光れ稲妻☆応援blog

子供の入学を機にチームの応援とチームの観戦記を自分勝手に綴るブログです。

★埼玉県予選栄光の記録~低落の理由?

2009-12-13 20:14:01 | 高校サッカー
過去にも埼玉高校サッカー情勢(PART1)として3回に亘り取り上げました。
PARTⅡ
PARTⅢ

埼玉工大グランドで行われた選手権2回戦の花咲徳栄戦の帰りに大宮東サッカー部の創設時から全盛時に部長(初年度監督)を務められていた新田先生と御一緒させていただき色々な話をさせて頂くとともにお話をお聞きすることができました。そしてその時はさして気にもしなかったのですが、色々と調べていたら、ひょっとしたら埼玉サッカー低落の始まりはこれだったのかなと・・・。全くの推測ですが。その後に中学の指導者不足、全国レベルの指導者の不足、近県に比べて魅力のある高校の不足、選手の流出、などの要因がいくつも重なってなかなか復活できないでいる。
色々な要因が重なり合って現在の閉塞的な状況に陥っているんだろうと思いますが、一番の始まりは、やはり選手の分散化に行きつくのかなというのが私の印象です。
私が車の中で率直な感想として、大宮東は去年が選手権に出場できる一番近いチームだった。だけど選手的に一枚、二枚の人材が足りず、また、サブ組みの選手層も薄かった。特に大宮東をホームグランドにしているHANの同期が色々な高校に分散してしまったことが痛かった。韓監督は同期のメンバーが揃っていたら高校サッカー界に革命を起こすことができたかもしれないと言っていましたと・・・。

先生から埼玉県内の高校で普通科の推薦入学が始まり大宮東に有能な選手が集まりにくくなった。大宮東に体育科ができたころには大宮市内の中学校も浦和に対抗して大宮東のサッカー強くしようとする土壌があり、中学の指導者も選手を積極的に送り出してくれていたが、推薦入試ができてからは、選手を勧誘に行っても断られるようになってしまった。近年、大宮東の競争率が低下しているのが気に掛かると・・・。家に帰ってきて新田先生が言われた選手は何年の卒業なんだろうと調べたり、埼玉県の推薦入学の開始された時期を調べていたら、偶然にもこの空白期間と新田先生が言っていた時期とが合致してしまいました。



★埼玉県推薦入試制度導入
1989年(平成元年)実業系高校で推薦入試50%まで。普通化実施なし。(ただし、伊奈学園では30%、普通化コースでは40%)
1991年(平成3年)普通科の一部で定員20%推薦入試実施。ほとんどが下位校。実業系高校では割合が60%に。
1993年(平成5年)普通科の大部分で推薦入試実施。(定員の25%から30%)実業系高校では65%。
1994年(平成6年)観点別評価を入試に組み入れ
1997年(平成9年)埼玉県私立高校でB推薦入試制度開始


普通科の推薦入試制度が平成3年から始まり、その生徒達が高校3年生になる平成5年からは偶然にも★栄光の記録欄が真っ白になっています。普通科の推薦入試が始まってどういうことが起こったかといいますと、「推薦入試を利用した生徒集めの動き」が起きてきた。言い方は悪いですが、公立高校による運動部選手等の「青田買い」が横行する結果になった。時を同じくして1993年(平成5年)にJリーグが発足しました。

よく表を見ると実は埼玉県の高校で国立の舞台に立っているのは武南しかありません。或る意味埼玉の高校サッカーを代表する武南の凋落が埼玉高校サッカー低落の結果と言えなくもないのですが、Jリーグユースへの選手の流出。学費の高い私立へ進学しなくとも推薦で公立高校へと選択肢が広がった。武南弱体化は1997年に始まったB推薦も影響しているかもしれません。

ようするに昭和の後半から平成前半にかけて武南と大宮東の両校が選手権出場を分けていた時のように有能な選手が両校に集まらなくなった。普通科の推薦入試の始まりとJリーグ創設により埼玉県内の選手が有力校・Jユースへと分散に拍車をかけてしまったのではないかというのが埼玉高校サッカー低落の原因ではないか。勿論他県も推薦入試制度を導入していますが、埼玉県は他県(東京都平成7年から導入)よりも入試制度の改革が先進的で早かった。あくまでも私の推測ですが・・。

いずれにしても、弱くなってしまった原因を嘆いても仕方がありません。埼玉出身の選手が、Jリーグや大学サッカーなど次のステージで活躍する姿を見るのは私のようなスポーツウォッチャーにとっても今後の楽しみです。元埼玉新聞記者河野正氏は「埼玉高校サッカーこの15年」でこのように書いています。高校サッカーでしか味わうことのできない喜びや苦しみを、上手に選手に伝えられるかに懸かる。これは埼玉の高校チームに携わる全ての人々に課せられた宿命ではないだろうか。

埼玉サッカー復権のために関係者のより一層の努力に期待するものです。


最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (追っかけ)
2009-12-13 22:31:07
そうですね、武南が強かった頃のメンバーは、FC浦和の優勝メンバーや全中の優勝メンバーがいたし、その後の進路もJ1リーグである程度活躍してましたからね。その後の2000年代のメンバーは、ほとんどJ2かあるいは、大学途中でやめるケースが多いみたいです。 戦術だけじゃベスト16の壁は、破れません。
返信する
武南出身Jリーガー (光れ稲妻)
2009-12-13 23:09:39
こんばんは。間違いでなければ2002年卒業のベガルタ仙台 細川淳矢選手以降、武南出身のJリーガーは出ていません。サッカー部の門を叩いてくる選手は150人以上はいると思います。ユースの武南Jrも抱えており、他校よりは有利な気がしますが、育成が上手く行っていないのでしょうか。
環境面の問題もあろうかと思いますが、そこを克服してきたのが今までの武南だと思いますが・・・。
返信する
Unknown (追っかけ)
2009-12-14 22:30:13
スターと言うか輝きのある選手が各ポジションに揃ってないと、、、 武南の例でいう優勝時のMF星野選手、FW柴崎選手、63回大会ベスト4時そして全中優勝メンバーMF前原選手、FW郷森選手、平成元年準優勝時の和製マラドーナFW大野選手、全中優勝メンバー埼玉で100年に一人の逸材でバルセロナオリンピック候補だったMF上野選手、埼玉選抜で同じ1年だった守備的MF照井選手そして元ユース代表で現在もJリーグでやってるGK木寺選手、もちろん翌年もこのメンバーが中軸に残り、FC浦和優勝メンバーで、その年の得点王のFW中園選手がチームに加わりベスト4、それからその2年後は、得点王に輝きタレントになったFW江原選手、元JリーガのFW浦田選手、武南現コーチ内野さん、そして現大宮アルティジャのMF斉藤選手、元レッズDF坂口選手 元鹿島DF室井選手そしてFC東京のDF金沢選手など、そうそうたるメンバーを擁してベスト4.その試合私は、雪のぱらつく中観戦してましたが、国見がいなかったら優勝できたかも? 実を言うとこの大会を最後に武南は、国立から遠ざかり埼玉高校サッカーも氷河期に入るのでした。 結局全国で勝ち上がるにはスター選手やうまい選手が数人必要なのでは?
返信する
うまい選手 (光れ稲妻)
2009-12-15 21:48:45
追っかけさん 息子の世代でFC浦和が全国優勝した時にレッズに7名、アルディージャに4名、武南Jrにも確か3名ほど入ったと思います。だけど武南Jrに進んだ子供がどこに進学したかは分かりませんが高校世代では出てきませんでした。
現状、埼玉のジュニアの県トレレベルのトップはレッズ、アルディージャ、レイソル、FC東京、三菱養和、最近出来た帝京などといったクラブに流れると思ったほうがいいと思います。その中でいかに武南に人材をひき付けられ、そして、Jrユースで育成できるかにかかってくると思います。
西武台に栄、正智深谷、西部地区では聖望、東部では昌平がサッカーに力を入れており、今まで以上に人材は揃うことはないと思います。今まで以上の工夫が必要なんだろうと思います。
返信する
Unknown (追っかけ)
2009-12-16 16:00:50
今大会の代表の西武台の出来が、これからの埼玉高校サッカーの行く先をになってると思う。 あとは、埼玉高校サッカー関係者方々がお隣の千葉県や最近復活を果たした広島県の指導方や育成方を学んで欲しい。
返信する

コメントを投稿