伸一は、草創の同志と会うと、決まって言うことがあった。それは、「人生は、総仕上げの時が、最も大切である」ということであった。
過去にどんなに活躍し、栄光の歴史を残したとしても、晩年になって退転してしまえば、結局は敗北の人生となってしまう。
日蓮大聖人は、「譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこ(運)びて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき」(御書一 . . . 本文を読む
「当時、四十代、五十代であった方々が、今は六十代、七十代となり、人生の総仕上げの時代に入った。したがって、“総仕上げ”とは、いかなる生き方を意味するのか、少しお話しさせていただきます。
先ほども申し上げましたが、第一に、報恩感謝の思いで、命ある限り、広宣流布に生き抜き、信仰を完結させることです。正役職から退くことはあっても、信心には引退も、卒業もありません。“去って去らず”です。
そうでなけ . . . 本文を読む
「お幾つになりましたか」
「はい。今年、七十になります」
「まだまだ、お若い。病気を克服されたからには、これからの人生は、御本尊から授かった生命であり、恩返しの人生であると決めて、人びとの幸せのために生涯を捧げ抜いてください。そうすれば、自身の最高の幸福境涯を築くことができます。
実は、七十になった時に、そう人生をとらえていけるかどうかが、大事なんです。
“私は、これまで頑張ってきた . . . 本文を読む
往復書簡では“老い”の問題もテーマとなった。井上靖は、「八十九歳(数え年)の死の直前に次々に傑作を描いた鉄斎という画家を立派だと思わないわけにはゆきませんでした」と述べた。
山本伸一は、この富岡鉄斎の話を受けて、“老い”について語った。老醜、老残などという言葉があるように、“老い”は、ともすれば否定的に考えられがちだが、それは、誰も避けることのできない、「人生の総決算、総仕上げであり、その生 . . . 本文を読む