国家財政のバランスが崩れ、巨額の国の借金が生じた最大の要因の一つは、富(収益)にたいする課税の不公平の結果が今日の状況を招いたのです。もう一つは為替だとみています。為替については機会があれば述べたいと思います。
今回は、昨年5月末に「神州の泉」というブログに『誰がために金は成るのか? 国の借金500兆円は誰のために使われた?』と題して投稿したものをそのまま、掲載します。
日本は1997年から2007年の11年間で、経済成長はゼロでした。しかもその間に国の借金は約500兆円増加しました。
財団法人「国際貿易投資研究所」の統計資料により、1995年から2007年の主要先進国の名目GDP(ドル表示)を比較すると、アメリカ:1.87倍、カナダ:2.41倍、オーストラリア:2.45倍、フランス:1.63倍、ドイツ:1.32倍、オランダ:1.85倍、イギリス:2.43倍となっております。日本はなんと0.835倍つまりマイナス16.5%です。
以上を参考に、下記をお読みください。
誰がために金は成るのか? 国の借金500兆円は誰のために使われた?
内閣府5月16日発表の統計表によれば、1997年と2007年のGDP(名目暦年)はそれぞれ、515.2兆円と515.6兆円である。この11年間の日本の経済成長はゼロだったことを示しています。
財務省公表の資料によれば、今年3月時点の国の借金の合計は849.2兆円になっている。
11年前の1997年3月末は355.1兆円です。この11年間で、国は借金を約500兆円増やしたことになります。
前代未聞の巨額のマネー500兆円を使っても、まったく経済成長をしなかった。世にも不思議なことがあるものです。
このシリーズ第3回多重債務者「おちこぼれ」ニッポンでは、GDP上位60カ国中、1995~2006の日本の経済成長はマイナス(ドル表示)だったこと、それもずばぬけて低い。統計的な検定をするまでもなくて明らかに他の59カ国とは、有意差がみられる。これは単なるバラツキの問題ではなく、品質管理という視点からみれば、不良品を発生させたということになります。
何故不良品が発生したかを検証するのが常識なのだが、政治家やジャーナリストは言うまでもなくエコノミスト、経済学者先生さえも誰も口を閉ざして真実を語っていない。彼らは無能なのか、卑怯なのだろうか。
今回は敢えてこの世にも不思議な「不良品ニッポン物語」に切り込んでみた。
この11年間で国が増やした借金約500兆円は日本の経済成長には全く役に立たなかったことになります。
国の経済成長にはなんらの役にもたたなかったということは、実物経済に還流させることなくどぶに捨てたことと同じ現象が発生しているのです・・・・、少なくとも経済成長ゼロということは、国民生活にに全く寄与しなかったことだけは確かである。
繰り返しますがこの11年間で名目GDPはゼロ成長ですよ。国家が投じた金は本来なら経済成長を通じて国民の所得が増え、国民の金融資産が増えていくのが正常な姿です。
参考までに言えば、この11年間の日本の金利は限りなくゼロに近い超低金利を維持してきました。所得も増えず、金利収入も得られない状況下では、庶民の金融資産は食いつぶしによる目減りはあり得ても、増える要素はあり得ません。
ところが実際には、日本人の金融資産は、1996年3月末には約1270兆円だった、それが2007年6月末には1550兆円になっています。従って約280兆円が個人の懐に入ったことになります。
日銀の福井俊彦総裁は昨年5月25日の衆議院決算行政監視委員会に出席し、『ゼロ金利政策の影響』で 民主党の岩國哲人氏の質問に答えている。1991年から最近までの間に、家計で330兆円程度の利子収入を逃したとの試算、大まかに見て逸失利子額は「だいたい200兆から300兆円くらい」と答弁している。
彼は国民の得べかりし金利収入200兆円~300兆円を逸失したということを自ら認めているのです。一般国民の収入は低下し、資産は目減りしているにもかかわらず、国民全体の金融資産が増えたということは、その殆どは金満家たちの懐に所得移転したものと推測されます。
個人の金融資産の増加分280兆円は、超金持ちたちや金融機関が通貨マフィアやハゲタカファンドどもと組んで、日本の超低金利政策を食い物に(悪用?)して、荒稼ぎしたものと推察されます。
庶民の収入が低下する一方で、彼らは気が遠くなるほど稼ぎに稼ぎまくったことになります。にもかかわらず国家の税収増に全く反映されていないのは何故か。まさに国家の課税の怠慢、税の不公正以外のなにものでもない。それでも、消費税アップですかね?
国の財政破綻は政治家の怠慢によって起きているということを意味します。一方で、ことあるごとに政府は財源不足をもちだして、消費税アップは避けられない雰囲気づくりに懸命です。なかには『耳障りなことを言う。それが私の仕事』などととてもまともな神経の持ち主とは思えないが、そんな方がポスト福田候補と目されています。
消費税アップは、与党の衆議院数が三分の二以上のこのとき以外にありえない、現実のものとなる恐れがあります。政治家の無責任から生じた財政破綻を国民に押し付けるもの、あまりにひどすぎる話である・・・不届き千万もいいところ、いくらなんでも国民は怒らねばならない。
この11年間に、国の借金を増やしながら、財務省は外貨準備高を90兆円以上増やしています。民間企業の貿易で外貨を稼いで増大化しているのに、それ以上に何の目的のために外債を買っているのか不思議である、しかも国内の借金をふやしながらである。そんな金があるなら、足りない医療費や介護など福祉に何故遣わないのだろうか。
上述の金融資産の増加分と国の外貨準備高増の合計で約370兆円になります。
その他金融機関の不良債権処理のためと称して公的資金を投入、そしてその後この超低金利を利用して?あっという間に、大手金融機関は最高益を計上するまでに業績を回復している。日本経済が停滞しているというのに、不良債権に苦しんだ金融機関だけが急速に業績をあげる摩訶不思議さ。
金融機関の不良債権問題のどさくさにまぎれて国が金融機関に投入した巨額のマネーは、通貨マフィアらと組んであっという間に莫大な収益をあげたと考えるしかない。
このように、考えるとこの10年余りの間に国が増やした借金500兆円の大半は、大多数の国民のために使用されたのではなく、一部の超金持ちたちを太らせ、金融機関、大手企業及び外資の手に収益移転をおこなったものと推測される。しかもそれらは、国家の税収増にもつながっていないところをみると課税の対象から漏れている、きわめて悪質不公正である。
バブルを発生させ、バブルを潰し、景気悪化を誘導し、国の借金を膨らませ、そのあげくもっともらしい屁理屈(不良債権)をでっちあげて超低金利政策を10年以上も続けてきた。さらに景気刺激策と称して量的緩和政策まで打ち出した。日銀は世界的に見て例のない超低金利と金融の量的緩和策という非常事態の策を採ったが、日本の景気は回復しなかった。
その結果起きたことは、国の500兆円の借金拡大と、富裕層たちや銀行などの金融機関、外資らの焼け太り、そして国民の貧乏化現象です。つまり、大多数の国民の生活を豊かにすることとは、程遠いことが起きていたことになります。
参考:5月25日東京新聞のコラム『時代を読む』に、生田正治元日本郵政公社総裁が次のようなことを書いている。国連ホームページで国民一人当たりGDPを見ると我が国は1995年は世界五位であったが次第に低下して2006年は三十二位である。大田弘子経済財政担当相の1月18日の「国民一人当たりGDPが十八位」との発言が各界に衝撃をあたえたが、これはOECD三十カ国内の比較であり、BRICs等を含めた国連の全世界比較では三十二位である。
言葉は悪いが、500兆円のマネーの不正流用みたいなもの、個人がやれば当然犯罪行為になりますが、国家ぐるみでやれば誰も責任を取るわけでもない。政治家やジャーナリストは言うまでもなくエコノミスト、経済学者先生さえも誰も口を閉ざして真実を語っていない。彼らは何を恐れているのか、それとも無能なのか、卑怯なのだろうか。このようなシナリオを造ったの誰だろうか。
蛇足:上述した政治経済の状況下で、りそなの国有化問題が起き、植草事件は起きている。植草氏を社会的に抹殺しなければならない何かがあった?
経済成長の原動力は、「信用創造」である、信用創造は実物経済に金が回転することである、「金は天下のまわりもの」であることが必須なのだ。この11年間の経済成長がゼロだったということは、国が投じた500兆円分(年当たりにして45兆円)は、実物経済に回らなかったことを意味する。何故か?結論から言えばそれに見合う需要がなかったからである。
もっとはっきり言えば需要を喚起する「まともな政策」を避けて、逆に意図的に需要を搾る(抑制)する政策(市場原理主義、生産効率をあげるためリストラと称して首切りや労働者の賃金を搾取、医療費の削減、福祉関連予算の削減、一方で所得税の各種特別控除の廃止などなど)を採ったからである。
つまり、超低金利と量的緩和策という表向き景気刺激策という強力なアクセルを踏みながら、市場原理主義とそのグローバル化という強力なブレーキを踏んだ。アクセルとブレーキを同時に踏むという極めて欺瞞に満ちた政策こそ、それがこの11年間のゼロ成長と言う結果を生んだのである。
そうでない限り日本だけが、経済成長から取り残されるという異常事態は起きなかったはずである。実体経済への金の使い道をふさいで、大量に流した金の行く先はカジノ経済へ流れた、しかし国際的賭博場には課税する仕組みを構築していなかった。
参考:ATTAC Japanというところが、『国際的な投機マネーに課税(トーピン税)を!』と提唱している。彼らの主張によれば、1977年には1日当り通貨取引額は183億ドルだったが、なんと2004年には1日当り200兆円を超える1兆8800 億ドル(国際決済銀行の発表による)にまで膨れあがりました。現在の通貨取引市場での取引の多くは、実物経済には役立たない投機、つまり「賭け事」によって占められています。全世界の貿易やサービスの必要な通貨は取引総額の僅か5%にすぎないのです。95%は投機マネーなのです。
新自由主義者(市場原理主義者)たちが掲げる大義名分「グローバリゼーション」が規制緩和をもたらした、そうすることがあたかも善であるかのように。そのなれの果てが、国際金融投機の跳梁跋扈を許し、国の巨額の借金500兆円は彼らの作り出したブラックホールのなかへ吸い込まれていったと考えるのは間違っているだろうか。
グローバリゼーションでは幸せはやってこない、いや日本はグローバリゼーションの最大の犠牲者である。日本人の多くはそれさえも認識できていない。欧米諸国の指導者たちはそれを知っているからこそ、日本を冷ややかに見つめている。日本一人当たりの名目GDPは32位に転落しながら、国連の予算負担19%(第二位)を負担しており、国連の常任理事国入り求め続けたが、いまだに悲願?を果たしていない。だが、サミットには第一回ランブイエ会議からのメンバー国である。彼らのその下心こそ、日本をグロバリーゼションの奔流に巻き込んだ。
或る政治家は改革々々『改革なくして成長なし』と言って国民を騙し続け、選挙ポスターには、『この国を想い この国を創る』というキャッチフレーズを掲げた。
国民はそれにうなされたのか踊らされたのか、三分の二を越える議席を政権与党に与えてしまった。
しかし、マッド・アマノ氏は『あの米国を想い この属国を創る』とパロッたが、真実はマッド・アマノさんにあったことは言うまでもない。
いくらなんでも、国民も何かがおかしいことに気づきはじめているのではないだろうか。
一人でも多くの国民が目を覚まして欲しいと願わざるを得ない。
最後にお願いです、本稿に賛成の方、広めてください。異論反論がある方歓迎します。但し、罵詈雑言や脅迫はお断りします。
以上