山本伸一は、さまざまな苦難の風雪を乗り越えてきた秋田の同志に、自分の真情を率直に語っていった。
「私は、ずいぶん、人から騙されてきました。利用され、陥れられもしました。
弟子を名乗る者のなかにも、そうした人間がいることを知っていました。『あの男は下心があるから、早く遠ざけた方がよい』と言ってくる人もいました。それでも私は、寛大に接し、包容してきた。心根も、魂胆もわかったうえで、信心に目覚め . . . 本文を読む
ここで山本伸一は、今回の宗門事件のなかで、学会の組織を攪乱するなどした幹部がいたことから、その共通性に言及していった。
「これまで、私の側近であるとか、特別な弟子であるなどと吹聴し、皆に迷惑をかけた幹部が一部におりました。結局、私を利用して自分の虚像をつくり、同志を騙す手段にしてきたんです。
私は、日々、さまざまな会員の方々と接しておりますが、皆、平等に、指導・激励にあたってきたつもりです . . . 本文を読む
私は、入信して三十年を迎えますが、その間、多くの同志の姿を見てまいりました。臆病な人、わがままな人、学会をうまく利用しようとした小才子、要領主義の人、名聞名利の人など、さまざまな人がおりました。そういう人たちは、結局、退転し、最後は行き詰まり、無残な姿を露呈しています。
しかし、牧口先生、戸田先生の指導通りに、一途に信心を貫き通した人は、途中、大変な苦労があっても、最後は、すべて乗り越え、見事に . . . 本文を読む
この「開目抄」では、舎利弗などの退転の事例があげられている。――過去世において、舎利弗が六十劫という長い長い間、菩薩道を修め、人に物を施す布施行に励んでいた時のことである。婆羅門(司祭階級)の一人が現れ、舎利弗に「眼をくれ」と乞うた。舎利弗は求めに応じて、自分の片方の眼を抜いて与えた。
婆羅門は、その臭いをかいだ。
「臭い。いやな臭いだ!」
そう言って、眼を投げ捨て、踏みつけた。
“こんな輩 . . . 本文を読む
「牧口先生の時代も、皆、御書を拝していたのだから、難があるということは、当然、知っていたはずだ。しかも、当時の座談会にも特高刑事が来ていたわけだから。
ところが、牧口先生、戸田先生が投獄される。自分たちも、逮捕されるかもしれないという恐怖感をいだくようになる。また、先が見えず、未来に希望がもてなくなる。
それで“自分たちは自分たちでいこう。牧口先生の生き方では駄目だ。違った生き方をしよう” . . . 本文を読む
「大聖人は『佐渡御書』で、弾圧を恐れた弟子たちの言い分を、『日蓮御房は師匠にておはせども余にこは(剛)し我等はやは(柔)らかに法華経を弘むべし』(御書九六一ページ)と記されている。
つまり、彼らは、“大聖人は自分たちの師匠ではあるが、その折伏の方法は、あまりにも強引すぎる。だから、迫害も起こる。自分たちは、もっと柔軟に法を弘めよう”と言うわけです。
一応、言い分としては、弘教の方法論への批判と . . . 本文を読む
「五老僧は、自分たちの生き方が退転であり、大聖人に敵対することになるという意識は、なかったのではないでしょうか。自分としては、当然のことをしていると思っていたのかもしれません。気づかぬうちに、信心の軌道を踏み外す。そこが怖いところです」 . . . 本文を読む
五老僧は、大聖人が御入滅に先立って定められた本弟子と呼ばれる六人の高僧のうちの、日興上人を除く五人である。
いずれも、大聖人の付嘱を受けた日興上人を門下の中心として仰ぐことができずに、敵対していくのだ。 大聖人は、退転者の共通傾向を、「をくびやう(臆病)物をぼへず・よく(欲)ふか(深)く・うたがい多き者ども」(御書一一九一ページ)と御指摘になっている。臆病であり、師の教えを心に刻むことなく、私 . . . 本文を読む
山本伸一は、御書の御文を解説していった。
「日蓮大聖人は、成仏したいと思うなら、ひたすら慢心の幢鉾を倒し、瞋りの杖を捨てて、一仏乗である南無妙法蓮華経を信じていくべきであると言われている。そして、名聞名利は、今生の飾りに過ぎず、我を張り、偏見に執着する心は、後生の成仏の足かせになってしまうと、指摘されているんです。私は、たくさんの人を見てきましたが、退転していった人の多くが傲慢でした。慢心があれば . . . 本文を読む
自分に光が当たらなくなると、離反はせずとも、ふてくされたり、勝手な行動をとる者、傍観者を決め込む者も出るでしょう。私は、戸田先生の時代から、傲慢な幹部たちが堕ちていく姿を、いやというほど見てきました。地道な活動をせず、威張りくさり、仲間同士で集まっては、陰で、学会への批判、文句を言い、うまい儲け話を追い求める。そういう幹部の本質は、私利私欲なんです。 . . . 本文を読む