「自分が弘教した人が、一人で弘教できるようになるまで、一緒に行動し、育て上げる責任がある。つまり、自行化他の実践を教え抜くまでが折伏である」 . . . 本文を読む
三人の青年たちのうち、一人の女子部員が口を開いた。
「私は一年前に信心を始めました。私の住む町では、信心をしているのは私だけです。座談会の会場にいくにも数時間かかります。こんな状況のなかでも、地域に仏法理解の輪を広げていくことはできるのでしょうか」
すかさず、山本伸一は答えた。
「心配ありません。あなたがいるではありませんか。すべては一人から始まるんです。あなた自身が、その地域で、皆か . . . 本文を読む
席上、彼は、初めて神奈川県横浜市の座談会に参加した、懐かしい思い出を語った。
「それは、三十年前(一九四九年)であったように思う。当時、私は二十一歳でした。国鉄(後のJR)鶴見線の国道駅近くの幹部のお宅が、座談会の会場であった。そこには、未入会の友人が五人、おみえになっていた。青年だけでなく、婦人も、年配の壮年も参加していました。私は、若人らしく、元気に体験を語り、師匠・戸田先生の指導を通して . . . 本文を読む
日蓮大聖人は叫ばれた。
「我が弟子等・大願ををこせ」(御書一五六一ページ)、「大願とは法華弘通なり」(同七三六ページ)と。そして「一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(同二六五ページ)と予見された。
一閻浮提とは世界である。世界広宣流布の実現へ、われら創価の同志は、まっしぐらに突き進む。
“私に連なるすべての人を幸せに!” 家族、親戚、友人、近隣、地域、職場……。
人は、人の絆 . . . 本文を読む
農島は、仏法対話も実に上手であった。中森の場合は、一生懸命に話せば話すほど、仏法とは何かという、くどくどとした説明になってしまう。その話に、相手は納得しても、「うん、いい話を聞いた」というぐらいで、信心するとは言わない。農島の言葉を借りれば、「相手の生命に刺さっていない」のだ。その点、農島の話は、単純明快であった。
「正しか暦ば信じるなら、生活は円滑ばい。ばってん、去年の暦ば正しいと信じて生活 . . . 本文を読む
入会半年後、十数年、闘病生活を送り、人生に絶望していた友人に弘教することができた。友の苦しい胸中を思い、なんとしても幸せになってもらいたいと念じながら、諄々と仏法の偉大さを訴えたのだ。語るうちに、自然に涙があふれた。話し込むこと三時間半、友人夫妻も、泣きながら入会を決意した。折伏の歓喜と感動を知った。信仰の最大の醍醐味は、弘教にこそある。 . . . 本文を読む
「先生の出られた座談会では、参加していた何人もの友人が、一同に入会を希望したとの話を、よく伺います」
「そういうこともあったが、折伏は、そんなに簡単なものじゃないよ。反発して怒鳴りだしたりする人もいた。でも、誠実を尽くして語れば、その言葉は心に残ります」 . . . 本文を読む
「山口開拓指導で信心した人たちが、頑張っているのが嬉しいね。これからも、地域広布の先駆けになってください。広宣流布の道は、身近なところから開いていくんです。
地域広布は、いつか誰かが、してくれるものではない。自分が立つ以外にありません。
私は、アパートに住んでいた時には、隣の方から仏法対話をしたし、山口開拓指導の時も、知り合った身近な人たちに、どんどん仏法を語っていきました。常に、一人でも多 . . . 本文を読む
山内も、妻の照子も、派遣メンバーと一緒になって、弘教に奔走した。派遣メンバーといっても、入会して、一、二年の人が多かった。皆、生活費を切り詰めに切り詰め、交通費、食費、宿泊費を捻出して、参加した人たちである。
それぞれが、家に帰れば、経済苦や家族の病苦、家庭不和などの問題をかかえていた。
しかし、“広宣流布のためには、何も惜しむまい”“この闘争で自身の生命を磨き、宿業を断ち切ろう”と、はやる心 . . . 本文を読む
二人の婦人は、「折伏を成就させるまでは、帰らない決意で行って来ます」と、地区部長の島寺丈人に元気に宣言して、鏡石へ出発した。
ところが、訪ねてみると、どの家も、けんもほろろの応対であった。五軒、六軒と回るうちに、だんだん気落ちしていった。菅田は、鈴村に言った。
「折伏が簡単なわけがないもの、挫けるわけにはいかないわ。『よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定とをもへ』(御書一一九〇㌻)と . . . 本文を読む
「折伏に行って、悪口を言われ、時には、罵詈罵倒されることもあるでしょう。また、悔しい思いをすることもあるでしょう。それは、すべて、経文通り、御書に仰せ通りのことなんです。その時に、負けるものかと、歯を食いしばって頑張り続けることによって、過去世からの罪障が消滅できるんです。仏道修行は、罪障消滅、宿命転換のためでもあるんです。そう確信できれば、『苦』もまた、楽しいではありませんか!」 . . . 本文を読む
正法に目覚めた歌枝は、夫も驚くほどの広宣流布の闘士となった。“友人、知人は、一人も残らず幸せになってほしい!”と願い、次々に仏法対話していった。
三人の子どもを抱え、暮らしは、決して豊かとはいえなかった。しかし、彼女には、希望があった。信仰の歓喜と確信があった。弘教に歩くことが、楽しくて仕方なかった。
歌枝は、平凡な一人の主婦にすぎない。その自分が、広宣流布という、人びとの幸せと社会の繁栄 . . . 本文を読む
戸田城聖は、一九五三年(昭和二十八年)九月、中野支部総会で、こう言明している。
「この会場にお集まりの方々のために約束をしよう。朝夕の勤行を欠かさず、二カ月に一人の折伏を必ず行うと覚悟してもらいたい。悩みある人は願いを立てよ。仏法は真剣勝負です。万一、実行して解決しなければ、戸田の生命を投げ出そう」
全国各地で、戸田は、こう指導の矢を放っている。時には、「一カ月に一人の折伏」と述べているこ . . . 本文を読む
また、妻が病に苦しんでいることを話すと、皆が、「この信心で必ず乗り越えられます!」と、確信をもって語るのである。
弘教の原動力は確信にある。何があろうが、絶対に幸福になれるのだという確信から発する魂の叫びが、人の心を打つのである。 . . . 本文を読む