伸一は、関矢に語りかけた。
「先輩もいないなかで、本当によく頑張ってくれました。学会を守ってくださっているのは、何があっても、私と同じ決意で、“自分が、皆を幸せにしていこう!一切の責任を担い立っていこう!”という人なんです。これが、学会の側に立つということです。
学会を担う主体者として生きるのではなく、傍観者や、評論家のようになるのは、臆病だからです。また、すぐに付和雷同し、学会を批判する . . . 本文を読む
「遠くアルプス山中に湧いた一滴一滴の水が、イタリアの地を流れ、ポー川の大河となって、やがて、アドリア海へと至る。生命のルネサンスをめざす私どもの運動は、今は山中を下り始めたばかりかもしれないが、やがて三十年後、五十年後には、滔々たる大河の流れとなり、人類の新しき平和の潮流になるであろうことを宣言しておきます。そのためには、人を頼むのではなく、自分こそが広布の責任者であると決めて、一人立つことです。 . . . 本文を読む
伸一は、青年たちとも好んで懇談した。神奈川文化会館で数人の男子部、学生部の幹部らと語り合った折、彼は尋ねた。
「学会は新出発して半年以上が経過したが、青年は元気かね」
男子部の幹部が答えた。
「はい。頑張っています。ただ、先生が会合で指導されることがなくなってしまい、皆、寂しい思いをしています」
伸一は、すかさず言った。
「そう感じたならば、青年が立ち上がるんです。そうでなけれ . . . 本文を読む
広宣流布は前代未聞の大業であり、道なき道を開き進む労作業である。その道を切り開くには、人を頼むのではなく、皆が自発・能動の信心で、一人立つことである。
自らが目標を定め、主体者となって取り組む活動には歓喜がある。また、日々、勇気を奮い起こして自分の殻を破り、新しい挑戦を重ねていくことだ。挑戦こそが、前進と成長の原動力となる。
武蔵野を愛し、調布で晩年を過ごした文豪・武者小路実篤は、次の言葉を . . . 本文を読む
「広宣流布の主体者になることこそが、福運を増す要諦なのであります。ゆえに、”守られる側から、同志を守る側になろう””受動から能動の姿勢に立とう”とするなかに、大聖人につながる信心の確立があることを、私は訴えておきたいのであります」 . . . 本文を読む
活動の目標が打ち出されても、幹部など一部のメンバーだけが活動に取り組んでいるのでは、人材も育たなければ、広宣流布の本当の広がりもない。全会員が、共に責任を分かちもち、主体者となって活動の大舞台に躍り出てこそ、新しい活力にあふれた、新しい前進があるのだ。
皆が地涌の菩薩である。皆が尊き使命をもった如来である。その力が十全に発揮される流れを開いていくことこそ、広宣流布のリーダーの大切な要件といえよう . . . 本文を読む
彼らは、会社の社長や上司、同僚、組合関係者、海運の各種団体などを回っては、写真展の趣旨を訴え、出席を呼びかけた。
「今、海運業界は不況です。だからこそ、海運の仕事に従事する人たちに、希望と勇気と誇りをもってもらおうと、この写真展を企画しました。写真には、海を愛する人間の気概があふれていると自負しています」
海運会社の、ある重役は言った。
「頼もしい限りだね。ところで、どうして君たちは、そ . . . 本文を読む
彼は、常に弟子たちに語っていた。「広宣流布は、この戸田がする。七十五万世帯は、戸田の手で達成する。君たちも手伝いたいか!」
戸田は、決して「戦ってくれ」とは言わなかった。自分でやると決めていたのだ。一人立ったのである。
弟子たちは、「お手伝いをさせてください!」と、広宣流布の戦いに加わることを、戸田に誓願したのだ。
だが、その戸田が、ある時、伸一にこう語ったのである。
「広宣流布は、お . . . 本文を読む
社会の建設といっても、最も身近な、近隣との関わりから始まるのだ。
山本伸一は、折々に、「学会員は、地域の幸福責任者です」と訴えてきた。この指導は、同志の胸中に深く根差し、社会貢献という使命の自覚を促してきたのである。
民衆は大地である。その民衆の生命が耕され、社会を創る主体者であるとの意識の沃野が開かれてこそ、地域の繁栄という実りもあるのだ。
学会員のなかには、かつては、社会の底辺で宿命に . . . 本文を読む
日蓮仏法は、「立正安国」の宗教である。
「立正」(正を立てる)とは、正法すなわち、慈悲と生命尊厳の仏法哲理を、社会建設の主体者である、一人ひとりの人間の胸中に打ち立てることである。
「安国」(国を安んずる)とは、その「立正」の帰結として、社会の平和と繁栄を築いていくことである。
いわば、「立正」という、仏法者の宗教的使命の遂行は、「安国」という、仏法者の社会的使命の成就によって、完結すると . . . 本文を読む
伸一が最も粘り強く指導・激励を重ねたのは、愚痴や文句の多いメンバーに対してであった。 彼は、そうした記者の意見をすべて聞いたうえで、諄々と訴えた。
「もし、学会に批判があるなら、ただ文句を言っているのではなく、君が自分で、理想的な学会をつくっていくことだ。私もそうしてきた。自分は傍観者となり、ただ批判をしているだけでは、破壊ではないか。主体者となって立ち上がろうとしなければ、自分の成長も広宣流 . . . 本文を読む