世間を離れて仏法はない。日蓮大聖人は、「まことの・みち(道)は世間の事法にて候」(御書一五九七㌻)と仰せである。仏法は、地域、社会での、自身の振る舞いのなかにある。自分が今いる、その場所こそが、仏道修行の場であり、広宣流布の場所なのだ。 . . . 本文を読む
新しく建設された団地や新興住宅地の常として、なかなか住民の心の交流は図れなかった。そのなかで、学会員は、いち早く連絡を取り合い、「この団地を、一日も早く、人情味にあふれた、人間性豊かな団地にしよう」と語らいを重ねた。
「皆さんのお役に立てるなら」と、積極的に、団地の自治会をはじめ、地域の役員を引き受ける人も少なくなかった。ある壮年部員は、団地の老人会の中心となり、定期的に懇親会を開催した。さら . . . 本文を読む
伸一は、最後に、「常識を大切に」と訴えていった。
「非常識な言動で、周囲の顰蹙を買う人を見ていると、そこには共通項があります。一瞬だけ激しく、華々しく信心に励むが、すぐに投げ出してしまう、いわゆる〝火の信心〟をしている人が多い。
信仰の要諦は、大聖人が『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書一一三六㌻)と仰せのように、持続にあります。職場、地域にあって、忍耐強く、信頼 . . . 本文を読む
一九七四年(昭和四十九年)の十月上旬、聖教新聞の記者が、見出しの相談に来たことがあった。その紙面に、社会部のグループ長会が報道されるのを知ると、伸一は、自ら見出しの案を示した。 「〝社会に根を張って初めて広布〟と」
そして、こう語るのであった。
「世間への執着を捨てて、仏門に入ることを『出世間』というが、人びとを救うために広宣流布をしていくには、さらに『出世間』を離れ、再び、世間という現実社 . . . 本文を読む
「社会仏法、民衆仏法なるがゆえに、庶民がそれぞれの生活の場で、粘り強く改革運動を推進していくことこそ、仏法の本義であります。したがって、職域社会、地域社会の最前線で戦う皆様の姿こそ、『社会の年』の前駆をなしているのであります。
どうか皆様一人ひとりが、人びとから好かれ、愛され、信頼されるリーダーとなってください。そして、未来にわたる広布の礎を、盤石なものとすべく、成長しゆかれんことを心から祈っ . . . 本文を読む
「仏法即社会」である。ゆえに、仏法の哲理を社会に開き、時代の建設に取り組むことは、信仰者の使命である。それには、一人ひとりが人格を磨き、周囲の人びとから、信頼と尊敬を勝ち得ていくことだ。人間革命、すなわち、人格革命こそが、そのすべての原動力となるのである。
職場にあっては、仕事の第一人者、勝利者としての実証を示し、信頼の柱となるのだ。
地域にあっては、友好の輪を広げ、和楽と幸福の実証を打ち立 . . . 本文を読む
最後に山本伸一は、法華経神力品の「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経五七五ページ)の、「世間に行じて」について述べていった。
「世間とは、社会であり、社会の泥沼のなかで戦うのでなければ、衆生の苦悩の闇を晴らすことは、不可能なのであります。
日蓮大聖人が、当時、日本の政治などの中心地であった鎌倉で、弘教活動を展開されたのも、『世間に行じて . . . 本文を読む
日蓮大聖人は、「謗法と申すは違背の義なり」(御書四ページ)と仰せである。正法に背き、反対することが、謗法の本質的な意味である。大聖人が、「ただ心こそ大切なれ」(同一一九二ページ)と言われたように、御本尊に対する信心が揺るがないことこそが重要なのである。
軍部政府の宗教弾圧に屈して、天照大神の神札を祭るといった行為は、当然、「謗法」と断じなければならない。しかし、広宣流布への固い決意をもって、地域 . . . 本文を読む
伸一は、仏法の眼から見た時、社会の混乱の奥にある根本原因は何かについて語ろうと思った。
彼はまず、「諌暁八幡抄」の御文を拝した。 「八幡の御誓願に云く『正直の人の頂を以て栖と為し、諂曲の人の心を以て亭ず』等云云」(御書五八七ページ)
「八幡」とは「八幡大菩薩」のことで、農耕神や銅産の神などとして崇められてきた、正法を護持する者などを守護する諸天善神である。諸天善神とは、国土、民衆を守り、福を . . . 本文を読む