四条金吾の生き方に一貫しているのは、勇気と誠実であった。文永九年(一二七二年)、「二月騒動」が起こる。執権・北条時宗の命によって、京都にいた異母兄の時輔が、謀反を企てたとして、討たれたのである。さらに、それに先立って、時輔に与したとして、鎌倉で、名越時章・教時の兄弟も討たれている。
四条金吾が仕えた主君の江間(名越)光時は、時章・教時の兄であった。「二月騒動」の折、四条金吾は、江間氏の本領がある伊豆にいたが、主君の身を案じて、急遽、鎌倉に駆けつけた。この時も彼は、主君にもしもの事があれば、自分も自害する決意で馳せ参じたのである。
幸いにして、江間氏は事なきを得、事態は収束に向かっていった。四条金吾の、この必死の行動は、一旦事あらば、主君のために一切をなげうとうとする彼の忠義と、勇敢にして誠実な人柄を示すものといえよう。
十八世紀のイギリス・スコットランドの詩人ロバート・バーンズは、誠実な人間こそが「人間の王者なのだ」とうたっている。
四条金吾は、師の日蓮大聖人に対しても、主君に対しても、誠実に仕え抜いたのだ。
不誠実は、人の信頼を裏切るばかりでなく、自身の心に、悔恨の暗い影を残す。誰に対しても、何事に対しても、自分は誠実に行動し抜いたと、晴れやかに胸を張れる、日々の生き方のうえに、人生の勝利はある。
四条金吾が仕えた主君の江間(名越)光時は、時章・教時の兄であった。「二月騒動」の折、四条金吾は、江間氏の本領がある伊豆にいたが、主君の身を案じて、急遽、鎌倉に駆けつけた。この時も彼は、主君にもしもの事があれば、自分も自害する決意で馳せ参じたのである。
幸いにして、江間氏は事なきを得、事態は収束に向かっていった。四条金吾の、この必死の行動は、一旦事あらば、主君のために一切をなげうとうとする彼の忠義と、勇敢にして誠実な人柄を示すものといえよう。
十八世紀のイギリス・スコットランドの詩人ロバート・バーンズは、誠実な人間こそが「人間の王者なのだ」とうたっている。
四条金吾は、師の日蓮大聖人に対しても、主君に対しても、誠実に仕え抜いたのだ。
不誠実は、人の信頼を裏切るばかりでなく、自身の心に、悔恨の暗い影を残す。誰に対しても、何事に対しても、自分は誠実に行動し抜いたと、晴れやかに胸を張れる、日々の生き方のうえに、人生の勝利はある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます