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 神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

普通ではないと思うこの頃

2023年08月23日 12時49分18秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
一昨日、昨日、今日と新潟県は38度台後半で全国で一番の暑さになった。
しかも富山県の3倍の面積であるが、一部地域ではなく県内のあちこちで全国ベスト10入りの暑さが発生しているのだ。

関東、東海で所々で激しい雨が見られたが、冬とは逆に太平洋方面から日本海側に風が流れて、乾いた熱風だけが山を越えて新潟県などにフェーン現象をもたらしているようだ。

とうとうわが県でも水不足が言われるようになってきた
ダムの貯水量ゼロも出て来たし、何しろ今日で一か月雨らしい雨が降っていない
先週、5分か10分パラパラと来ただけで、それっきり。
友だちも畑のニンジンが目を出さない、いくら水をやってもだめだと言っていた

深刻なのは米が不作になったら大変ということ、当然野菜にも影響が出るし
テレビでは乳牛が暑さでへばって、乳を無理に取れば死んでしまうかもしれないという。
こうなれば乳製品の値上がりも免れまい、既に牛乳が10円上がったとか言ってた。
ガソリンもいよいよ、ただごとですまされないくらい値上がりしてきて、車を必要とする地方の人たちを不安に陥らせている。
セルフで1リットル171円から175円、私のようなフルサービスでは177円以上になった。
それでも長野県の190円から見れば安くて、新潟県に近い長野県民は、越境給油に来ているそうだ
リッター15円違えば50kmくらいなら来た方が得だ。
ほんとにそうかな? 新潟175円、長野190円で45リットル入れるとして、15x45=675円の得
燃費リッター16kmとすれば、往復100kmとして約6リットル消化で6x175円
=1030円 1030-675=355円の損となるのでは?
高くても地元で入れた方が得なのでは、用事のついでとか、ドライブ通過ならそれでいいけど。
余計な心配ですが・・・また脱線。

しかし連日の35度超えで私の体調もなかなかスカッとしない
今朝は5時に起きて、畑の土起こしを1時間ほどやった
夕方、眠くなって4時から1時間ほど寝ようと思って横になったら7時まで寝ていた、早起きもある、エアコン部屋に閉じこもり、外との温度差も体に痛い
飲み疲れもあるのか、7月からの体調不良もあるし
すべてがこの連日の猛暑によるものだと思う。

アメリカはハリケーンが暴れてエンジェルスが2日間試合をできないと言うし
ハワイは大火災で100名以上が亡くなり、まだまだ増えるらしい
こんなとき。近日中に福島の海に原発の汚染水(ではないと政府)を放出すると言う、当然、漁業者は反対をしているが、北朝鮮拉致被害者家族の願い同様、その思いは通じないようだ。

国には国の複雑な事情があるのだろうし、当然ながら中国からはクレームが入り、話がややっこしくなっている
漁業者の言い分を尊重して放水停止すれば、中国のクレームに屈したともとられるわけで、おかしな感じ。

いずれにしろ、今日の決断が50年、100年後の生活にどうかかわるのかは興味あるが、もう私はどこかに行ってしまってわからない。
あと数十億年たてば地球も無くなるし、人類はその前にとっくに滅んでいるからから、気にすることはないのかも。

ハリケーンにしろ、山火事にしろ、海洋汚染、異常気象、これらは関連性があるのか無いのか
住みずらい地球には近づいているのはたしかだ
われわれは、そんな息苦しさの中でも安全な水、清々しい酸素を探して少しでも楽しく人生を送らなければならない。






生まれてきた意味 生きてきた意味

2023年06月04日 08時42分29秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
大谷選手、またしても「サイクル安打」逃す、ホームランでサイクル達成だったが2本目のシングルヒットで終わった
球界屈指のクローザー、プレスリーからの安打だから価値はある、大谷はプレスリーからホームランも打っている、今日は4安打、打率を上げた。
これで大谷選手の今シーズンのサイクルリーチはニ度目? 三度目?


 突然のひらめきはビーチボーイズの一曲を聴いていた時
「生きて来た」というより、自分には存在する意味があったのだと、そう感じた
苦しいこともあったし、危機一髪をも何度か切り抜けて今がある
大きな不幸を背負わされて逃げたこともある、それさえも神(人間には理解できない事象、宇宙よりなおも大きな生命作用の仮称)の力で切り抜けた。

思った! 不幸とは、不幸に耐えうる人にのみ神が与える試練、すなわち「選ばれし者」ではないかと
回りを見ても、不幸を背負いながらも、「平凡な生活を送る人たち」より強くたくましく生きている人の多いこと
人間は不幸を背負い、克服して強くなっていく、ただそれはスポーツ選手が苦難を越えて強くなっていくのとは違う
得るものが違う、スポーツ選手が限界の克服で得るのは数字、名声、名誉、お金、満足感、達成感
だが不幸を克服した人が得るのは何だろう? わからない でも何かを得た気はする。
形ではなく、そこで終わる満足でもない でも何かを得ている

もし、最初から私の存在が無くて、私以外はすべて変わらず存在していたとしたら、その人たちの人生や暮らしはどう変わっていっただろうか。
父母には私は生まれず、妹と弟は生まれる、そして弟は私と違う長男となり、姉との二人兄弟になる。
親友のAと出会うことはなく、Aは誰と友達になり、何を語るのだろうか
女房殿はどんな人生を送るのか、とうぜん私の子供は生まれてくることはない
そのかわり女房殿は別の誰かと結婚して、今の世に存在しない子を産んだかもしれない、そしてその子供たちは何やらの人生を送り、誰かとさまざまな交友を繰り広げる。
ヒットラーやプーチンが生まれなければ世界も歴史も大きく変わっただろうが、私が生まれないくらいでは世界は変わらない、だけど私に関係してきた部分の小さな社会に多少の変化が起こる

生まれてきたことで、この世界にどのような影響を及ぼしたのであろうか? 私が救った人はいるだろうか、私と出会って幸せになった人はいるのだろうか
多少なりとも影響を受けた人はいただろうか? 
これからの残された時間で、どれだけの人に、どれだけの量の影響を与えることが出来るのだろうか。
そう思うと、一秒たりとも無駄にできない、考えて生きていかなければならない、まだ使命は果たし終えていない
人の為ではない、自分の為に生きればいいんだ、そして人に何らかの良い影響を与えられたら、それは生きて来た意味があったと言うことだ。

救った小さな命の数々、あの命を救った役割は神に与えられた力かもしれない、気づかないところで生まれて来た意味を行動していたのかもしれない。
朝の庭の木に、瑠璃アゲハが飛んできた。またカメラが間に合わず獲り損ねた
あの美しい瑠璃色を撮りたかった、そういえばこの前のトカゲの尾と同じ色だった。

どれだけ持てば「しあわせ」になれるか 歎異抄ききかじり

2023年06月02日 11時15分15秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
一昨年、持ち続けた何もかも手放した
良いもの、悪いもの、軒並み断捨離した感がある、今までの人生の大部分を捨て去った。
形あるものは当然ながら、形のない数々の欲、事業欲、名誉欲、金銭欲、物欲も
これ捨ててしまったら、まさに「肩の荷が下りた」のか「スーっ」と軽くなった。
貧乏神にまで見捨てられると心まで軽くなる
こうなると息子や女房殿に対する小言や意見、怒り、これもぜんぜんする気が無くなった、これによって腹も立たず、血圧も上がることがなくなった。

市議会議長の息子があんなことになる、国家のトップの息子が、愚かなことをしでかして袋叩きに会って失職する
いくら名誉や財産があっても、不幸はやってくる、欲のある所には必ず不幸が多かれ少なかれやってくる
それは身を持って体験したからよくわかる。

なるほど「あれくらいは残しておいてよいだろう」なんて未練があるうちは駄目だ、最初からなかったくらいに思えないと、私の今の心境にはなれまい。

いくら捨て去ると言っても、家族を捨ててはいけない、そこまで捨てるとは言ってない、絶対捨ててはいけないものは捨てない
人生の邪魔になるもの、その多くはやはり「欲」だ、物も金も生きていくだけあれば、それ以上欲しがってはいけない
ただ、空から降ってきたものまで捨てることはない、それは神様からの贈り物だ、だからといって天に向かって催促するのも宜しくない。
あくまでも、無欲で生きていることが本当の幸せをえることにつながる。

何もしなくても、去っていくものは去っていくし、残るものは残る

「無い」ということは結構良いことなのです、「無い袖は振れないのだから」
そこまであきらめれば、あとは自然体で生きていればよい
余計な心配はご無用、心配するから悩みが出てくる
「ケセラセラ」なるようになると割り切れば、なるものだ
毎日、仏壇に向かって「南寿阿弥陀仏」と経を10遍唱えればなおよい。
文化的に生きる方が、戦場で生きるより遥かに良い

親鸞聖人の偉いのは、90何歳かで入寂されるまで、弟子は持ったけれど教団と言うものを持とうとしなかったこと。
そのかわり公に持つことを禁じられていた妻や子を隠すことなく持ったし、それも複数、肉はともかく魚も食べた
最後まで念仏三昧で、それ以上の欲は持たなかったのだ、托鉢さえも嫌ったと言う。
念仏は阿弥陀様に物をねだるのでもなければ、親の冥福を祈るのでもないと言う、ただただ自分の福の為に唱えるそうだ
でも、そんな親鸞さまでも息子との確執は避けられなかった、それは「出家とその弟子」を読むとわかる。
だけど親鸞さまには、それも含めて飲み込んでしまうだけの大きな信心があったのだろう、日輪の大きな光は何もかも飲み込むだけの慈悲がある
飲み込む、飲み込んでしまえば、それは無くなってしまう、飲み込むだけの大きな心もまた無心から生まれる

欲を捨て、それでも生きられたのは、天からごはんや銭がたまに降って来たからだろう
無欲無心でいれば、天からお宝が時々降ってくる、正しい行いを続ければなおのこと、天はあなたを見ている

但し贅沢するほどは降ってこない、僅かな稀な小さな贅沢ができれば上等
あとは、今日一日、生きていれば「ありがとうございます」
それでいいのだ、それが幸せなのだ、但し家族を飢えさせるようではだめだ
飢えさせないだけの信心が必要だ、信心・・自分の為にだけ祈る
何を信じる、それは神仏を信じるだけではない、自分自身を信じることだ
自分は正しいと信じることが出来れば、もう大丈夫だ

手放したわけではないが、自然とへっていったものに「酒」がある
あれほど「酔いどれの酔っ払い」だったyottin
この頃は、一週間に2回ほど飲むだけで、それも缶ビールなら1本、日本酒や焼酎なら写真のグラス位を一杯、ウィスキーならWで一杯
そんな程度だ、さすがに仲間と集まる時は飲めるだけ飲む、それが月一くらいのささやかな楽しみだ。
良い酒があれば、それに越したことはない
たまに天から降ってくる、良い酒は買ってまで飲まない。


そんなくらい、腹5分目くらいの幸せで結構、それで幸せを感じれば「しあわせ」と言うものさ。


仏心

2023年05月21日 16時12分48秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
高校生の頃、父はすでに私を自分の後継ぎとし魚屋にすることを決めていた
そのとおりの人生を送ってきたわけだが、そんな高校生の時に、ふと言った。
「おまえは学校の先生か坊さんが似合っている」
その言葉を聞いて思ったのは(小学校の先生ならともかく、中高の生意気盛りを教えるのは性に合わない、研究者として仲間や個人でやる学者ならよいが、教壇に立つのは向きではないと、だが坊さんはまんざら見当違いではない)

坊さんといっても厳しい修業を生涯続けて仏に仕えるなどというのは、とてもじゃないが無理である
それでは坊さんになんかなれない、だが世間の坊さんを見渡せば、尊敬に値する立派な坊さんもいれば、ゴルフ三昧だ、女狂いだ、ヤクザまがいの坊さんもいる
それならば私でもなれないことはあるまい、但し後者の坊さん並みではなっても意味がない。

さて歎異抄を読んでいて時々心に入ってくる言葉がある
例えば「親鸞さまの正しい教えは、没後わずか30年ほどで教団という集団組織の中で、その真意が曲解されている
『お釈迦様(阿弥陀仏)の教えは、唯一この世界で親鸞だけの為の教えである』と親鸞さまはおっしゃった。らしき言葉が出て来た。

そもそも仏教の始まりは個の深い悩みに人が陥ったとき、絶対的な安心、導きにすがる人間の心の作用がつくりだしたもの
お釈迦様にしても、聖徳太子にしてもこの世の無常と、人の力では変えることのできない死や病、様々な欲心(煩悩)に対して、どのように理解するかの問いである。
ならば私にも、それはある 真剣にこれらの無常や自分の非力、あまりの小ささに思い悩むならば、そこには宗教があり仏様と出会っている。
まさに「お釈迦様は私だけの為に教えをくださったのだ」
ならばお釈迦様の教えを理解しなくてはなるまい、それが修行だ

お釈迦様の教えは、口伝を受けた直弟子たちによって、数万の経典として編纂されたが、お釈迦様の教えの年代や、弟子の資質によって内容は微妙に違ってもいる

開祖と呼ばれる宗派の長は、それぞれが自分の心に合う経典を選んで、**経を開山した。
だから元はお釈迦様の教えでありながら、対立を繰り返している
親鸞さまが作った浄土真宗さえ、東と西に分裂したではないか
またお釈迦様の教えもアジアに広まる中で大乗仏教、小乗仏教などの対立もあった、こうしたものを見ると立派な宗教と言っても人間臭さから抜け出ていない
まさに「群盲 象をなでる」であって、とてつもない大きな教えの中からわが意に沿った部分を取り出して「我が宗派」を名乗っている
もちろん、大きな幹となる法華経など特に重要な骨の部分は共通してはいるが
それは教団という大きな組織になって、経営が主たる目的になったことで残念ながら雑念が若干紛れ込んでしまった。

親鸞さまが申された通り、宗教は個人の中にあって、個人個人の悩みが違うだけの数だけあると言うことだ
だから宗教は個人でもできると言うことではないか、宗教にルールがあるのか
縛りがあるのか? それは宗教と言えるのか
ルールは集団を統一統率するためにある、個だけであればルールは必要ない
全て自分に帰ってくるからだ。

もちろんルールをガイドラインにすれば理解するには楽である、でもそれは本当に求めるものの答えであるのか?
己の苦しみの質や量は自分にしかわからない、それをグループに分けて考えるのは占いと同じではないだろうか
この苦しみは個が解決するしかない、それが出来なければ教団に救いを求めるしかあるまい、その中には問題の教団もあるのだ
教団を選ぶにも個の責任が生じることを承知しなければ泣きを見る。

私は今さら宗教家になる気もないし、なる力もない、だが心の中に宗教観を持つことはいつでもできる、今でもできる
寝る前に寝るまで一人宗教を実践できる、仏心を持ちながら眠りに落ちるのは座禅に通じるのではないか? 

浄土真宗は理屈が簡単で、宗教を面倒だと考える悩める人には向いている
「南無阿弥陀仏」を十篇唱える、それを一日何度か繰り返すだけで阿弥陀様が救ってくださると言う
宗教家でもない、忙しい庶民にはまことに都合よい宗派なのだ
キリスト教であれ仏教であれ、信じる者は救われる、信じるところから始めるしかあるまい

私が仕事をやめたのはその力が及ばなかったからだが、別の部分でもいやなことがあったのも一つの原因だ
それは、生きた魚を調理すると言う殺生に耐えられなくなったからだ
新鮮野菜の中から出てくる虫さえ殺せない、こうなると調理人失格だ、仏心をもったらお終いだ、そんなことで仕事に嫌気がさしていた

今は野菜を育てる、生命を作る方に回った、いずれはその命をいただくことになるが、リアルな魚よりは罪の意識は少ない
それも勝手な解釈かもしれないが、それさえ嫌気がさせば、もはや飢え死にするしかあるまい。




歎異抄

2023年03月04日 07時31分08秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
今は空き家になった義父の家の玄関に入ったら、いらなくなった雑誌類の間に「歎異抄」の訳本と五木寛之の「仏教への旅」があった
さっそく数ページを呼んでみたが、親鸞上人の人間臭さがいきなり出てきて(これは読みやすい)と思った。
去年から急に宗教に興味が出てきて、いろいろ関係本も読んでみた、「空海と最澄」の物語も読んだし、主要仏教10宗派くらいのそれぞれも読んで見た。
やはり歴史がある仏教は読んでいても読みがいがある
著者の唯円は親鸞の直弟子で、親鸞没後に親鸞の教えが各地で曲がった解釈で広められていることに嘆いて、自分が直に聞いた親鸞の言葉を広めるために書いたものが「歎異抄」
釈迦と、その言葉を経典にまとめた弟子たちの話に似ている、もっとも釈迦の方は教えが数十年にわたって膨大な量になっているから逆に様々な宗派が起こるきっかけになった
親鸞の浄土真宗は、その中の一つであるから単純明快、死後のありさまも単純明快、さっぱりしすぎて気持ちが良いくらいだ。
庶人が「なぜ」と問うと、「私は知らない」、さらに食い下がると「高野山や比叡山へ行きなさい、そこには立派な学問を積んだ学僧が数多おられるから、難しいことは、そこでお聞きなさい」と言う
「私は師である法然上人の教えを信じて、その通りに伝えるのみ、法然上人もその師である善導大師の教えを信じて、私に教えてくださった、善導大師はその師である釈迦の教えをそのまま伝えたのだから、私の信心には間違いはないと信じています」
キリストの「信じる者は救われる」と同じではありませぬか・・・ぜんぜん基本が違うと思うけど。
「難行、苦行などしなくても『南無阿弥陀仏』の十篇を唱えてさえいれば極悪人であっても、いや!極悪人故なおさら阿弥陀様が救ってくれる」
いささか身に覚えがある私には、とてもありがたい教えです。

さてゆっくり読んでみます。



父の法要

2023年02月22日 11時16分10秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
父が亡くなって今日が5年目、お寺さんに読経してもらって、今帰られたところ
読経のあと、こたつに入って1時間ほど、ゆっくり世間話をしていきました
私より20歳くらいは若いでしょうか、それだけ私が歳を取ったということです
今は真宗大谷派の寺院ですが、我が家は一代ごとに寺が変わる渡り鳥一家
転勤族でもないのに、そういった運命の一族なんでしょう
祖父祖母は墓も遺骨もなく、浅草の時宗(じしゅう)の寺で葬儀を行いました
祖祖父、祖祖母は茨城の真宗大谷派、その前は代々、栃木県の臨済宗寺院に墓があります。
私の代でようやく、この地で父からバトンタッチで2代目です。息子もこの地で3代目になるでしょう、世間で言う「安住の地」というものですかね
まだこの先、わかりませんが、この土地の自然は好きです、ただどんどん不便になって行く医療問題や娯楽施設、文化教養施設が無いのが残念です。

浅草浅草寺


2023 初夢

2023年01月03日 07時58分57秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
意識したせいか、今年の初夢は見たし、半分くらい内容を覚えている
ちょっと漫画チックな初夢でどうなんだろうと思うが、過去にも何度も見ているシリーズ的な夢だった・・・ゴジラの夢

ストーリーを言えば、私がゴジラに追いかけられて逃げ回る夢
本当に怖い、究極の鬼ごっこだ、幸いに放射能攻撃は無いので、離れていれば安全だが、油断していると突然現れるので怖いのだ。
今まで見た、ゴジラの夢と違ったところは、何と下から見上げた大きさだ、スカイツリーくらいはありそうだから、身長500mくらいか、今まで見た中では最高の大きさだ。
それから、危なくなると助けてくれるアイテムがある、それが何かは覚えていない、ラドンのような気もするし、お守りのお札のような気もするがわからない。
それがある間は、ゴジラは私に近づけないのだ。
もう一つ、「我々は」ゴジラのお腹の中に大きな石を何個も入れて、縫い合わせて海に沈める作戦を行ったが、そこで目が覚めた。
一体、どんな意味がある初夢だったのだろう、スリル満点であったが。
しかし72歳にもなって、まだこんな夢をみるか? 夢の中の私は完全に小学生に戻っている。

国内版「ゴジラ」は今年は11月3日に30作目新作が上映されるそうだ。



年賀欠礼

2022年12月14日 09時09分16秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
 人生の中で最悪の3年間を実感している
何度か書いたが、過去に「70歳頃、大きな波乱がある、それを乗り越えればうまくいく」と手相看に言われたことがある。
最近5年の間に「年賀欠礼」の年が4年もあった
今年も女房殿の親父さんが亡くなり、我が家も年賀欠礼
今年は、そのほか妹の亭主の母、その母の娘の旦那(元関取)も亡くなり、妹の嫁ぎ先も年賀欠礼
同列にできないが友達のY子の突然死、今朝には愛犬も亡くなった
去年は弟の妻が亡くなり、3年前、4年前には両親も亡くなった

 今が人生の氷河期、運勢ではもう一年辛抱が必要らしい
運勢なんてナンセンスだが、この歳になってやはり天命によって人間は生かされているのだとつくずく思うようになった
そしてなにより「因果応報」は確かにあるのだと身をもって体験した
良き行いは良き結果を産み、悪しき行いは悪しき結果を産む、これは確かであることがわかった。
それでも生かされていることに感謝しなければならない
人間になるためには苦しみの期間も必要なのだ、苦しみ覚悟の非行も、時には魂を慰めるために必要な時期がある、それが必要ない人は「幸いな人」と言える、私は「幸いな人」になりたかったが、なり切れなかったようだ。

人生においても60歳までの一巡りは因果の「因」であり、それが60歳(還暦)から「結果」となって表れてくる。
今書いている「貧乏太閤記」にそれを何とか盛り込もうと、書きながら思っているが・・・。




仏教の歴史 な~~ンちゃって

2022年09月02日 13時35分00秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
釈尊(お釈迦様)にしても、聖徳太子にしても仏の道を歩むようになったきっかけは世の中の無常
(生と死と病、冨と貧困、弱肉強食、権力と戦争)をより強く思ったからだという。
行きついたところは、「この世こそ地獄であり、死後こそ真の世界である」
釈尊以前の原始仏教は限定的、
そこかしこの小集団の中に個々の考え方であったようだ
釈尊は紀元前600年ころのインドの人で正確な生没年はわからない
世の様々な無常に疑問を持ち、切なくててどうしようもない
自分の正義の魂を納得させるため難行にその答えを求めた。
しかし答えを得られず、ある日、突然天啓ありて問いも答えも求めず
心を無にして座禅を続けた。 
ただひたすら座り続けてついに悟りを得た。
以後、釈尊のもとに悩める多くの弟子が集まり、
釈尊の時、どきの言葉に耳を傾けた
釈尊が入寂されるとき高弟たちが釈尊の葬儀について問うと
「それは修行僧が行うことではない、お前たちは私のことなど構わず
今この時も惜しんで修行に励みなさい」とおっしゃったそうだ。
釈尊はその教えを書物に残さず口伝で弟子一人一人、
あるいは大勢への講義で伝えた、その年数は40数年に及んだ、
だから弟子も直弟子、孫弟子、そのまた弟子くらいまで幅広く、
教えの内容も変化している。

釈尊亡き後、その膨大な教えを高弟が書物(経典)としてまとめようと
活動を始めて、各々が釈尊から伝えられた教えをもちより語った。
それらの中から正誤を検討しあい、正しいと認めた教えを年代別に
編纂していった、それらの一巻一巻が**経の経典となる、
その数は膨大であった。
やがて中国に仏教が伝わり、真の教えを知りたいと中国僧がインドへ
冒険的な旅をして経典を中国に運んだ(西遊記は、それを誇張した
空想物語にしたもの)

インドでは釈尊の教えとして統一されていたものが、中国へ渡ると
個々の僧侶は膨大な経典の中から自分が影響を特に受けたものを選び、
その経典をもとに宗派ができた。
禅、密教、一般的な宗教などにわかれその教えの方法も変わっていった、
例えば禅にしてもいくつもの宗派に分かれて微妙に解釈や目的、
修行の方法が異なっている。
さらにインド仏教の本来の姿(自分自身を修行で磨き上げて悟りを得る)を
守る保守派に飽き足らず、迷える人をより多く救うべきだという
改革派が現れた
そして広く教えを広めることから大乗仏教と呼び、保守派を
己だけを救えばよいという狭義の宗派だと罵って、保守派を
小乗仏教と呼んだ。
それは蔑称なので今は大乗仏教に対し、小乗仏教を上座仏教と呼んでいる。

天皇につながる日本固有の神道がある我が国に仏教が伝わったのは、
朝鮮の百済からでそれは釈尊が悟りを開いてから1000年近くたっている
朝鮮は百済、新羅、高句麗が相争う三国時代で中国では
隋から唐の時代だ
日本(倭国)は百済と交易をおこない友好国であった、
一方日本海側に面している新羅は百済と敵対した関係で
倭国とも敵対関係であった
一番不利な新羅は大国唐に追従して支援してもらい、
北部朝鮮から満州にかけての最大の強国、高句麗を滅ぼした。
次に百済も新羅に滅ぼされて、高句麗や百済から政治家、
文化人、僧侶、技術者などが難民となって日本に逃れてきた。
そのため日本にも一気に仏教が広まった、用明天皇の子、
聖徳太子は日本仏教講釈の第一人者で釈尊同様貴族階級にありながら、
世の中の無常を嘆き仏教により深く帰依した人である。

日本は隋、唐とは友好を結び、交易のほか僧侶や官僚を送り込んで
先進大国の政治や仏教を勉強させた
日本仏教の開祖となった空海、最澄の二人も危険極まりない
黄海を修行僧として中国にわたり密教などを学んだ。
空海は高野山で真言宗を開き、最澄は比叡山で天台宗を開いた。
中国仏教の影響が強い日本ではやはり多くの宗派が派生した、
中国でも日本でも大乗仏教が主流であり、上座仏教のインドや
東南アジアと違い、とかく権力志向、商業的になりがちであった。
権力者との結びつきをもつ僧侶も当然出てくる、貴族社会が
武家階級に政権を奪われた鎌倉末期から室町時代以降日本は
戦乱の時代に突入する
武士は領土争いで血を流し、町を焼き尽くし、農民を兵士として
強制的に戦場に引き立てていった。
田畑が荒れ、飢饉が起き餓死者があふれ、都は無残な姿となり
貴族でさえ食うものに困る有様となった
この時代を背景に日本では日蓮宗、浄土宗、やがて浄土真宗という
平民のための大衆仏教が現れた、日蓮、法然、親鸞、いずれも権力者や
既存の伝統仏教界から迫害を受けて島流しの憂き目にあっているが、
今日まで発展している。
神道を護り、キリスト教布教を許し仏教を否定した革命的武将、
織田信長は室町幕府を消滅させ、比叡山を焼き討ち、伊勢長島の宗徒を
皆殺し、本願寺と10年戦争を行った
加賀、能登(石川県)では一向宗が武士を追い払って宗教国を成立させた、
若き徳川家康も本多正信など家臣の半分が一向一揆に味方して
内戦となって苦労した。
それほどに戦国時代に武装化した宗教勢力が現れた、
それは戦乱の被害者である被災民が宗教に救いを求めて
集まった結果ではないかと思う。
古代仏教の聖地奈良でも興福寺など奈良仏教界は僧兵をもって
弱小な地域大名に圧力を与えていた。
明治維新の後、天皇を頂く新政府は神道を国教とすべく仏教は排除され
城同様に破壊された寺院が数多くあり、仏教受難の時代を迎えた。
逆に昭和の戦争でアメリカに日本が負けると、天皇と関係深い
日本人の魂とされる神道は占領軍によって警戒され、
仏教の地位は回復された。

釈尊が悟りを開いた仏教は、個人の迷い、悩みのもとを
とことんつきつめて真理を得るための修行、
あるい空と無の禅の世界であった
それが中国、日本と渡り、次第に権力との結びつき、商業主義、
俗化と変身していくものも出てきた
さらに金儲けのために神にすがる苦しみを持つ庶民を不幸に追い込む
悪徳エセ宗教まで出てくる始末だ。

古代から人や家畜が死ぬと一緒に暮らした人たちが集まって
弔いをしたそうだ
そこに僧侶の姿はない、ほんとうに悲しく、故人や愛馬、
愛犬の冥福を祈るものだけが集う。
女房殿と結婚した年に、女房殿の祖父が亡くなった
市街地から10kmほど入った山間部の農村地帯が実家で、
私も行くと隣近所の親父さんたち、奥さんたちが変わりばんこに
出入りして台所で夕食、夜食を作る
男たちは白い厚紙で仏壇にあげる紙の花を作っている、
市街地の葬式では見られない風景だった
農村部では「やうち」という親戚グループがある、
これは遠い親戚より近くの他人、あるいは祖先が一緒だった
近くの人たちの助け合い組織だ
田植えも稲刈りもこうして集団で各家の仕事を片付けていくのだ、
自由主義、個人主義の日本にあってこれは社会主義だと思う
我々世代になり、農業離れした今は、この「やうち」制度も有名無実になった

コロナが流行して葬儀も家族葬が主流だ、まちなかで並ぶものがない
力を持つ人にとって小人数の葬儀は残念であろう
葬儀は力を誇示する場として絶好である、またそれを受け継ぐ次世代に
関係者がアピールする場としても最適である。
しかし一般庶民にとってこうした家族葬は最初はとまどったものの、
普段の付き合いがない多くの人に気を使うより楽であり、
故人に集中することができてありがたい。 
ほんとうに心を寄せる人だけにお別れに来てもらえる今の姿が
本当の葬儀かもしれない。
戦後、なんでもかんでも右肩上がりで進んできた、
なんか不便なこの頃に感じるかもしれないが、絶望の淵で
落下する前に緩やかに下ったほうが良い

僧侶にしても托鉢と自らの労働で得た野菜などを糧に
コメ一粒のありがたみをかみしめて修行に励むのが
僧侶の姿だったという、1000年以上前の話だ
この豊かな時代にそれを言うのは無理難題であろう、
われら庶民がゴルフを楽しめば僧侶だってゴルフをしたい、
そういう時代なのだ
われらのレベルも時代同様に変化しているのだから、
僧侶だけ固い戒律で生きよなどというのはナンセンスだ
威張らない友達感覚で長い付き合いができる僧侶に安心感を覚える、
長い付き合いの医者と似ている。 庶民が求めているのは
安心と気軽に相談できる僧侶なのだ。

親鸞はそれまで僧侶に許されなかった妻帯、飲酒、魚食など
タブーの数々を自由にしてよいのだと言った。
出家などせず、難行もせず、ただ「南無阿弥陀仏」を10篇唱えれば
極悪人も救われると言った。
僧侶は今でもわれら庶民に葬儀、法要で説教を行う、
だが高学歴社会で人々をなるほどとうならせる説教に出会うことは少ない、
だがたまに尊敬に値する説教を聞くことがある
やはり勉強している僧侶もいるのだと安心する。

*間違った解釈 言葉 ご無礼はお許しください




















宗教ってなんだ?

2022年07月06日 09時21分55秒 | 宇宙・神秘・宗教・超古代
生まれてから今日まで、お墓参りや、仏壇参り、神社参拝のいずれかをしたことがない人はいないだろう。
仏教にしろ神道にしろ、その目的は自分の幸せ、家族の幸せを願うことは同じだ。
神道を語ると広くなりすぎるから、仏教にしぼる。

仏教の始まりはインドの釈尊(お釈迦さま)の悟りからだ。
それは万民の幸せのためなのか?
貴族、王族の幸せのためなのか?
それとも自分や家族だけの幸せを願ったものなのか?
インドは特に身分差別が顕著な国だから案外、貴族以上のためのものではなかっただろうか。
釈尊も貴族階級である、その弟子たちもまた貴族階級だったのではないか?

葬儀で僧侶が読経するようになったのは何時からだろうか?
今では葬式仏教と皮肉られるほど大衆化した人間仏教
奈良、飛鳥時代ころの渡来仏教はやはり貴族以上のものであり、皇族、貴族階級が仏教を保護し、一族の永久の繁栄と死後の安泰を願った。

貴族や僧侶からみた人間とは貴族以上であり、平民は便利の良い労働力でしかなかったかのように思える。
貴族以上から見れば民衆は言葉が通じる家畜程度にしか見えていなかったのでは?

だが貧しくひもじい、搾取ばかりされる民衆にも神にすがる気持ちはある
それは寄進や布施が必要な仏教ではなく、先祖の霊であり、自然界に起こる様々な現象を擬人化(擬神化)して恐れ敬うシャーマニズムが民衆の宗教・神道となったのではないだろうか。
それは仏教渡来より遙かに早く日本で大衆化していた。
人の心に悲しみ、慈しみ、労り、愛が芽生えた時から、死は身近であり、避けられないと知り
死も、死後も人間の力の及ばないことであり、全能の神や仏に全て任せることとしたのだ。
故に、縄文、弥生、それ以前さえ共同生活をしていた民衆でも死者どころか愛犬の弔をしていた証拠が残っている。

そもそも貴族以上と民衆の宗教のスタートは違う所から始まっていて、それは早くから身分差別があった証なのだ。

文字を持たない人間民衆に仏教が行き渡るのは12世紀になって阿弥陀経、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗。 法華経、日蓮の日蓮宗などまで待つ。
禅の宗教などは厳しい難業で自力で悟りを開くが、浄土真宗などは無知な民衆に7言の念仏をとなえていれば誰彼問わず阿弥陀様が救ってくれると、他力本願を推奨した。
故に権力に保護されてきた既存宗教から迫害を受け、島に流されたが
行く先々で布教をしたので案外、越後、北陸路で真宗門徒が多いのだ。

話しは違うが朝鮮でも民衆は文字がなく文盲であった
14世紀、朝鮮4代王世宗(セジョン)は日本の仮名にあたるハングル文字を作り、民衆に広めようとしたが、貴族階級(ヤンバン)の反対で実現せず、皮肉にも20世紀前半、日本が朝鮮を併合してから併合政策にハングル文字を普及させたという。
このように文字にしろ、宗教にしろ内外問わず貴族階級以上(日本では鎌倉時代以後は武士階級も知識階級、搾取階級として含まれる)のものであった。

万民に広がった今は逆に民衆階級の宗教離れが加速している
神棚や仏壇がない家が増え、墓もなく都会では分譲のメモリアルが登場だ。

コロナ以後、葬式も法事もささやかになり、ある意味イベント的葬儀から本来の家族葬になったのは喜ばしい。
町のメインストリート左右に200本もの花輪が立ち並び、それぞれが企業名を競い合う、あのような光景は二度と見ることはないだろう。


大正から昭和にかけての作家、倉田百三は病弱ゆえ若い頃は、救いを求めキリスト教会に通った。
その印象が強いためキリシタンだと思われがちだが、26歳の時に「出家とその弟子」を出版している。 既にキリスト教より親鸞の浄土真宗に傾倒していた。
文中にはたまにキリスト教的な解釈がまじる
(解説より)
親鸞の宗教家の面より人間親鸞の苦悩が描かれて興味深い。