●結婚式は教会が最高
昨日は、私の所属する教会員さんの結婚式がありました。
何と二組の結婚式です。
同じSDAの教会員同士での結婚式です。
私も、多くの結婚式に参列してきましたが、教会での結婚式が最高です。
神の前で、質素にへりくだって式を挙げる。
本当に素晴らしいです。
クリスチャンになって私の人生観は大きく変わりました。神が私の主であり、私はそのしもべです。信仰は人の心を豊かにします。
苦悩と苦難、平安と喜びが自分のことだけではなく、教会の兄弟姉妹の分まで自分に迫ってくるのです。しかし、大概は全てが大きな喜びとなって、私の心を揺さぶるのです。
一組の新郎新婦は、結婚に先立ち先週洗礼(バプテスマ)をお二人とも受けました。
そのとき私は溢れる涙を抑えることは出来ませんでした。
わが子が神を受け入れ、信仰の道を歩む決心をすることをクリスチャンである両親がどんなに望んでいる事かを知っているからです。
私には、妻と娘がいますが二人とも信仰を受け入れていません。信仰は個人の人格と神との応答ですから強制すべきものではなく、本人の自覚によって為されるものです。
特に、プロテスタントでは幼児洗礼は行いません。どこまでも個人の決心による上に置かれるものだからです。
しかし、妻や子がキリストを受け入れる事がどんなに大きな喜びであるかを表現する言葉を、多くのクリスチャンは知らないだろうと思います。
ただ、溢れる涙がその喜びの大きさを語るのです。
◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深い私を許してください。
昨日、私達の兄弟姉妹が二組結婚式を挙げました。
どうか主よ、この二組の新しい夫婦を祝福してください。あなたが共にいて下さり、苦難のあるときには忍耐を、喜びにあるときには愛を、苦悩にあるときは平安を彼らに賜ってください。
この愚かなしもべにして下さったように、この弱いしもべをこよなく愛して下さったように、彼らを愛してください。
願わくは主よ、我が妻と子があなたを受け入れ、あなたを信じ、あなたを愛する者となることが出来ますように助け導いて下さい。
この愚かな僕を憐れんでください。
この願いと祈りとを尊き御子、主なるイエスキリストの御名を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン。
昨日は、私の所属する教会員さんの結婚式がありました。
何と二組の結婚式です。
同じSDAの教会員同士での結婚式です。
私も、多くの結婚式に参列してきましたが、教会での結婚式が最高です。
神の前で、質素にへりくだって式を挙げる。
本当に素晴らしいです。
クリスチャンになって私の人生観は大きく変わりました。神が私の主であり、私はそのしもべです。信仰は人の心を豊かにします。
苦悩と苦難、平安と喜びが自分のことだけではなく、教会の兄弟姉妹の分まで自分に迫ってくるのです。しかし、大概は全てが大きな喜びとなって、私の心を揺さぶるのです。
一組の新郎新婦は、結婚に先立ち先週洗礼(バプテスマ)をお二人とも受けました。
そのとき私は溢れる涙を抑えることは出来ませんでした。
わが子が神を受け入れ、信仰の道を歩む決心をすることをクリスチャンである両親がどんなに望んでいる事かを知っているからです。
私には、妻と娘がいますが二人とも信仰を受け入れていません。信仰は個人の人格と神との応答ですから強制すべきものではなく、本人の自覚によって為されるものです。
特に、プロテスタントでは幼児洗礼は行いません。どこまでも個人の決心による上に置かれるものだからです。
しかし、妻や子がキリストを受け入れる事がどんなに大きな喜びであるかを表現する言葉を、多くのクリスチャンは知らないだろうと思います。
ただ、溢れる涙がその喜びの大きさを語るのです。
◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって愚かで弱く罪深い私を許してください。
昨日、私達の兄弟姉妹が二組結婚式を挙げました。
どうか主よ、この二組の新しい夫婦を祝福してください。あなたが共にいて下さり、苦難のあるときには忍耐を、喜びにあるときには愛を、苦悩にあるときは平安を彼らに賜ってください。
この愚かなしもべにして下さったように、この弱いしもべをこよなく愛して下さったように、彼らを愛してください。
願わくは主よ、我が妻と子があなたを受け入れ、あなたを信じ、あなたを愛する者となることが出来ますように助け導いて下さい。
この愚かな僕を憐れんでください。
この願いと祈りとを尊き御子、主なるイエスキリストの御名を通して感謝してお祈り申し上げます。
アーメン。
本当に良かったですね。
私は、事業と信仰、伝道の働きを統合したひとつのものとなる事を願っています。
全てを主に捧げる事を祈り求めています。
ひとりでも苦しむ人に平安を、失望している人に希望の道を指し示すことが、私の全てを注いで行くことなのです。
でも、ブログでは時々ふざけた事を書いていますけどね。神様も時々吹き出して笑ってくれているかなあ?
また、遊びに来てください。
みんなに、結婚式みたいだねって言われました。
一緒に受洗したものの歩みはそれぞれ異なるため
、すれ違う事も多いのですが、それもすべてご計画だなって思います。そのうちぴったり一致して、主の前に立ちたいなと思ってます!
奥様と娘さんが、一日も早く主の愛に気づきますように!
人それぞれの感性によってどの宗教がぴったりくるかというのは違うのでしょう。
いずれの宗教も(まともなものであれば、ですが)精神性を高めてくれたり、人生について考えさせてくれたりする良い結果になるので良いことですよね。
青少年が安易に無差別的な殺傷事件を行ったことが報道されたりする現在の日本は、宗教的なアプローチで人間性を高めるようなことが必要となっているといえるような気がしてなりません。
経営にもそれが役立ちうるのだということを証明したいものです。
キリスト教の何処に惹かれて入信したのか、というご質問には、正確に答えるともの凄く長くなりますので、簡単に書きますと。
聖書には、神・イエスキリストを信じこの教えを受け入れる人の事をこう書いています。
「あなた方は、自分が選んだと思っているが、そうではない。私が、あなた方を選んだのだ。」
つまり、自分がキリストを信じた。と、私も思っていたのですが、この聖句(聖書に書かれた文言のこと)によれば、キリストが私を招いた。ということです。
これが、正しい”答え”なのですが、これでは、質問に対する答えとしては不十分ですね。そこで、私の人間性にかかわる部分で答えますと、
私の父は、信心深い人で、成田山、一言明神、神武様(近所の祠)などをよく拝んでいました。どちらかと言えば神道ですね。でも、ごく普通の日本人で信仰者と呼べるかどうかは疑問です。仏教のお寺あり、お宮参りありですから。
私の兄は、創価学会の活動家です。
そのような家族環境の中で、私が信仰を持つのはさほど抵抗がありませんでした。
が、兄の南無妙法蓮華経のお経には、抵抗がありました。なにか、おどろおどろしたものを感じていました。
この兄に、一度質問した事があります。
「宗教を信じると、人を恨んだり、妬んだり、憎んだり、自分を誇ったりすることはなくなるのだろうか?」
兄は、正直に「それは出来ない」と答えました。私は、その時信仰はいらないと思いました。私の内面に宿る、これらの醜い思いが解決できないのであれば、信仰に何の意味があるのだろうか。と思ったのです。
今もこの思いが消えてなくなったのではありません。しかし、この様な思いが何故生じるのか、どうしたら良いのかを聖書を通して学び、解決したのではなく、解決の道を悟らされました。
これは信仰をもって後の話ですね。入信のきっかけは、まずキリスト教の環境が近くにあった。ことと、兎に角、神様に助けて欲しかった。こと、そして、自分を変えたかったこと。この3点です。
大変な時ですけど、頑張ってください。いつか必ず道は開けます。あなたの事を神様に祈っています。
私は、プロテスタントなのでカトリックがどの様な聖書の使い方をしているか詳しくは判りません。
歴史的に見ますと、カトリックが教皇性を取り入れ政治と密接に結びついた中世に、暗黒時代と言われた時代ですが、聖書を持つ人は少なく、もっぱら口伝えによる聖書の教えが行われていたようです。この時代は言ってみれば、教皇に都合の良い教えが広められたようです。当然、腐敗もあったようでルターの時代にこれに対して、聖書中心主義が叫ばれ、グーテンベルクの印刷機の発明により聖書が大量に印刷販売されて、プロテスタント(抵抗者)が誕生しました。
旧約聖書はユダヤ教も用いています。ここには神に選ばれた民として、イスラエル(ユダ民族)の歴史が描かれています。
彼らは選民思想に囚われていたのですが、旧約聖書には何故彼らが選ばれたのか、理由が書かれています。神はこう言われました。「私があなた方(ユダヤ民族のこと)を選んだのは、あなた方が優れていたからではない、あなた方が、他の人々よりも貧弱であったからだ。」
旧約には何度も、「あなた方が誇り高ぶることの無いように・・・」つまり、人間の努力や知恵によって事が成就するのではなく、神の力添えによって、事が成就するのである。事が書かれています。
あなたの言われるように、旧約には神の忌み嫌われる人間の不純な生き方が書かれています。つまりこれが、人間の真実の歴史を表しています。現代もそうですね。
イエスキリストが学んだ聖書は、当然旧約聖書ですね。キリストは、新約聖書の中でこう言っています。
「これは(旧約聖書のこと)私について書かれた物である。」つまり旧約にでてくる”主”とは、神であるイエスキリストについて書かれていると言うことです。その後、マリアに聖霊によって、人間イエスキリストの誕生が起きたのです。
判りにくいですね。
聖書をお読みになるのであれば、できれば聖書研究の講座をお受けする事をお勧めします。
もし、一人でお読みなるのであれば、新約聖書を3回ぐらい全部お読みになってから、旧約聖書を読んだ方が、多少なりとも理解しやすいです。
今後、この辺の事を少しブログに書いてみたいと思います。
短く判りやすく説明できるとよいですが。
私、個人的には、聖書読んでもお経読んでもピンと来なかったんですが、祝詞はしっくり来るんですよね。以来、神道が一番好きです。神道以外は外国生まれの宗教だから日本人には一番ぴったり来るのかな、なんて思ったりもするんですが…。
揶揄する積りは毛頭ありません。私の周りにはカトリックが沢山おりますが、彼等の多くは『新約聖書』は読んでいても、『旧約聖書』は読んでおりません。何故でしょうか? クダラナイ質問ですいませんです。