一つ一つの事柄を、徹して完全無欠なものにしていく――それは、広宣流布の“戦人”ともいうべき彼の哲学であった。
蒲田支部での二月闘争においても、札幌の夏季指導でも、大阪の戦いでも、山口の開拓指導でも、計画を練りに練り、万全な準備をして臨んだ。 会合一つとっても、焦点の定まらぬ、歓喜の爆発がない会合など、絶対に開かなかった。
それでは、忙しいなか、集って来てくださった方々に、失礼であり、貴重な時間を . . . 本文を読む
山本伸一は、関西本部で、ただ一人、祈りを開始した。すべては祈りから始まる。
関西に広宣流布の錦州城を築かんと、懸命に、真剣に、唱題に励む伸一の姿を見て、支部長ら二、三の幹部も加わるようになった。そして、次第に参加者が増え、最後は、仏間がいっぱいになった。
また、伸一は、朝の勤行のあとには、御書の講義を行った。それが、皆の勇気を燃え上がらせた。自分たちは、地涌の菩薩として、この関西中の人びとに幸 . . . 本文を読む
関西の歴史を開く大闘争が始まった。彼には、勝利を収めるために、自らに課していた鉄則があった。
それは、“人を頼み、人にやらせようなどと、絶対に考えてはならない。すべて、自らが率先し、自らが動くことによって、波動を起こしていくのだ”ということであった。 . . . 本文を読む
戦いはスピードだ。速さが勝負だ。行動が遅れ、打つべき時に手を打ち損なえば、未来に敗北を招くことになる。それぞれが迅速に、今日の使命に生き、今の課題を完璧に果たし抜いていくなかに、広宣流布の大勝はある。 . . . 本文を読む