神楽坂・毘沙門天
神楽坂は、大久保通りの神楽坂上から外堀通りの神楽坂下までの早稲田通りの坂道を表しております。
神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転する。午前中は「坂上→坂下」(早稲田側から飯田橋側へ)であるが、午後は「坂下→坂上」となります。
飯田橋駅から神楽坂の坂を登っていくと、ユニークなお店に出会います。
日本でただ一ヵ所のペコちゃん焼き、鳥すきの鳥茶屋、肉まんの五十番、毘沙せんべいなど老舗のお店が多い。
明治期に尾崎紅葉・泉鏡花などが住み、尾崎紅葉旧居跡は新宿区指定史跡、泉鏡花の旧居跡は新宿区登録史跡になっています。また、坂の周辺には毘沙門天をはじめ、若宮八幡や赤城神社など多くの寺社が散在しています。
池袋駅からの徒歩圏で霊園内を通行する方も多く、園内に入ると緑が多く静かに感じられますが、目線を上に向け見渡すと池袋サンシャイン60ビルや豊島区役所新庁舎などの高層ビルが視界に入り、都心にある希少墓地であることを再確認できます。
夏目漱石の墓は、安楽椅子を模している。とても立派な大きな墓でいつも花が絶えないです。
墓地の中央にある案内図には著名人の墓の位置が明記されております。
また、坂の周辺には毘沙門天善国寺をはじめ、若宮八幡や赤城神社など多くの寺社が散在する。
家を出る時はまだ暗い時ですが、だんだんと空が明るくなり朝明けの中の景色が素晴らしいです。跨線橋を渡ると山手線の先方には東京スカイツリーが見えます。オレンジ色の中に浮かび上がる姿を見ていると希望が湧いてきます。
都電沿線を歩いていると朝の早い電車が通過していきます。大塚駅前にある天祖神社でお参りをしてから、大塚駅南口のトランパル広場で午前6時30分から始まるラジオ体操に参加します。50名ほどの元気な人たちが集まり朝の挨拶でコミュニケーションを図ります。都電の走る風景はとても憧れでロマンチックです。
ラジオ体操が終わると都電沿いのバラの花を見ながら歩いてイケサンパークへと向かいます。朝陽に写された自分の影を見ると足長おじさんです。サッカーの練習をしている親子がいます。東京国際大学池袋キャンパスを通過する時はいつも7時前です。風のある日は万国旗がたなびいて壮観です。
散歩の歩数は約10000歩です。家に着くと、散歩で疲れた足のメンテナンスをして一日の活動の準備をします。
毎日の歩数計算はスマホが自動的に記録してくれます。
11月中の記録は、歩数545,162歩、370㎞、 21,911キロカロリー、84時間でした。距離にすると東京から名古屋までに歩いたことに相当します。
これからも健康の為に、毎日歩いていこう。




朝陽に写された足長おじさん 東京国際大学池袋キャンパスの時計
染井霊園は、明治7年東京府が開設しております。幕末から明治に活躍した大名や活動家、学者らが多く眠るところです。染井霊園の事務所で霊園の案内図を貰います。60名の著名人の墓の場所が明示されています。
高村光太郎は、妻・智恵子の死後、詩集「智恵子抄」で国民的人気を博しました。父・光雲は木彫の第一人者で上野公園の西郷隆盛像の作者。
小説「浮雲」で言文一致の先導者・二葉亭四迷(筆名は父親から「くたばってしまえ」と怒鳴られたことに由来。
東京美術学校(現東京藝術大学)設立の起動者で日本美術の先駆者・岡倉天心。俳句雑誌「馬酔木(あしび)」を主宰した・水原秋桜子。政治家の幣原喜重郎、若槻礼次郎などの墓所があります。
隣接する慈眼寺には、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓があります。さらに隣の本妙寺には、江戸町奉行を務めた遠山金四郎(桜吹雪の金さん)、剣豪・千葉周作、囲碁の名人位である本因坊歴代の墓や明暦の大火(振袖火事)の供養塔などもあります。
井の頭公園の七井橋
井の頭公園の井の頭池はY字型になっていて中央部分を「七井橋」が通っています。
三鷹市牟礼に住んでいる人たちが歩いて吉祥寺に来るときに利用する人も多くおります。
この七井橋はなかなか池との調和があって風情があります。
子供の頃は木橋であり、その頃は名称は付いていなかった。コンクリート橋にリニューアルした時に「橋の名称」を公募していました。小学時代の時ではがきに書いてで応募したことを思い出します。今の橋はさらにリニューアルした最新の橋であります。
七井橋の由来は、井の頭池は湧水で池の水が満たされています。池に湧き出す場所が七つあるところから七井橋と命名されました。
池の水面すれすれのところに渡してあるので、水鳥や池の中の鯉や魚が近くで見ることが出来ます。
七井橋から見る公園の景色は昔とあまり変わっていないところがとても良いです。そして懐かしく昔の思い出を蘇らせてくれます。
5時ごろに家を出発。池袋六つ又交差点から明治通りを北へ進むと北コース(飛鳥山・すがも地蔵・大塚方面)、南へ進むと南コース(池袋駅・千登世橋・目白台・護国寺・大塚方面)を一日おきに交互に歩いていきます。
6時15分に天祖神社で朝のお参りをしてから、6時30分から大塚駅前のトランパル広場で行われているラジオ体操に参加します。60名ほどの人が集まって朝の運動をしています。
ラジオ体操が終わると都電沿いのバラロードを歩きイケサンパークを通ってサンシャインシティを廻って家に到着が7時過ぎとなります。大体朝の散歩の歩数は1万歩です。
日中も動いていますので、スマホが歩数カウントを記録してくれます。
一日平均15,000歩ほどです。
散歩の目的は、①体力維持 ②老化防止 ③体重減量 としています。
継続することにより効果も出ているようです。


大塚駅前のトランパル広場は毎朝ラジオ体操を行っています。


大塚の空蝉橋から見る東京スカイツリー 帰路はイケサンパークを通ります
浅草寺参道の仲見世
「仲見世」は浅草寺の表参道である。雷門から宝蔵門まで長さ約250mにわたって、参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ。日本で最も古い商店街のひとつであり、いつも活気に溢れている。
仲見世という名は、浅草広小路(現在の雷門通り)あたりに並ぶ店と浅草寺観音堂前に並ぶ店との中間、つまり「中店」ということからこの名で呼ばれるようになったともいわれている。
流石に東京の代表する観光地・浅草です。仲見世には玩具、菓子、着物、土産物などを観光客の好みのものを販売するお店が多くあります。
宝蔵門寄りの店は20軒の水茶屋があったことから俗に「二十軒茶屋」といい、美人の看板娘を置いて人気を集めたようです。看板娘に惚れ込んで朝から晩まで茶を飲み続ける者もおり、川柳に「おおたわけ 茶店で腹を 悪くする」と詠まれた。とのエピソードがあります。
池上本門寺名園「松濤園」
池上本門寺奥庭の「松濤園」が期間限定で公開されていたので見学に行ってきました。
「松濤園」は、昭和11年に東京都旧跡に指定された約13000平方メートルの池泉回遊式庭園です。
桂離宮の建築と造園で名高い小堀遠州により作庭されたものであります。本坊客殿より渓谷美を俯瞰できるように作られたものです。茶室「鈍庵」は栗材を使った建物です。
慶応4(1868年)年3月、新政府軍の参謀西郷隆盛と徳川軍の勝海舟が、江戸城開城の交渉を行った場所でもあり、庭園内には会見碑がありました。
歴史を感じながら、東京都内とは思えない緑豊かな庭園を歩いてみました。
深川不動堂は、 新しい本堂が開創310年記念事業として建立されて、参拝見学が無料開放されております。おねがい不動尊、大日如来蓮池図天井画、祈りの回廊、阿字橋などが見学できます。
その後本堂は関東大震災・東京大空襲と二度にわたって焼失したが、本尊は焼失を免れました。永代寺は門前にあった塔頭・吉祥院が明治29年(1896年)に再興され、名跡を継いものです。
なお、地名「門前仲町」は「永代寺の門前町」という意味であります。
朝の散歩365日
今頃の日の出は5時ごろです。家を出て朝の散歩に出かけるとジョッギングをしている人や歩いて散歩をしている人、犬の散歩をしている人たちを多く見かけます。自分の散歩コースは北コースと南コースを交互に歩いております。
朝の散歩も継続して365日となりました。雨の日は小雨なら傘をさして歩きます。大雨の時は近くのサンシャインシティや東池袋駅から豊島区役所に通じる地下通路を歩いています。歩数はスマホが記録してくれます。
散歩の目的は、①体力維持、②老化防止、③体重減量としております。
午前6時を過ぎると大塚駅前のトランパルひろばには、多くの人が集まってきます。犬を連れている人たちは犬の話題で盛り上がり和気あいあい話が進んでいます。夜の間、飲み物をした人が捨てたごみなどを清掃している人もおります。馴染みの人が多いようであちこちで朝の挨拶が交わされています。ひろばの横を都電さくらトラムが通っていきます。なかなか風情のある景色です。
6時半からはラジオ体操が始まります。60名ほどの人が毎日参加しています。年配者が多く、女性が7割ほど占めます。10分間のラジオ体操を伸び伸びと試みて身体を柔らかくしております。
このトランパルひろばには、多くの人のコミュニケーションの場所となっています。朝の散歩はとても気持ちが良いものです。
スマホの歩数計(365日継続) 大塚駅前トランパル広場