「何かを成し遂げよう、改革していこうと思えば、必ず分厚い壁があり、矛盾に突き当たる。いや、現実は矛盾だらけだ。しかし、そのなかを、日々、聡明に、粘り強く、突き進むしかない。
ましてや、世界広宣流布は、前人未到の新航路だ。困難だらけのなかでの建設です。頼れる人など、誰もいないと思い、一人立つのだ!
皆が“山本伸一”になるんです。全員が、この自覚に立つならば、二十一世紀は、洋々たる希望の世紀と . . . 本文を読む
「『0』に、いくら多くの数字を掛けても『0』である。しかし、『1』であれば、そこから、無限に発展していく。このカナダ広布の歴史は、イズミヤ議長が、敢然と広宣流布に立ち上がったところから大伸展を遂げ、今や約千人もの同志が集うまでになった。 すべては一人から始まる。その一人が、人びとに妙法という幸福の法理を教え伝え、自分を凌ぐ師子へと育て上げ、人材の陣列を創っていく――これが地涌の義であります。
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「やがて、ここから見える、たくさんの家々の窓に、妙法の灯がともる日が必ず来ます。広宣流布の時は来ている。今こそ、皆が勇気をもって一人立つことです。
戸田先生が第二代会長に就任された時、同志は三千人ほどにすぎなかった。しかし、師弟共戦の使命に目覚めた青年たちが立ち上がり、七年を待たずに、学会は先生の生涯の願業であった会員七十五万世帯を達成します。
それは、果敢な対話の勝利でした。私たちには、 . . . 本文を読む
悪侶や週刊誌等による学会への集中砲火を、同志は耐え忍んだ。職場などで、同僚や上司から週刊誌の学会批判の話を聞かされる人もいた。しかし、創価の仏子たちは、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書七五〇ページ)、「賢聖は罵詈して試みるなるべし」(同九五八ページ)等の御文を思い起こしながら、互いに励まし合い、弘教に走った。
当時、「聖教新聞」は、ようやく山本伸一の行動等が報じられるようになったとはい . . . 本文を読む
伸一の胸中には、いよいよ世界広布の新時代が到来したとの思いが、日々強まっていた。
国際親善友好の集いで伸一は訴えた。
「世界から千三百人ものメンバーが、大聖人の仏法を求めて来日したこと自体、仏法史上、画期的な出来事です。皆さんは、世界広宣流布の未聞の道を開いている先駆者であり、歴史の創造者であるとの自覚を忘れないでください。
それぞれの国へ帰れば、メンバーはまだ少なく、広大な地 . . . 本文を読む
「広布の旅路には、さまざまな出来事がある。変遷もある。幹部の交代だって当然あります。そんなことに一喜一憂するのではなく、ひたすら広宣流布に邁進していくんです。それが学会精神ではないですか!
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』(御書一六一八ページ)との、日興上人の御遺誡通りに進んでいこうではありませんか!
私は私の立場で、一個の人間として、全精魂を尽くして広宣流布を . . . 本文を読む
伸一は思った。
“自分の会長辞任が発表されれば、少なからず皆は驚くにちがいない。しかし、何があろうが、いささかたりとも、信心に動揺があってはならない。そのために、不動の信心の確立を叫び抜いておかねばならない” 彼は、言葉をついだ。
「学会においても、幾つかの転機があり、乗り越えるべき節があります。いかなる時でも、私たちが立ち返るべき原点は、初代会長の牧口先生が言われた“一人立つ精神”であり、 . . . 本文を読む
東南アジアの国々は、戦時中、日本軍の侵略を受けており、反日感情も根強い。学会が日本で誕生した宗教というだけで、嫌悪感をあらわにする人たちも少なくなかった。
しかし、どんなに無理解や誤解の壁が厚かろうが、退くわけにはいかなかった。
“この信心で、ここで幸せになるしかない!学会員は自分しかいない。自分がやらなければ、この国の広宣流布は誰がやるのだ!”との強い思いがあった。
一人立つことこそが . . . 本文を読む
創価学会は、どこにあるのか――。
遠く彼方にあるのではない。自分が暮らし、日々戦い、励ましの歩みを運ぶ、わが地域、わが地区(以前の大ブロック)、わがブロックにこそ、絢爛たる創価の大城があるのだ。
ゆえに、そこに、「わが組織を見よ。これが創価学会だ!」と胸を張れる、歓喜と麗しき人間共和の実像をつくらねばならない。
わが組織に――
功徳の体験の花は咲き薫っているか!
信心の歓喜と確信は . . . 本文を読む
山本伸一は、身を突き刺すような冬の寒さ、世間の風の冷たさのなかで、戸田城聖の弟子として、決然と一人立った。
戸田がともした、広宣流布という民衆の救済の火を絶やさぬために、彼は走りに走った。
伸一は、この青春の苦闘のなかで、後継の弟子としての、自己の使命を自覚していた。
そして、その使命に生き抜こうと決意した時、彼は、苦悩の雲を破って、歓喜の太陽が胸中に昇りゆくのを感じた。 . . . 本文を読む
「学会本部のある本陣・東京は、その底力を全国に示し、“さすが東京だ”“やっぱり東京だ”と言わしめる文化祭にしてほしい。東京は、どんな活動に際しても、学会員が多いだけに、自分が本気になって頑張らなくても、なんとかなるなどと思ってしまいがちだ。しかし、そうした感覚に陥ることこそが“魔”に負けた姿だ。心のどこかで人を頼み、“一人立つぞ!”と決めなければ、本当の力は出ない。すべての力を出し尽くし、自分を完 . . . 本文を読む
山本伸一は、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり……」(御書一三六〇ページ)の御文では、「一人立つ」勇気の信心を力説した。
「いつの時代にあっても、絶対に変わらない広宣流布の根本原理が、『一人立つ』ということです。大聖人も、そして牧口先生も、戸田先生も、決然と一人立たれた。これが、仏法の精神であり、創価の師子の心です。
『一人立つ』とは、具体 . . . 本文を読む
山本伸一は、海外メンバーに、次々と声をかけ、レイを贈るなどして励ましていった。メンバーのなかに、ウルグアイから来日した四人の青年がいた。男性二人、女性二人である。
同行の幹部が、伸一にメンバーを紹介した。四人のうち、一人は、日系人の男性で、あとの三人は、スペイン・イタリア系などのウルグアイ人であった。ウルグアイは南米の南東部にあり、ブラジルとアルゼンチンに隣接する国である。日本とは、ほぼ地球の . . . 本文を読む
「この写真を見て、諸君のことを心に焼き付け、私も世界広布のために戦います!私の胸には諸君がいる。そのことを忘れないでください。また、諸君の心にも、私がいると信じます。これが師弟です。
皆さんが、厳しい条件のなかで、懸命に信心に励んでいることは、よく知っております。航海に出れば、同志は誰もいないというケースも多いことでしょう。しかし、一人立つのが師子です。そのなかで、人格を磨き高め、誰からも信頼さ . . . 本文を読む