つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

国定忠治の「手打ち式」

2020年09月21日 | 社会

                      辰巳柳太郎の「国定忠治」

(読売新聞より掲載)
 江戸後期の侠客(きょうかく)・国定忠治(1810~50)と忠治に命を奪われた博徒らのそれぞれの子孫が、地元の群馬県伊勢崎市で「手打ち式」を行い、約170年ぶりに和解した。
 手打ちをしたのは忠治の子孫と、忠治との縄張り争いなどで命を落とした「島村の伊三郎」、「三室の勘助と勘太郎」父子の子孫。
 いずれも同市内に住みながら、過去の遺恨などから会う機会はなかったが、忠治の生誕200年を前に、ファンの集まり「いせさき忠治だんべ会」(桜場弘美代表)や同市が「地域の活性化につながる話題を」と、それぞれの子孫に働きかけて実現した。
 この日は、それぞれの先祖の墓参りをした後、同市内の式場で、奉行役で裃(かみしも)姿の市職員らの立ち会いのもと、「合わせの儀」「盃(さかずき)の儀」などを行った。

(9月21日記)


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