!

国策としての学習がいかにあるべきかという論議もありますが、
地方分権の時代にあって、加西市の子ども達の学習については我々
加西の大人たちがしっかりと、子ども達の将来のために、子ども達の可能性を
摘まないためにも、十分な学習機会を与えてあげるべきだと思います。
前回、学校運営協議会について書きましたが、
その地域によってローカルルールとも言うべき内容で、その地区の学校での学習と、日本でも特筆しなければならない「班行動」というチームワークを養う環境
や、削減されがちな音楽会や運動会の練習などの社会性を養う特別時間ををバランスよくカリキュラムしていくこととが大変大切だと思います。

そしてその結果として学校教育の改革から「子育て世代」が住みたい加西になっていく有効な方法の一つだと思います。

井上ちあき