新しき時代の扉は青年によって開かれる。若き逸材が陸続と育ち、いかんなく力を発揮してこそ、国も、社会も、団体も、永続的な発展がある。ゆえに山本伸一は、常に青年の育成に焦点を当て、全精魂を注いできた。
青年が、広布の後継者として大成していくうえで大切な要件は、何よりも信心への揺るぎない確信をつかむことである。
そして、地涌の深き使命を自覚し、自身を磨き鍛え、人格を陶冶していくことである。
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「真の人材とは、地涌の菩薩の使命を自覚し、より広く、深く法を知らしめていく人である。より大勢の人の依怙依託となれる人である。聡明で、理に適い、人びとを納得させられる人である。次の後継の人を育成できる人である。また、良識の人であり、皆に、安心と希望と確信を与えられる人である。そのために自らを磨き鍛えていただきたい」 . . . 本文を読む
伸一は、未来部員に、ぜひとも会っておきたかった。二十一世紀を託すために、全生命を注いで鳳雛たちを育てたかったのである。
会場に姿を現した伸一に、少年・少女部の代表から、紙のカブトが贈られた。
勤行会で、彼は訴えた。
「皆さんは、これから大地に根を張り、大樹へと育ちゆく若木である。若木には添え木も必要であるし、水もやらねばならない。育てるには、多くの労力を必要とする。
そのように . . . 本文を読む
「不思議だね。また、『勇将グループ』の皆さんとお会いできるなんて」
「前回、記念撮影していただいたメンバーは卒業し、今回は、新しいメンバーが集っています」
「すばらしいことだ。陸続と人材が育っていってこそ、広宣流布の前進はある。現状維持は停滞です。創意工夫をかさね、常に現状を打破し、希望へ、勝利へ、未来へと進んでいく力が信心です。
どうか、一人立つ一騎当千の人材を育て続けてください。目黒 . . . 本文を読む
「熊本県創価学会には、今の何倍も、何十倍も、多彩な人材が必要だ。人材というと、表に立って指揮を執る人のように考えてしまいがちだが、裏で黙々と頑張る人も大切なんです。いや、そうした人を、見つけ、育てなければ、難攻不落の創価城は築けません。
熊本城もそうだが、堅牢な城の石垣は、表の大きな石の裏側に、『裏込』といって、砕いた小石が、たくさん組み込まれているんです。この『裏込』が、石垣内部の排水を円滑 . . . 本文を読む
次いで彼は、熊本県創価学会にとって、今後の重要なカギは、「人材の育成」にあるとして、どうすれば、人材を育てることができるかについて言及していった。
「人材は、自然に育つものではありません。人材を育成しようとする先輩幹部の、誠意あふれた行動によってのみ、後輩たちの、人材たろうとする使命の自覚がなされていきます。
人間を育むのは、どこまでも人間です。”ここまで、自分を信頼し、期待してくれているの . . . 本文を読む
人材のとらえ方には、さまざまな角度がある。真面目、誠実、情熱的、忍耐強いなどといった性格的な面からの見方もある。また、弁が立つ、行動力がある、感性が豊か、創造性がある、優れた技能をもっているなど、能力面からの評価もある。さらに、社会的な地位や立場、学歴、経済力等々の観点もある。
しかし、どんなに優れた能力をもち、社会的に高く評価される立場にあったとしても、信心の一念という根本が揺らいでいたので . . . 本文を読む
学会の人材の要件とは何か――。
根本的には、生涯、広宣流布のために生き抜く人です。学会と共に、師弟不二の大道を歩み続けていこうと決意し、それを実践している人です。
しかし、人間の心のなかを見ることはできない。一生懸命に頑張っていたとしても、奥底の一念は、自分が偉くなって権勢を得ようという、野心である場合もあります。
最悪なケースは、中心幹部が、それを見抜けずに、そういう人たちにおだ . . . 本文を読む
“人材を見つけよう!人材を育てよう!人材の創価城を築こう!”
山本伸一は、そう深く決意しながら、対話と励ましの指導旅を続けた。
中国・蜀漢の名宰相・諸葛孔明は、「国を治める道は、力を尽くし、優秀な人材を見出し、登用することにある」との言葉を残している。創価学会の未来もまた、一に、どれだけ多彩な、たくさんの人材が育成できるかにかかっている。 . . . 本文を読む
そして、婦人部の県指導部長になった永井福子に言った。
「永井さんも、よく頑張ってくれた。しかし、本当に大事なのはこれからなんです。後任の幹部が、存分に力を発揮していけるかどうかは、前任者の責任です。どれだけ、後任の人を守り、応援できるかです。
そして、佐賀県創価学会が大前進できたら、皆に、『酒田婦人部長が立派だからです』と言って、讃え抜いていくんです。あなたに、その度量があれば、佐賀は大発展 . . . 本文を読む
農島は、中森が活動を開始して、四カ月後に、福岡県に転居することになった。その引っ越し前日の夜まで、彼は、中森を連れて弘教に歩いたのである。
「俺の引っ越しのことなんか、心配せんでよか。俺んとこは、家財も、荷物もなんもなか。着の身着のままやけんね」
中森は、自分を必死になって育てようとする農島の真心が、胸に染み渡る気がした。
“この誠意に応えるためにも、自分は、広宣流布の闘士になろう”と . . . 本文を読む