スパシーバ  プーチン

魅力あるプーチン
偽ユダヤによって捏造されたプーチン像と歴史をくずす

「闇の正体は偽ユダヤ」海外記事の移行。 

イギリスとフランス  シリアを攻撃する歴史的背景

2018-09-24 16:13:12 | コービン   英国



 ロシアの電子情報支援機IL20の撃墜に絡み、IFF(敵味方識別装置)の問題が指摘されている。


IFFが機能していればシリア政府軍が発射したS200によってロシア軍機が撃ち落とされることはないだろうというわけだが、


ロシア国防省は輸出用のS200にはIFFが搭載されていないとしている。




S200は1960年代の後半から使われている旧型のミサイルだということもあり、ロシア側が主張するようにIFFは搭載されていなかったようだ。



 しかし、IL20が撃墜されるタイミングでフランス海軍のフリゲート艦オーベルニュがミサイルを発射しているとロシア国防省は発表している。


イスラエル軍のF16戦闘機4機による攻撃とオーベルニュの攻撃が無関係だとは思えない



イスラエル軍とフランス軍は連携してシリアを攻撃したのだろう。




 本ブログでは繰り返し書いてきたが、2011年春にリビアとシリアに対する侵略戦争が始まった当初からフランスとイギリスは積極的だった。アメリカに強制されたとは言えない。



 ジョージ・H・W・ブッシュ政権で国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツは1991年にシリア、イラン、イラクを殲滅すると発言したとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が語っている。




 1991年1月から2月にかけてアメリカ軍はイギリス、フランス、サウジアラビア、クウェートの軍隊を引き連れてイラクへ軍事侵攻(砂漠の嵐作戦)したが、サダム・フセインを排除しなかった。



 ウォルフォウィッツなどネオコンはブッシュ大統領の決断に怒り、シリア、イラン、イラクを殲滅するという発言につながったのだが、


ロシア軍が出てこなかったことにも注目している。ロシア軍はアメリカ軍の行動に手を出せないと判断したのだ。




 当時、ロシアは西側巨大資本の傀儡だったボリス・エリツィンが実権を握っていた。


ロシア軍に軍事介入する力はあったのだが、アメリカに逆らわなかったのだ。


21世紀に入り、ウラジミル・プーチンが大統領に就任すると状況が変化、アメリカ従属はの力は弱くなり、2008年にはジョージア軍を使って南オセチアを奇襲攻撃したが、ロシア軍の反撃で惨敗している。



 ジョージア軍は何年にもわたってイスラエルとアメリカから軍事訓練を受け、兵器の提供も受けるなど長い準備期間を経ての作戦だった。


その作戦自体、イスラエルが立案したと推測する人もいる。


そのジョージア軍と反撃してきたロシア軍は同程度の規模だったのだが、ロシア軍が勝利するまでに要したのは96時間だけだった。




 ロシア軍とアメリカ軍が衝突した場合、アメリカ軍に待っているのはジョージア軍と同じ運命。


そのためか、2011年にリビアとシリアを侵略する場合、バラク・オバマ政権はサラフィ主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団を主力とするジハード傭兵を使った




 リビアではこうしたジハード傭兵(アル・カイダ系武装集団)とNATO軍の連携が機能してムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年10月に倒され、カダフィ自身は惨殺される。


ところがシリアは違った。シリア軍の強さもあるが、国内事情の違いもあった。


国内にアメリカなど外国勢力が使える反政府勢力が存在しなかったのだ。




 ところで、ネオコンは遅くとも1991年にシリア侵略を考えているが、1988年から93年にかけてフランスの外相を務めたロラン・デュマによると、

イギリスとフランスは2009年の段階でシリア侵略を目論んでいた可能性が高い。


彼はあるパーティーでイギリス人とフランス人のふたりからシリア政府の転覆工作に加わらないかと声をかけられたというのだ。


そのふたりが誰かは語られていないが、ニコラ・サルコジ政権やフランソワ・オランド政権はシリアでの平和を望んでいないとデュマが判断するような相手だったという。



 また、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、2011年3月にシリアでは大規模な反政府行動があり、

政府が暴力的に参加者を弾圧しているとする報道があった際にシュバリエは現地を調査、


抗議活動は大規模な者でなく、すぐに平穏な状況になったことを確認し、そのようにパリへ報告したのだが、ジュッペ外相はそれを無視するだけでなく、


シリアのフランス大使館に電話して「流血の弾圧」があったと報告するように命じたというのだ。


「独裁者による民主化運動の弾圧」というストーリーをフランス政府は求めていた。勿論、侵略を正当化するためだ。



 2011年当時から言われていたが、イギリスとフランスは「サイクス・ピコ協定(小アジア協定)」のコンビ。



第1次世界大戦の最中、16年5月にイギリスとフランスは帝政ロシアも巻き込んで利権の獲得を目的とした秘密協定を結び、

6月にイギリス外務省アラブ局はアラブ人を扇動して反乱を起こさせたのだ。


この部署に所属していたひとりがトーマス・ローレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」である。


この人物を主人公としたイギリス映画がデビッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演で作られた理由は言うまでもないだろう。



https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809220000/











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嘘の泥沼のなかで 嘘をはき続けるイギリス政府

2018-09-07 11:52:44 | コービン   英国


 イギリスのソールズベリーで3月4日にあったとされている神経ガス「ノビチョク(初心者)」による攻撃に関する新たな声明をテレサ・メイ首相は発表したが、本ブログで繰り返し書いてきたが、実際にそうした攻撃があったことを示す証拠はない



 ノビチョクの毒性は別の神経ガス「VX」の10倍だと言われている。



VXガスの致死量は体重70キログラムの男性で10ミリグラムと言われているので、単純に考えるとノビチョクは1ミリグラムにすぎない。


本当に攻撃のターゲットになったなら、死亡する可能性が極めて高いだろうが、ターゲットになったというセルゲイ・スクリパリとユリア・スクリパリの親子は退院、ユリアは元気な姿をロイター取材陣に見せ、そのときの映像が流された。(​記事​、​映像​)










 メイ政権はGRU(ロシア軍の情報機関)のエージェントふたりを容疑者だと主張、その映像を公表したのだが、そのスナップショットが奇妙だと話題になっている。


ふたりが同じ通路の同じ場所で撮影されたスナップショットをロンドン警視庁はアップロードしているのだが、


2枚とも撮影されたのは2018年3月2日16時22分43秒ということになっている。


同時に撮影されたということになるが、写真にはそれぞれひとりずつしか写っていないのだ。









 アメリカ政府と同様、イギリス政府も明らかな偽情報を口実にしてロシアを「制裁」している。


両国とも嘘を取り繕うために新たな嘘をつくことを強いられているが、限られた嘘を繰り返さざるをえないという事情もあるのだろう。




 ちなみに、セルゲイはGRUの元大佐で、スペインに赴任中の1995年にイギリスの情報機関MI6に雇われ、99年に退役するまでイギリスのスパイとして働いていた。


そうした事実が退役後に発覚して2004年12月にロシアで逮捕され、06年には懲役13年が言い渡されているが、


10年7月にスパイ交換で釈放され、それからはソールズベリーで生活していた。


本人もイギリスの当局も命を狙われるような状況にはないと判断していたようで、本名で生活していた。娘のユリアは2014年にロシアへ戻っている。




 3月4日直後から元ウズベキスタン駐在イギリス大使のクレイグ・マリーは、イギリス軍の化学兵器研究機関であるポート・ダウンの科学者は使われた神経ガスがロシアで製造されたものだと特定できなかったと語っていた。


​ポートン・ダウンにあるDSTL(国防科学技術研究所)のチーフ・イグゼクティブであるゲイリー・エイケンヘッドもスカイ・ニューズの取材でマリーと同じ説明​をしている。



​https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809060000/










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007 スクリバリ親子の生死

2018-08-24 13:37:41 | コービン   英国



8.23 スクリパリ氏の親族、同氏は生きていないのではないかと疑う


英国で毒物による襲撃を受けたロシア軍参謀本部情報総局(GRU)のセルゲイ・スクリパリ元大佐と娘のユリアさんの親族は、


スクリパリ元大佐は生きていないかもしれないと考えている。スクリパリ氏の姪、ヴィクトリヤ・スクリパリ氏が、通信社スプートニクに語った。


スクリパリ元大佐の娘ユリアさんが最後に親族に電話をしたのは、7月末の祖母エレーナ・ヤコヴレヴナ・スクリパリさんの誕生日だった。


ユリアさんは、父親のスクリパリ元大佐は回復に向かっているが、気管切開をしたため話すことができないと語った。


ユリアさんは、近いうちにチューブが取り外される予定であるため、チューブが外されたら父親が親族に電話をすると約束したという。



だが未だにスクリパリ親子から電話はない。


ヴィクトリアさんによると、親族は、スクリパリ元大佐は生きていない、あるいは重態なのではないかと考え始めているという。


またヴィクトリアさんは、2006年にロンドンでロシア連邦保安庁のアレクサンドル・リトビネンコ元中佐が毒を盛られた時のように、報道にスクリパリ元大佐の写真がないのはおかしいと語った。



米政府は8日、英国で3月に起きたロシアが関わったとして英国が非難しているスクリパリ親子の毒殺事件を受け、ロシアに対する制裁を実施すると明らかにした。













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覇権の起源(2)ユダヤ・ネットワーク  田中宇  (2008年記事)

2018-08-21 17:02:21 | コービン   英国


 この記事の前編で、1789年のフランス革命後、農民から国民・市民になったフランスの人々の愛国心を活用してナポレオンが全欧州征服を試みたが、


イギリスが他の欧州諸国と反仏同盟を作って抵抗し、1815年にナポレオンを敗北させたことを書いた。



その後、仏を打ち破って欧州最強になった英は、欧州大陸諸国が団結せぬよう、また一国が抜きん出て強くならないよう、各国の力の拮抗を維持する均衡戦略(バランス・オブ・パワー)を、外交力や諜報力を駆使して展開し、


1914年の第一次大戦まで、欧州を中心とする世界における覇権体制(パックス・ブリタニカ)を実現した。



 ここで疑問が湧く。


なぜ英は、仏を打倒した後、仏と同様に軍事力で欧州支配を確立するのではなく、外交力と諜報力を駆使した均衡状態の維持という、ややこしい戦略を採ったのか。


軍事力ではなく、外交・諜報力を使う方がコスト的に安くつくので、英国式の方が効率が良いからという答えが、すぐ思いつくが、


ならば英のずば抜けた外交諜報力の源泉は、どこにあったのか。


優秀な外交官やスパイをがんばって育成するという月並みなやり方なら、仏やスペインなど当時の他の欧州諸国も英国なみに他国を操る策略がやれたはずだが、そうはならなかった。



 この問題に対する私なりの答えは「ユダヤ・ネットワーク」である。


中世以来の欧州において、国際的なネットワークを持っていたのは、貿易決済の金融網を持っていたユダヤ人だけで、彼らは金融能力を生かして各国政府から資金調達を任され、各国政府の内部事情に通じていた。




ユダヤを重用したプロテスタント的イギリス


 ユダヤ・ネットワークといっても、関係していたのはユダヤ人の中のごくわずかの金融貿易業者だけだ。


当時のユダヤ人の9割以上は、東欧、ロシアで主に農民(農奴)をしていた「アシュケナジー」(ドイツ系)と呼ばれる人々で、彼らはネットワークと関係なかった(9世紀のハザール汗国で改宗した人々)。


商業ネットワークに入っていたのは、環地中海貿易圏の北アフリカ、南欧から西欧に広がっていった「スファラディ」(スペイン系)と呼ばれる、総数が数万人程度の少数派のユダヤ人で、


彼らは西欧の多くの国で弾圧され、各都市の閉鎖居住区(ゲットー)に住みつつも、金融や貿易、財政運営の技能をかわれ、宮廷ユダヤ人として、各国政府にこっそり重用されていた。



 フランスやスペイン、オーストリアといった当時の欧州の有力国は、いずれもカトリック教徒の国で、ユダヤ人は「キリストをはりつけにした人々」として弾圧の対象だった。


これに対しイギリスは16-17世紀の宗教改革、ピューリタン革命の流れの中で、プロテスタントが親近感を持つユダヤ教徒との政治的な親密さが増した。


経済的にも、イギリスは貿易に力を入れたので、同じくプロテスタント・ユダヤ同盟体だった自由貿易のオランダ共和国との対抗もあり、イギリス中枢では積極的にユダヤ人が受け入れられた。



 イギリスのユダヤ人の中でも、特にロスチャイルド家は力があり、18世紀からイギリス・フランス・ドイツなどにネットワークを張っていた彼らは事実上、


英政府の一部として機能し、19世紀のパックス・ブリタニカの成功に貢献した。


産業革命後の欧州では、資本家にとって、欧州各国が戦争ばかりやっている状況(各国に戦費を貸し付けて儲ける策略)より、全欧的に政治の安定が続き、経済が発展して消費と工業化が拡大した方が儲けが大きかった。



 19世紀から現在まで、イギリスは世界最強の諜報技能を持っており、ほとんどこの技能だけで国を存続させている(経済の主力である金融も諜報技能が大事な業種であり、ユダヤ人の産業だ)。



英のMI6(SIS)、米のCIA、イスラエルのモサドという世界3大諜報機関は、いずれも英諜報機関から派生した。


米英イスラエルはいずれも、ユダヤ人の力で発展した国でもある。


ソ連のKGBも強い諜報機関だったが、ロシアでは中世から経済がユダヤ人の担当だった(18世紀まで、モスクワでは「ジャーマンタウン」と呼ばれたゲットーのユダヤ商人が対欧州貿易を握っていた)。



 諜報機関の起源がユダヤ資本家のネットワークであるなら、彼らは政治謀略だけでなく、金融謀略を行う技能もあるはずだ。


戦争や政変だけでなく、相場の暴落、急騰などの背後には、諜報機関が動いていると疑った方が良いことになる。





▼効率良い国家体制の試行錯誤


 イギリスが均衡戦略によって欧州の覇権国になれたことは、諜報と金融の国際的な「ネットワーク」を使って、イギリスが欧州大陸諸国の政治を外から操作できたことを意味する。



イギリスに限らず「ネットワーク」を使いこなす勢力は、諸国の政治を操り、世界を間接支配できることになる。


このような「ネットワーク」の存在を前提に考え直すと、国際政治は、常識的に考察されているものとは全く別の特徴を帯びる。


まっとうな議論から排除されてきた陰謀論を視野に入れざるを得なくなる。



 18世紀後半から19世紀にかけての欧州では、産業革命がイギリスから全欧に広がり、農民が都市労働者に、農奴が市民に転換し、王侯貴族と教会の支配が崩れ、民主主義と資本家の影響力のある国民国家が作られた。


この変化が自然に起きたはずはなく、どのような国家体制が効率的か、多くの実験的な発案や実践が行われた。


またこの時期は、国際的には、産業革命で強くなり、交通革命によって移動時間を短縮した欧州が、世界を市場や原材料生産地として経済支配する体制が確立した。


国家の政治経済体制と同様に、国際的な政治経済体制についても、分析と議論と実験的な実践が行われた。




 いずれの動きも「正史」としては、大した背景もなく偶発的に新たな政治哲学が出てきて、革命や改革が行われたという平板な話になっている(学校の世界史は本当につまらない)。



正史は建前だけで書かれ、国家体制や国際政治体制に外から影響を与える勢力など存在しないことになっている。


だが「ネットワーク」の関与を仮定すると、平板さの陰に隠れたダイナミズムが洞察できる。



 たとえばフランス革命は、資本家が都市住民や農民を扇動して決起させ、王侯貴族と教会というそれまで国家運営の特権を持っていた勢力を潰し、


国民国家という、愛国心に裏づけられた納税制度で財政が強化される国家体制を確立したという意味がありそうだ。


仏以外の国々の王侯貴族は国民国家になることに抵抗したものの資本の論理に従わざるを得ず、折衷策として立憲君主制が作られつつ、国民国家制度は世界中に拡大された。




 前編で、イタリアとドイツの統一建国は、フランス包囲網の一環としてイギリスが1815年のウィーン会議で「予約」したと書いたが、


これも資本の論理で見ると、イタリアとドイツに国民国家を作って投資対象として強化する話になる。


ドイツ統一の中核となったプロシアは18世紀後半からユダヤ人の移民を積極的に受け入れ、経済を発展させて国家財政を黒字化し、成功した(当時の欧州の大半の国は財政が赤字だった)。


1880年代、ウイーンの弁護士と物理学者の6割はユダヤ人だった。


ナチス以前のドイツは、ユダヤ人に頼る国だった(製造業はドイツ人だが、金融や知識産業はユダヤ人という状況を破壊するため、ナチスはユダヤ人を収容所に入れた)。


 19世紀の欧州では、共産主義からファシズムまでの多様な政治の哲学的思考と活動実践などが開花したが、これも国家経済成長の高速化を課題とする資本の論理に合致し、資本家好みの展開だった。(資本家との分業体制なのか、革命家、思想家にはユダヤ人が多い


 国家の実践的な政治戦略として見ると、共産主義(社会主義)は、国民を形成できるところまで国内が結束していない地域において、人々を「人民」として結束させ、擬似的な国民国家を形成する手法であり、国民意識が形成されるまで待つ手間が省ける。


ファシズムは、すでに形成された国民国家で、政府への結束を強制的に強めるターボエンジン的な手法である(ファッショはイタリア語で「結束」の意)。


欧州内で後発の国民国家となったイタリアとドイツで、先発諸国に追いつくために導入された。



 資本主義を嫌う社会主義国に、資本家が投資するのか、という疑問が出そうだが、その常識は建前にすぎない。


社会主義国と資本主義国が対立したのは1947年以降の冷戦時代だけであり、それ以前はソ連と欧米の関係は悪くなかった。




▼アメリカの独立と産業革命


 1776年のアメリカ合衆国のイギリスからの独立と建国も、国際政治の実験として見ると興味深い。


米が独立した時期は、産業革命が始まって英の工業生産が増え出し、米が英から産業革命の波及を抑制されて、英製品の市場の状態に甘んじるか、米自身が産業革命を行って工業化していくかという岐路であり、


米は英から独立することで、英製品を売りつけられることを阻止し、独自の工業国になる道を進んだ。米に投資した資本家は、英からの独立を支援したはずである。



 この一件からは、資本家は親英の一枚岩などではなく、英が儲からない国家戦略に固執したら英を見捨てる存在だということがうかがえる。


実際、19世紀末、英の経済力が陰り出すと、国際資本家の中心地はロンドンからニューヨークに移り、ニューヨークの資本家は覇権を英から米に移転させようとして、2度の大戦を誘発した。



 独立当時、アメリカの中心地はボストンだった。だがその後、米経済の中心はニューヨークになり、金融資本家の拠点はすべてニューヨークだ。なぜこうなったのか。


その理由はおそらく、ニューヨークがかつて、ユダヤ資本家の戦略によって世界初の自由貿易として繁栄していたオランダの北米拠点「ニューアムステルダム」だったからだろう。

ニューアムステルダム市のユダヤ人たちは、オランダが英に負けて同市が英領になってニューヨークと改名された後も同市に住み続け、米独立時にはユダヤ人の拠点となっていた。



 ボストン拠点のプロテスタントと、ニューヨーク拠点のユダヤ人は、宗教的にも聖書重視で親密性があり、米は独立時から、全欧的なユダヤネットワークの拡大された一部として機能していたと推測できる。


しかし米中枢の人々は、独立直後から、英が形成していた均衡戦略には取り込まれず、独自の影響圏を形成する戦略を持っていた。


その象徴が、1823年のモンロー宣言である。この宣言は「中南米はアメリカの影響圏なので、欧州諸国は中南米の政治に介入するな。その代わり米も欧州の政治に介入しない」という宣言である。





▼中南米独立の均衡戦略とモンロー宣言


 中南米地域はスペインとポルトガルの植民地だったが、1808年にナポレオン戦争でスペインがフランスに征服され、スペインが中南米を支配できなくなると、そのすきに中南米では独立戦争が起こり、1811年のベネズエラ(グランコロンビア)を皮切りに、1822年までに中南米各地で独立が宣言された。



 当時の中南米は、ブラジルがポルトガル領、その他の大部分はスペイン領で、ブラジルは一つの巨大な国として独立したが、スペイン領はいくつもの国に分裂して独立した。


なぜ分裂したのか。私の推察は、イギリスが「同じぐらいの大きさの国を拮抗させて均衡状態を作る」という覇権戦略の一環として、中南米を分割状態で独立させたのではないかということだ。



 ナポレオン戦争時、スペインはフランスに征服されたが、ポルトガルはイギリスの支援を受け、政府が植民地ブラジルのリオデジャネイロに避難していた。


宗主国から切り離されていたスペイン領は、イギリスの謀略で分割されて独立したが、ブラジルにはナポレオン戦争後、ポルトガル皇太子が国王になる形で形式的に独立し、分割されなかった。



 当時の中南米の最大の貿易相手国は、宗主国のスペインなどではなく、国際貿易全体のかなりの部分を握っていたイギリスであり、中南米は経済的にイギリスの影響が強かった。


そもそもコロンブスらが15世紀に中南米まで探検に出かけたのは、スペインがキリスト教を強化する目的でユダヤ人に追放令を出し、ユダヤ資本家(スファラディ)は探検費用を出して新天地を探す必要があったからだ。


その流れで、スペインやポルトガルから中南米に移民した人々の中にはユダヤ人が多く、彼らは貿易や経済を握り、スペイン系(クレオール)のエリートとともに植民地経営を動かしていた(現在の中南米諸国も同様)。


 中南米では、ユダヤ人の経済的影響力が大きく、イギリスとの経済関係が強いとなれば、イギリスが貿易独占権の強化を狙って中南米を独立させる際、均衡戦略にそって、大陸内の拮抗状態が生じるような分割的な独立を誘導することは十分に可能だ。


イギリスは、中南米各地の有力者に対し、バラバラに独立支援すればいいだけだった。



 中南米の独立戦争の英雄として、グラン・コロンビアのシモン・ボリバルとアルゼンチンのホセ・デ・サン=マルティンが有名だが、


ボリバルは外交官としてイギリス勤務の経験があるし、サン=マルティンは独立戦争支援のために1812年に欧州からアルゼンチンに戻る際、イギリスにあった中南米独立運動の組織と会合した後、英軍艦に乗ってアルゼンチンに上陸した。英は、中南米の独立を支援していた。(関連記事)



 かくして1810-20年代に中南米は独立したが、ナポレオンが追放されて一段落し、復活したスペイン政府は、中南米の再植民地化を画策し、新政府となったフランスと結託して動き出した。


前世紀に英との植民地争奪戦に敗れて北米から撤退したフランスは、新大陸の支配復活が夢だった。



イギリスはこの動きを防ぐため、得意の均衡戦略の方式で、アメリカに呼びかけて米英が組み、西仏に警告を発して翻意させることを目指した。



 しかし、アメリカは全く違うことを考えていた。


モンロー大統領の米政府は、イギリスからの誘いを断って、単独で、西仏に対して警告を発した。

これがモンロー宣言である。


この宣言は同時に、イギリスへの敵対的な警告にもなっていた。


「イギリスを含む欧州諸国は、中南米の政治に介入するな」と宣言したからである。


アメリカはイギリスに対し「南北米州を均衡戦略に基づく英覇権の範囲内に入れるな。南北米州はアメリカ影響圏である」と要求・宣言したのだった。(関連記事)



 イギリスは、せっかく中南米を英国式の均衡戦略で独立させたのに、アメリカに漁夫の利をとられてしまった。


イギリスは、欧州からの自立(孤立)を宣言するアメリカに「孤立主義」のレッテルを貼った。


だが、その後30年もすると、アメリカは工業化によって高度成長して経済大国になり、やがてイギリスをしのぐ国力を持つに至った。



 モンロー宣言に始まるアメリカの独自の世界戦略はその後、2度の大戦を通じたイギリスからの覇権奪取の試み、英が誘発した冷戦によってその試みが挫折したこと、そしてその後のニクソン・レーガン・ブッシュの共和党3政権による隠れ多極主義の流れへとつながっていく。




 何日もかかって苦心して書いた割には、第一次大戦にすら到達できず、多極主義の核心部分を説明するまでに至らなかった。


だが、覇権とユダヤ・ネットワークとの関係は、なぜイスラエルやネオコンなどのユダヤ人が、これほどまでに覇権や戦争、国家システムの創設と破壊、政権転覆などの謀略に長けているのか、という疑問に対する答えとなっている点で、非常に重要である。


そのため今回は、18-19世紀の世界史(欧州史)に特化して分析・推察した。



http://tanakanews.com/080829hegemon.htm



















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世界の黒幕 大英帝国  執拗にロシア悪魔化

2018-08-04 14:22:28 | コービン   英国


☆ コービンは 英国のディープステートと 戦っていると 私はおもいます ・・・












8.3 大使館にロシア人スパイと英紙報道 米シークレットサービスは否定


米シークレットサービスが、在モスクワ米大使館で10年間勤務したロシアの女性スパイに関する英紙ガーディアンの報道は、根拠のない情報を用いて作成されたと発表した。



「記事は『匿名』筋の主張に基づいた無責任で不正確な報道だ。」と米シークレットサービスのサイトで指摘



また、ガーディアン紙が記事を公開する前に、シークレットサービスは編集部に公式声明を提供し、根拠のない情報を明らかに否定する一般的な情報を伝えたという。




ガーディアンは先に、情報機関筋の話として、


ロシアの連邦保安局(FSB)とつながりを持つロシア人女性が10年間、モスクワの米大使館で勤務し、雇用先の米シークレットサービスの文書にアクセスしていたと報じた。


同紙は、シークレットサービスが必要な検査を行わず、女性が民主党のサーバーハッキングに役割を果たした可能性があるとして、この件が独立した調査に値すると主張している。



同紙の情報筋は、ロシア人職員が組織のイントラネットと電子メールへのアクセス権を持ち、米大統領と副大統領のスケジュールへのアクセス権を持っていた可能性もあるとした。






◎  昨今の国際情勢は、「軍産複合体」(深奥国家、軍産)の存在が見えていないと理解できない。


軍産は、米国の諜報界を中心とする「スパイ網」で、


第2次大戦後、米政界やマスコミ、学術界、同盟諸国の上層部に根を張り、


冷戦構造やテロ戦争(第2冷戦)の世界体制を作って米国の覇権体制を維持してきた。


米国の諜報界は、第2次大戦中に英国(MI6)の肝いりで創設され、当初から英国に傀儡化・入り込まれている。


英国は冷戦終結まで、英米間の諜報界の相互乗り入れ体制を使い、軍産の黒幕として機能し、英国が間接的に米国覇権を動かしてきた。



911後、英国の代わりに、中東情勢に詳しいイスラエルが軍産の黒幕となった。 (覇権の起源)



http://tanakanews.com/180724trump.htm










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ビッグベンに「赤い十字」

2018-07-12 15:48:46 | コービン   英国








7.12 英国を象徴する建造物ビッグ・ベン、改修後は元の姿に


ビッグ・ベンの愛称で知られるウェストミンスター宮殿に併設されている時計塔の改修工事は2021年までに完了し、時計の文字盤は歴史的な青色と金色に戻り、


文字盤の境目には伝統的な赤い十字が描かれた白い盾が復活する。ガーディアン紙が報じた。


1930年代、汚れや埃を目立たなくするため、盾は黒と金色に塗られた。


そしてこの度、文字盤の部分も金色と青色の元の色になるという。


また英国を構成する4つの地域のシンボルも戻ってくる。


イングランドのバラ、スコットランドのアザミ、北アイルランドのシャムロック、ウェールズのリーキもビッグ・ベンに復活するという。



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もはや人間ではない 英国の執拗な偽旗 ロシア犯人説   汚いゲーム

2018-07-06 14:24:41 | コービン   英国



7.6 英内相、ロシアに説明求める 新たな「ノビチョク」被害


英エイムズベリーで男女2人が神経剤「ノビチョク」の被害を受けたとして、ジャビド英内相はロシアに説明を求めた。



エイムズベリーは、3月はじめにロシア軍参謀本部情報総局(GRU)のセルゲイ・スクリパリ元大佐とその娘ユリアさんが毒殺未遂事件に遭った英ソールズベリーから11キロ離れた場所にある。英紙デイリースターが報じた。



ジャビド内相は庶民院(下院)で


「全世界がロシアに注目している。そして理由はワールドカップだけではない。何が起きたのかそろそろ説明する時がロシア政府に訪れた」と指摘した。



英紙デイリースターによると、ジャビド内相はまた、ロシア政府が英国の安全保障を損なっていると非難し、

内務省がそのような行動に断固として対応すると付け加えた。


「英国の人びとが意図的ないし偶然の標的になり、英国の通り、公園、街が毒溜めになることは決して容認されない。」



ロシア政府は一方、治安当局レベルを含む協力の用意を示しつつ、


英ソールズベリーとエイムズベリーの事件に対する本格的な調査を立ち上げることを英国政府に一度ならず提案。


しかし答えはまだ受け取っていない。


ロシア外務省のザハロワ報道官は非難が根拠の無いものだと反発し、


「メイ政府がしてしまったこと全てに対し、ロシアそして国際社会に対して英政府とその代表は謝罪することになる」としたうえで


「だが英国でよくあるように、これは後のことだ。だが起きることだ」と主張した。


















7.6 露外務省、エイムズベリーとソールズベリーの毒物中毒事件は、「汚い政治的ゲーム」


ロシア外務省のザハロワ報道官は、英エイムズベリーとソールズベリーでの毒物中毒事件について、「汚い政治的ゲーム」と指摘した。



報道官はブリーフィングで「英国の治安機関が同国の一部の勢力がもくろんだ汚い政治的ゲームには加わらず、ついにロシアの治安機関と協力を始めるよう呼びかける」と述べた。


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英軍がシリア東部で空爆

2018-07-05 14:38:01 | コービン   英国


 ​イギリス軍のタイフーン戦闘機がシリア東部、ヨルダンとイラクとの国境近くで親シリア政府の武装勢力を爆撃​したとサンデー・タイムズ紙が7月1日に伝えている。


この爆撃でシリア政府軍の兵士ひとりが死亡、7名が負傷したという。


ここにきてシリアやリビアでイギリス軍やフランス軍の動きが目立つようになってきたが、この攻撃もそうした流れでのことだと言える。



 ロラン・デュマ元フランス外相によると、シリア侵略が始める2年前の2009年、

彼はイギリスでシリア政府の転覆工作に加わらないかと声をかけられたという。


声を掛けてきたふたりが誰かは語られていないが、ニコラ・サルコジ政権やフランソワ・オランド政権がシリアでの平和を望んでいないとデュマに判断させるような相手だったという。



 また、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、西側のメディアやカタールのアル・ジャジーラがシリア政府が暴力的に参加者を弾圧していると伝えていた当時、


実際は限られた抗議活動があったものの、すぐに平穏な状況になったことが調査で判明していたという。リビアでも西側メディアが宣伝したような弾圧はなかった。




 勿論、アメリカもシリア侵略を狙っていた。


本ブログでは繰り返し書いてきたが、遅くとも1991年に国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたいう。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の話だ。(2007年​3月​、​10月​)



 ​調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事​によると、

アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したとしている。



 2007年当時のアメリカ大統領はジョージ・W・ブッシュだが、

次のバラク・オバマが2010年8月に出したPSD11はムスリム同胞団を使った体制転覆計画。


これは「アラブの春」という形で現実になる。


「民主化」というイメージを強調するため、1968年の「プラハの春」をもじったのだろうが、実際は傭兵を使ったクーデターにすぎなかった。


目的は石油をはじめとする利権の維持と拡大。「南」からの略奪なしに「北」の支配体制は維持できない。




https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201807050000/





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ソールズベリー近くで 正体不明の物質

2018-07-04 17:48:21 | コービン   英国








7.4 英ソールズベリー近く 不明物質が原因で2人搬送


英ウィルトシャー州警察は、ソールズベリーに隣接するエイムズベリーで「深刻な事案」が発生したと4日朝に発表した。


2人が「正体不明の物質の影響を受け」、重体となって病院に搬送されたという。



先月30日の夕方、ある家で40歳の男女それぞれ1人が意識を失った状態で発見されたとの通報が警察に入った。



声明では、「当初、患者は2人ともヘロインあるいは純粋でない喫煙用コカインを使用した後に体調が悪くなった可能性があるとみられていたが、

現在、患者らの状態悪化を誘発した物質の特定を目的にさらなる分析が行われている」と述べられている。


現在、男女はソールズベリーの病院に入院している。2人の容態は重体と評価されている。



2人の中毒症状が犯罪の結果なのかどうか、治安機関が検証を進めている。


被害者2人が訪れた可能性があるソールズベリーとエイムズベリーにある場所は、安全確保を目的に封鎖されている。




英保健省報道官は、社会の多くの人々の健康にとって「著しい脅威」はないと説明している。



3月4日、英南西部ソールズベリーでスクリパリ氏と娘のユリアさんが何らかの物質の中毒により重体の状態で病院に搬送された。


なおロシアでスクリパリ氏はスパイ行為で有罪判決を受けている。


英国は襲撃事件にはロシアが関与していると主張しているが、未だにその証拠が提示されていない。


ロシアは同事件への関与を断じて否定し、英国の非難を証拠のない挑発だと指摘している。







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毒殺未遂露関与に スールズベリーで疑いの声

2018-06-21 15:49:01 | コービン   英国



6.21 ソールズベリーでスクリパリ親子毒殺未遂への露関与に疑いの声


ロシアが関わったとして英国が非難しているスクリパリ親子の毒殺実行に対する動機を、

国の選挙とサッカーW杯ロシア大会の直前の時期に、ロシアは有していなかった。


このような結論に、自宅がセルゲイ・スクリパリ氏の家に隣接しているソールズベリーの住民、リザ・ケリーさんが至ったと、

ニューヨーク・タイムズ紙が伝えている



まさにこの時期に、世界の全ての関心がロシアに集中したと、ソールズベリーの45歳の住民は指摘している。


このような意見はソールズベリーで広まっているものではないが、ロシアの関与に対する同じような懐疑的態度は、3月に襲撃が行われた英国の町の他の複数の住民にも存在していると、ニューヨーク・タイムズ紙は指摘している。



スクリパリ親子に対する襲撃の直後、英国は対ロシア「統一戦線」を動員することで世論を納得させることができた。



しかし、その後、英政府は世論に対して散漫になったと、同紙は伝えている。



市の会議のリーダーで地元のパブを所有するマシュー・ディンさんは、


現在まで英政府から回答がない一方で、ロシア政府だけが話していると指摘。


ソールズベリーの住民の大多数が英政府による説明に満足しているが、明らかにされていない複数の問題について指摘している「巨大な数の人々」もいると付け加えている。



3月4日、英南西部ソールズベリーでスクリパリ氏と娘のユリアさんが何らかの物質の中毒により重体の状態で病院に搬送された。


なおロシアでスクリパリ氏はスパイ行為で有罪判決を受けている。


英国は襲撃事件にはロシアが関与していると主張しているが、未だにその証拠が提示されていない。



同事件に関連し、英国のメイ首相はロシア外交官23人の1週間以内の国外追放や、ハイレベルでの2国間コンタクトの凍結などを含むロシアに対する一連の措置を発表した。



これを受けてロシア外務省は英国大使館職員23人の国外退去処分、また在サンクトペテルブルク英総領事館の閉鎖や、その地位の曖昧さに関連して英国の機関「ブリティッシュ・カウンシル」の活動停止を通告した。



ロシアは同事件への関与を断じて否定し、英国の非難を証拠のない挑発だと指摘している。


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