この前、表題の本を読みました。文春新書。
非常に分かりやすくグーグルについて解説しているのですが、最終章で、グーグルが巨大な権力を既に持っているし、これからもっとすごくなっていくという内容が書いてあったのが非常に興味深かったです。
確かに、金=力の時代から、情報=力の時代へのシフトが進んでいる中で、情報の検索について半ば独占的な能力を持ったグーグルが強大な権力を握ることになるのは当然の帰結と言えるのかもしれません。
後、心に残ったのが、あとがきにあった文でした。
「この本は2006年一月半ばから書き始め、ライブドアの強制捜査をはさんで二月初旬に脱稿した。テレビや新聞ではコメンテーターたちが「ライブドアはIT企業ではなかった」「企業としての実体はなかった」と勝手なことを言い散らし、あいかわらずインターネット世界への無理解を晒している。」
「しかしそうやって古い日本社会が新自由主義的な枠組みそのものを否定し、新たなイノベーションを無視している間にも、インターネットの世界は恐ろしいほどの勢いで進化し続けている。知らず知らずのうちに、グーグル的な権力は世界を覆いつつある。その認識を、われわれはきちんと持たなければならない。」
ここまではっきりと、ライブドア、グーグル、そしてインターネットについて明確に書いてある文章を今まで見たことがなかったのでインパクトがとても大きかったです。
時代が本当に大きく変わって行くときには、必ず反動的な現象が起きるものです。前の時代でのリアリティを体験しすぎ、そこから来る利益を享受しすぎた人は、次の時代のリアリティをなかなか受け入れられないに違いありません。
新しい時代の流れをとにかく否定すれば、それで多くの人が安心します。なぜなら、今のままの生き方を否定したり、変えたりする必要がないからです。でも、現実に時代が変わって行く中で、生き方をそのままにしてしまうのは、客観的にはリスキーなことであって、それを助長してしまうのは問題があるような気がします。
また、そのような、ある種反動的なコメントによって、新しい時代への移行が遅れた人が出ても、誰も責任を取ってくれません。
そういうことを肝に銘じて個人個人が自分で考えて行く必要があるように思うのです。
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