シンクロニシティ & etc.

日々訪れるシンクロニシティの意味の探求と、「青天井」な人間力向上の追究、その他いろいろなことについて。

組織論と個人のOS

2012-09-01 11:37:12 | 気づき

 人間というのは、いろいろな素質があり、それが環境によってはぐくまれていく中で個性と言えるものを獲得し、そのことがマクロ的には人間社会に多様性をもたらす。

 しかし、この多様性は、互いのコミュニケーションを難しくする面もある。考え方、感じ方の違いがそういう結果を招くのはとても自然だ。

 思うに、根本的なところでOSが共通していた方が、多人数で何かをするときにはコミュニケーションしやすくなり、組織は円滑に動く。

 しかしこの、OSの共通化というのはなかなか難しい。ほとんどの場合型にはめることになり、それぞれの持ち味が死んでしまうのだ。個は集団の中で埋没し、その潜在的可能性を奪われてしまう。

 その点、手前味噌な話になって恐縮だが、私のセルフマネジメントプログラムの場合、型をはずして自由になることを主眼におき、個性が伸びる。しかしその一方であらゆる年代、フィールドの人がそれを活用できる汎用性をも併せ持っている。

 ということは、共通化できる人間のOSとして適切であるということが言える。個性を活かしつつ、他との連携が図れるのだ。実際、人との連携が取りやすくなるようにデザインされているからそういうことが当然のように起きる。

 今の方向性で、全く新たな個人間の連携、そして組織化が成立することになる予感というか、確信が今の私にはある。おおげさかもしれないが、その答えは早晩出ることになるだろう。 

 これまでの組織論は、組織を構成する一人一人の能力について不問のままなされてきたようなところがあるが、今後はそうでなく、部分を構成する個人の性能を最大限に上げた上で組織化することになるのだと思う。そうでなければ、人間の可能性の扉はいつまで経っても十分開かない。個人レベルで何かやるには、世界はあまりに大きく、多様になりすぎた。