祝嶺育代最高師範による「バッサイ大の型」
祝嶺の型研究会の奉納演武の大トリは、代表者である祝嶺育代最高師範による古流「バッサイ大の型」であった。
◆バッサイの型
この型を構成する技のなかに、相手の堅牢な包囲陣を切り抜けるに必要な術技があるところから、つまり「抜塞」のあて字を使って呼ばれたものである。
バッサイの型には珍手珍技もたくさんあるが、とくに作戦の理法を演技のなかにとりいれてあるところに妙味があり、それが型のもち味をいっそう高度なものにしている。
この型を演練するときは、勇壮果敢に術技を展開しているなかで、作戦や戦法に対する冷静な判断を必要とし、さらに術技の効果を得るための正確さを演練しなければならない。
空手を修錬した人たちが好んでバッサイの型を演武するわけは、術技万能になりがちな基礎段階では、術技のなかで味わえなかった作戦の要素が含まれているからで、つまり考える術技と考えるゆとりを必要としてこの型が演武されるからである。
祝嶺育代最高師範のバッサイの型は、凄みと迫力さが表現されていた。演武のなかで作戦の工夫が盛り込まれている充実さが伝わってくる。型の訓練をかなりしたものと伺えた。
祝嶺正献最高師範の創作された玄制流空手道の正統なる継承を事理一体となって研究し研鑽している活動は賞賛に値する。
祝嶺正献最高師範は8年前に医学的な死を迎えたわけでありますが、このように祝嶺正献最高師範の創始した玄制流空手道、躰道を後進の会員たちに正しく伝承していこうとする人たちがいる限り、祝嶺正献最高師範の精神は、いまだにこの世に生きているわけです。
高弟の指導者のなかには、自分流の法形や考えを打ち出して強要している者も出ているが、祝嶺正献最高師範の教えを基礎から学ぶ必要がある。そうでないと祝嶺正献最高師範の創作された躰道は浮かばれない。精神的な死を迎えてはならない。
(12月6日記)
祝嶺の型研究会の奉納演武の大トリは、代表者である祝嶺育代最高師範による古流「バッサイ大の型」であった。
◆バッサイの型
この型を構成する技のなかに、相手の堅牢な包囲陣を切り抜けるに必要な術技があるところから、つまり「抜塞」のあて字を使って呼ばれたものである。
バッサイの型には珍手珍技もたくさんあるが、とくに作戦の理法を演技のなかにとりいれてあるところに妙味があり、それが型のもち味をいっそう高度なものにしている。
この型を演練するときは、勇壮果敢に術技を展開しているなかで、作戦や戦法に対する冷静な判断を必要とし、さらに術技の効果を得るための正確さを演練しなければならない。
空手を修錬した人たちが好んでバッサイの型を演武するわけは、術技万能になりがちな基礎段階では、術技のなかで味わえなかった作戦の要素が含まれているからで、つまり考える術技と考えるゆとりを必要としてこの型が演武されるからである。
祝嶺育代最高師範のバッサイの型は、凄みと迫力さが表現されていた。演武のなかで作戦の工夫が盛り込まれている充実さが伝わってくる。型の訓練をかなりしたものと伺えた。
祝嶺正献最高師範の創作された玄制流空手道の正統なる継承を事理一体となって研究し研鑽している活動は賞賛に値する。
祝嶺正献最高師範は8年前に医学的な死を迎えたわけでありますが、このように祝嶺正献最高師範の創始した玄制流空手道、躰道を後進の会員たちに正しく伝承していこうとする人たちがいる限り、祝嶺正献最高師範の精神は、いまだにこの世に生きているわけです。
高弟の指導者のなかには、自分流の法形や考えを打ち出して強要している者も出ているが、祝嶺正献最高師範の教えを基礎から学ぶ必要がある。そうでないと祝嶺正献最高師範の創作された躰道は浮かばれない。精神的な死を迎えてはならない。
(12月6日記)