いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

権力は常に批判に晒されなければならないが、マスコミは堕落している

2009-07-02 21:18:06 | 日記

 昨夜(7月1日)NHK夜10時~、「歴史秘話ヒストリア」で、反骨のジャーナリスト宮武外骨を扱っていた。
彼は、反骨と風刺諧謔(いまで言うおちょくり)の奇人として名を馳せた。権力揶揄による投獄4回、罰金や発禁などによる筆禍は29回。
 現在のジャーナリストたちは彼の爪の垢でも煎じて飲んだらどうか。

 権力は常に批判されるべき存在である。
 ブッシュは、「イラクは大量破壊兵器を保有している(実際にはなかったが)」としてイラク攻撃を開始した。小泉前首相は、そのブッシュの要請に従い自衛隊をイラクへ派遣した。
 いずれも権力者なるが故に可能な行為だった。

 たとえ選挙で選ばれたとは言え、権力者のなすがまま言うがままであれば、どうなるか。アメリカのブッシュをみればわかるだろう。
 ブッシュがイラクで一方的に攻撃を開始したことは、日本が太平洋戦争でアメリカにしかけた戦争以上に一方的な侵略行為である。アメリカは太平洋戦争後、東京裁判で日本のリーダーたちを「平和の罪」で裁いた。
 ブッシュのイラク戦争の罪を問えないアメリカのメディアは、権力側に支配されていることを裏付けている。

 権力の監視と批判こそがジャーナリズムの使命である。かってジャーナリズムは「第四の権力」と呼ばれていた。今その面影があるだろうか。メディア(TV,新聞)は権力の召使になりさがり、ジャーナリストたちはメディアという組織に守られて、いわば温室のなかでぬくぬくと育ち、反骨の牙を失っている。

 権力者側からみて、不都合な人物は抹殺するか、罠をしかけて地獄に陥れる。それを救うのも、防ぐのもジャーナリストの仕事である。

 植草氏の場合は、二度にわたって権力によって汚名を着せられ、社会的に葬られた。
 彼の一回目の逮捕は品川駅構内のエスカレーター上での、手鏡事件である。彼は横浜駅構内で、二人の男に尾行されているのに気がついていた。それが警官だったのである。たまたま通りがかりの警官が現行犯逮捕したのではない。警察が大事件の被疑者を尾行するならわかるが、一般人を事前に「痴漢するのではないか」という予断をもって尾行するなんてありえない。

 私が事件を知ったのは、「尾行していた警官」によって逮捕されたという報道だった。なんで警官が彼を尾行していたのだろうか、これはおかしいというのが、私の事件に対する直感であり、疑惑の始まりだった。

 何故彼の後方にいた警官が、彼の前面の行為が見えたのか、警官は透視ができる超能力者とでもいうのだろうか。並列するくだりのエスカレーターから昇りのエスカレーターは丸見えのところでピカピカ光る手鏡を出して覗くバカがいるだろうか。何故警官側は近くに設置された防犯カメラが写した映像の提出を拒んだのか。

 警察ー検察ー裁判官がぐるでなければ、植草氏有罪はあり得なかった。この事件は、単なる冤罪事件ではない。警察、検察、裁判官側の仕組んだ犯罪行為である。司法がぐるになれば、個人は逃れようがない。彼らを罰する法は存在しない。彼らの暴走を防止できるのはマスコミしかないのである。

 バカなマスコミは、彼をミラーマンなどとはやしたてるばかりで、真実を追求する姿勢はまったくなかった。どこかの新聞社でもいい、TV局が一社でもいい、もしこの事件の不自然さに気づいて、不合理性を追及していたなら、裁判の結果も違ったものになったはずである。マスコミは、この事件の不自然さに気づかなかったのではない、権力に迎合してダンマリを決め込んだのであろう。今、TVも新聞も信用を失いつつある。

 



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