境内に芭蕉の句が刻字された石塔があります。文政八年(1594)地元の俳人探翠が建てたものです。
『しばらくは 花の上なる 月夜かな 翁』
山門脇の大きな祖師供養塔は、天保二年(1832)建立です。他に、佐倉歩兵第五十七連隊の比島戦没者慰霊塔があります。
(小金きよしヶ丘3-13)
高城下野守胤吉が根木内城が手狭になり小金城築城の際に此処城の鬼門(大谷口城三の丸)に移され、天文六年(1537)に開山した。高城氏の護持祈祷所として発展をした。当時は地域の寺院40数ヶ寺を末寺に持つ大寺院として栄えた。
文明12年(1480)の開基とも永正3年(1506)の創建とも伝わる。
(大谷口145)
境内の”宮城遥拝所”と刻字された石碑が、戦前を思い起こされる
(南花島3-56)
境内からの眺望です。崖の先端に位置しているため市内はもちろん新宿の高層ビル、遥かかなたに富士山の姿も見られます
本郷七不思議「富士見の松(本覚寺の南に生えていた老い松の枝がすべて西の富士山の方向に向いていた)」があったという
(上本郷2337)
本殿脇の古い石祠の周りには巨木の古株や白い貝殻が散乱している。上本郷遺跡は旧石器時代から縄文時代の遺跡で数回発掘されていますが、山内清男氏によって大正十年と昭和三年に行われた二度の調査は、後々まで縄文土器の編年研究に大きな影響を与え、学史上は有名な遺跡です
(上本郷2807)
真言宗豊山派の寺院でご本尊は不動明王です。
本尊の不動様は、むかし、落雷によりお堂が焼け落ちた時、心配して駆けつけた村人が目の当たりにしたのは、本尊一面に田螺の焼け殻で覆われていて不動様は少しも損傷無く無事であったとのこと。田螺が不動様を守ったとして、以後火災防止、請願成就の田螺不動と云い深く信仰してきている。 他に姿見不動とも云われている。
名号塔(南無阿弥陀仏塔)は松戸市内の石造物では3番目に古い物〔明暦二年・1656〕という。 松戸七福神毘沙門天を祀る。
(中金杉4-189)
松戸市の神社では最北端に位置します
祭神は名称の通り、下総国の一宮香取神宮の祭神”経津主命”を分霊して祀り、併せて神霊の乗る神馬を合祀されている
駒形は神の乗った神馬の足形を示したといわれ神の降臨した処とされている
(幸田3-159)
松戸市内には女体神社が2社あり、既に記載した樋之口の女体體神社の記事の通り祭神が異なっています。
ここは筑波山の筑波女大神「伊弉冊尊」勧請して祀ってあります。横須賀地区の鎮守ですが創建は不詳です。境内には、大杉神社・大山阿夫利神社・三峰神社・女化稲荷神社・天満宮を合祀してあります。
(横須賀1-7)
江戸時代には小金原に水戸家の鷹場があった。この近くに鷹場を管理する役所が設けられ、
水戸黄門が幾度か鷹狩りに訪れている。
その折、この神社が延喜式に載っている神社ではないかと調べ、当時は社が荒れ果てていた
ので修理費を寄進した経緯がある。
ここ栗ヶ沢に高城氏の居城が在ったことから高木村と称していたので高木村社の石塔が建っている。
境内に残る椎の古木は歴史を感じさせる。生茂る木立には「ふくろう」が住みついたこともある。
(小金原5-28)
隣には旧伝兵衛新田の鎮守社の香取稲荷神社が鎮座している。イチョウやケヤキの巨木が庚申塔と共に歴史を語っている。
名前の通り経津主命(フツヌシノミコト)と倉稲魂命(ウカノミタマにミコト)を合祀している。
(栄町5-338)
(古ヶ崎890)
東松戸駅近くのため、周辺が開発され緑が少なくなっている。
山門前の、帝釈天を主尊とする庚申塔(嘉永五年・1852造立)は千葉県唯一で、
松戸市指定有形文化財になっている。
(紙敷1024)
創建は正保二年(1645)というから、城主の高城氏が滅んだあとに建てられた神社です。
祭神は木花咲耶姫命・安産、子育ての神社だが、妙見尊も祀る。
(八ヶ崎2-36)