信仰とは
何ものをも恐れぬことだ
何ものにも紛動されぬことだ
何ものをも乗り越える力だ
何ものをも解決していく源泉だ
何ものにも勝ち乗り越えていく
痛快なる人生行路のエンジンだ . . . 本文を読む
ドイツは、ヨーロッパの歴史を画した宗教改革の発祥の地である。十六世紀初め、聖職者の腐敗、教義の形骸化、教会の世俗化が進むなかで、ローマ教皇は、ドイツでの贖宥状(免罪符)の販売を許す。贖宥状を買えば、犯した罪の罰は赦免されると宣伝され、売られていったのである。
修道士のマルチン・ルターは、それに疑義をいだいた。救いは、どこまでも信仰によるものだ。彼は、「九十五箇条の論題(意見書)」を発表し、敢然 . . . 本文を読む
そして翌日、モスクワ市内にあるトルストイの家と資料館を訪れた。
十九世紀に建てられたまま保存されている文豪の住まいは、木造二階建てで、床はギシギシと軋んで、往時を偲ばせた。彼は晩年の十九年間を、この質素な家で過ごした。書斎には、テーブル、イス、ペン立て、インク壺などが、当時のままの状態で置かれていた。彼は、ペチカ(暖炉)の薪割りも自分でした。その時に使った前掛けも展示されている。
& . . . 本文を読む
状況にのまれ、流されていくのか。状況に立ち向かい、改革していくのか――それは、常に、人間に突き付けられている課題である。
しかし、改革は至難である。本当の信念と強靱な意志力が求められるからだ。それを引き出すための力が、信仰なのである。
「人間のなすあらゆる偉大な精神的進歩というものはまず信仰にもとづくものだ」とは、スイスの哲学者ヒルティの洞察である。 . . . 本文を読む
山本伸一は、ここで話を転じて、キリスト教が、なぜ、普遍的な世界宗教として発展したのかを考察していった。
「その一つの理由は、キリスト教は、民族主義的な在り方や、化儀、戒律に縛られるのではなく、ギリシャ文化を吸収しながら、世界性を追求していったことにあるといえましょう」
民族や国家、あるいは、そこに受け継がれている文化や風俗、習慣が、教義の普遍性よりも先行し、絶対視されるならば、その宗教は世 . . . 本文を読む
「仏教は、本来、革命の宗教なのであります。釈尊が仏教を興したのも、権威主義に堕し、悩める民衆の救済を忘れたバラモン教に対して、宗教を人間の手に取り戻すためであったことは、周知の事実であります。
“宗教のための人間”から“人間のための宗教”への大転回点が、実に仏教の発祥でありました。仏教は、まさしく、民衆蘇生のための革命のなかから生まれたと言っても、過言ではないのであります」
明快な語り口で . . . 本文を読む
さらに博士は、新しい文明を生み、それを支えていく宗教が対決しなければならない「諸悪」とは何かについて言及。それは、「生命につきまとう貪欲」「戦争、社会的不公正」「人間が己の欲望を満足させるために科学を駆使してつくり出した人為的環境」であると指摘したのだ。 . . . 本文を読む
「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人ひとりの心のなかの革命的な変革によってのみ、取り除くことができるものです。そして、この心の変革も、困難な新しい理想を実践に移すに必要な意志の力を生み出すためには、どうしても宗教によって啓発されたものでなければならないのです」 . . . 本文を読む
なんのために宗教があるのか――。人類の平和のために、人間の幸福のためにこそ宗教はあるのだ。決して宗教の権威や教義をもって、人間を縛りつけるためにあるのではない。人間こそ「原点」であり、「目的」なのだ。ゆえに、宗教も、国家も、イデオロギーも、人間を手段化することがあっては絶対にならない。また、人間の生命と平和を守るためには、宗教や国家、民族等々、あらゆる壁を超えて、同じ人間として結び合うべきである。 . . . 本文を読む
宗教の第一の使命は、悩める友の救済にある。貧しき人や病める人に、救いの手を差し伸べてこそ、真実の宗教である。学会は、この苦悩する人々を救済することに全力を傾けてきた。しかし、日本国内にあっては、それを嘲笑うかのように、学会は「貧乏人と病人の団体」と言われ続けてきたのである。そのなかでこの壮年が、宗教本来の使命に照らし、創価学会こそ真実の宗教であると結論したのは、まことに卓見といえよう。 . . . 本文を読む