一瞬の出会いでも、発心の旅立ちとするために心を砕く――それが励ましの精神である。 . . . 本文を読む
この夏、世界四十一カ国三地域のSGIメンバー千三百人が来日していた。伸一は、十三日に神奈川文化会館で開かれた国際親善友好の集いや、十五日に行われた東京戸田記念講堂での世界平和祈願勤行会に、SGI会長として出席し、メンバーを激励した。
彼は、いかなる状況下にあろうが、広宣流布のために奮闘し、世界各地から求道の心を燃やして来日した健気な同志を、励まさずにおくことなど、絶対にできなかった。
日蓮大 . . . 本文を読む
「青年には、両親が信心していないことで悩んでいる人が多いが、急いで入会させようと、焦る必要はありません。
特に、君の場合は、お父さんがおられるからこそ、医学部で学ぶことができるんだから、人一倍、感謝の心がなければいけません。それが、仏法者です。お父さんとお会いしたら、『お父さんのおかげで、大学に行かせていただいております。ありがとうございます』と、心から御礼を言うことだよ。できるかい」
「 . . . 本文を読む
熊本に到着してからの伸一の行動を見てきた、県長の柳節夫は思った。
〝先生は、一人ひとりの話に耳を傾け、真剣勝負で激励され続けてきた。懸命に、人材を見つけ、育てようとされているんだ。この励ましこそ、創価学会の生命線なんだ。
私は、同志への地道な激励、指導とは、かけ離れたどこかに、広宣流布の大闘争があるように思っていた。しかし、それは違う。先生が、熊本で示してくださっていることは、ただただ、眼 . . . 本文を読む
「ところで、皆さんは、『激励』というのは、年長者が、年少の人に対して行うものであるかのように、思い込んでいませんか」
伸一が言うと、皆が頷いた。
「それは違います。たとえば、母親が『ママ、頑張ってね』と子どもに言われて、元気を得ることもあります。これも、子どもによる『激励』『励まし』です。つまり、『激励』は、決して年長者からの一方通行ではなく、世代、立場を超えて、双方から発信できるんです。 . . . 本文を読む
「そうか。意気盛んだな。しかし、少しでも危険な状況になったら、無理をしないで、すぐに避難することも大事だよ。研修、訓練といっても、絶対無事故が鉄則です。
佐賀県の輸送班が元気なことはよくわかったが、みんなのご家族は、お元気なのかな。もし、ご家族で病気の方がいらしたら、名前を書いて出すように伝えてください」
伸一の思考は、眼前の一人ひとりから、家族にまで広がっていくのが常であった。
徳永明 . . . 本文を読む
幾つかの信仰体験が語られたあと、目の不自由な一人の婦人が手をあげて質問した。――子どもの時に失明し、入会して信心に励むようになって一カ月ぐらいしたころ、少し視力が回復した。しかし、このごろになって、また、元に戻ってしまった。果たして、目は治るのかという質問である。
〝室長は、なんと答えるのか……〟
酒田は、固唾をのんで見ていた。
伸一は、その婦人の近くに歩み寄って、婦人の顔をじっと見つめた . . . 本文を読む
「君には、大きな使命があるんだ。創価大学で、ぼくらの分まで勉強してきてほしい。また、山本先生がいらっしゃる学会の本陣・東京で、しっかり、信心を磨くんだ。そして、何か困った問題があったら、必ず連絡するんだよ。すぐに飛んで行くから」 . . . 本文を読む
伸一は、懇談会の全参加者に言った。
「私は、本来なら、会員の皆さんのお宅を一軒一軒訪問し、共に勤行もし、語り合いたいんです。特に、さまざまな悩みをかかえて苦しんでいらっしゃる方とお会いし、肩を抱き、生命を揺さぶるように、励ましたいんです。みんな、大切な仏子だもの。
その時間は、なかなか取れませんが、それが私の心です。また、それこそが、初代会長の牧口先生以来の、会長の心なんです。
牧口先生は . . . 本文を読む
どんなに多忙でも、人を励まそうという強い一念があれば、さまざまな工夫が生まれる。
伸一は、会合に出席しても、指導する時間があまり取れない時には、懸命に学会歌の指揮を執り、激励したこともあった。全精魂を注いで、皆と万歳を三唱して、励ましたこともある。また、記念撮影をして、共戦の誓いをとどめることもあれば、生命と生命を結ぶ思いで、一人ひとりと握手を交わすこともあった。
さらに、歌や句を詠んで贈 . . . 本文を読む
われらは、何のためにこの世に出現したのか。
地涌の菩薩なれば、広宣流布のためである。
広宣流布とは、一切衆生の成仏得道の法である妙法を弘めゆくことだ。
それは、人びとの仏の生命を涌現せしめ、大いなる生命力を、善なる心を、正義の意志を、勇気を、希望を、呼び覚ますための聖業である。
その行為を、平易な言葉で表現するなら、「励まし」といえよう。
ゆえに伸一は、わが人生は、人への「励まし」のためにあると決 . . . 本文を読む
釈尊の八万法蔵という膨大な教説を、天台は、『五時八教』に判別しています。そう聞くと、精密に体系立てられた教理を思い浮かべ、釈尊も、そのカリキュラムに沿って説法したかのように受け取りがちであります。しかし、釈尊の説法は、貧苦にあえぐ庶民への激励であり、病に苦しむ老婦人を背に負わんがばかりの同苦の言葉であり、精神の悩みの深淵に沈む青年への、温かな励ましの教えでありました。 . . . 本文を読む