「悪いことをする奴、悪事を企む奴は秘密をもちたがる」、これは地位の上下も関係ない、人類不変の法則です(笑)。なかでも最も始末が悪いのが、権力者が「秘密をもつことである」。
早い話が、イノセ知事がそうである。
彼は、徳州会からの借金を秘匿しようとした、バレなきゃそのままネコババするつもりだったが、徳州会の選挙違反事件で検察の大掛かりな家宅捜索が入り、「こりゃヤバイ!」と思って慌てて返した。
そもそも、徳州会グループは「東京都内にも病院・保険施設を抱えており、グループが開設した老人保健施設に都が「約7億5千万円の補助金を支出していた」、利害関係者からの借金は、贈収賄になりやすく禁止されているのとちゃいますか。彼にとって、秘密にしなければならなかったのだが、運悪く(笑)バレた。
度々、同じことを言って恐縮ですが、
最高裁の「検察審査会の『架空議決』」は、秘密というベールで包んだ(隠蔽した)からこそ「架空議決」を捏造することが可能だったのである。最高裁はとことんシラをきるだろう、秘密のベールを剥がすことはない。秘密にしておけば、犯罪性も責任も問われることはない。
秘密保護法は、60年後に公開するとか言っているが、秘密保護法案を画策した安倍首相をはじめ、今の自民党議員は60年後まで殆ど生きていない、つまり「生き恥」をかくこともなければ、罪と罰も問われない。
今回の秘密保護法で面白い現象は、自分たちの身に降りかかる雨は避けたいのが人情、ありもしなかった小沢氏の「政治とカネ」問題であれだけ小沢たたきに精進した大手マスコミも「特定秘密保護法」に反対するキャンペーンを張っている。
例えば、昨日(11/28)朝日新聞社説は、
”特定秘密保護法案の参院での審議がきのう始まった。なんども指摘してきたとおり、これが「欠陥品」のたぐいであることは明らかだ。”と断じている。
読売新聞(YOMIURI ONLINE 11/11 オピニオン)も、
「特定秘密保護法」の問題性」と題して、水島 朝穂/早稲田大学法学学術院教授の「この法律は問題点が非常に多いが、4点のみ指摘する」として厳しい見解を掲載している。
辺見庸氏はこの秘密保護法案に関連して自身のブログ(11/22)で、強烈な皮肉をこめて、大手メディアとジャーナリストらを批判している。面白いので参考までに、一部を掲載しておこう。
第一次そして第二次安倍ファシスト政権が成立したとき、米つきバッタのごとくペコペコと挨拶へとかけ参じ「どうぞ、どうぞよろしくお願いします」と三拝九拝したのは、
社会のボクタクを僭称する新聞、通信、放送各社社長、編集担当役員、政治部長らであった。
これがこの国のまぎれもなひ民主主義である。
白状しろよ。
いつも下痢がちの安倍のケツを、いったい何人のクソバエ記者たちがペロペロと舐めてきたことか。
安倍の官房副長官時代、しきりにかれにとりいり、テレビへ大学へと請じ入れては、言いたい放題をゆるしたのはだれであったか。
田原総一朗、故筑紫哲也らではなかったか。
安倍はかつて早稲田大学で講演し
①(日本にたいするミサイル攻撃に着手した)外国基地を(自衛隊が)たたくことは憲法上できる
②大陸間弾道ミサイルは憲法上問題ない
③戦術核の使用は違憲ではない――と縷々述べた。
この講演に田原、故筑紫らが関係し、サンデ―毎日がこれをスクープするや、「オフレコ破り」とテレビで怒ったのが「正義の味方」筑紫哲也であった。
笑っちゃう。
これが民主主義である。
民主主義のジャ―ナリズムである。
大阪のあんちゃんをすっかりその気にさせたのは、もとはと言えば、TBSだった。
大阪のあんちゃんに事実上の土下座謝罪をしたのは朝日新聞だった。
外務省機密漏洩事件で「本社見解とおわび」という全面謝罪文を掲載し、以後、沖縄密約事件の追及をすっかりポシャってしまったのはどこの新聞か。
「秘密保護法」は極めて評判が悪いが、なかには賛成している珍しい評論家もいる。
池田信夫ブログ(2013・11・28)は、 「秘密保護法の超簡単な条文解説」と題して、
秘密保護法についての騒ぎはまだ続き、きょうは特定秘密保護法案の廃案を求めるアピールなるものが出るそうだ。「憲法の定める基本的人権と平和主義を脅かす」という決まり文句も笑えるが、上野千鶴子、内田樹、金子勝、姜尚中、小森陽一、高橋哲哉など、絶滅危惧種のオールド左翼が一堂に会しているのは壮観である。
彼らは明らかに条文を読んでいない。何も具体的な問題点の指摘がないからだ。これは彼らのような一般人とは関係のない、公務員の特定秘密へのアクセスを制限する法律なのだ。私は法律の専門家ではないが、修正案の主要部分をごく普通に文章として読んでみよう・・・以下略
>彼らは明らかに条文を読んでいない。
筆者も自慢じゃないが条文を読んでいないぜ、国家が秘密を持つこと自体が「悪」だと思っているから詳細な条文まで読む必要性も感じない。
刑罰を含む「秘密保護法案」は、国民を縛る「究極の規制」である。究極の「規制緩和」を求めるフリードマンの「新自由主義信奉者」である池田氏が、真逆の「強烈な規制」を歓迎するとは、彼の方こそガラ系絶滅危惧種ではないか。