伸一が、家の歴史について尋ねると、「実は、わが家にはこんな言い伝えがありまして」と言いながら、伝承を語り始めた。
――昔、ある冬の夜のことである。庄屋の彦左衛門が、ため池に落ちて凍えるキツネを助け上げ、体を湯で拭いて乾かし、山へ帰した。キツネは、嬉しそうに「コン、コン」と鳴きながら消えていった。翌朝、家に二羽のキジが置いてあった。雪の上には、点々とキツネの足跡が続いていた。
「恩返しにやって . . . 本文を読む
「親父さんは、現象的には、子どもの成長を願うこの父親とは、正反対のように思えるかもしれない。しかし、仏法の眼で見れば、本質的には同じなんだよ。親父さんがいたからこそ、君たち兄弟は〝負けまい〟として、信心の炎を燃やしてくることができた。
親父さんは、君たちを大信力の人にし、大成させるために、信心にも反対し、借金をつくって逃げているんだよ。そう考えれば、親父さんは、まさに〝仏〟と同じじゃないか。 . . . 本文を読む
人生を大きく左右するのは、福運です。その福運を積むうえで大事なのは、感謝の一念です。同じように学会活動をしていても、不平不満を言いながらでは、福運を消してしまう。
それに対して、“今日も仏の使いとして働ける!”と、御本尊、大聖人に感謝し、信心を教えてくれた学会に感謝していくならば、歓喜の世界が開かれる。そして、その心が、功徳、福運につながるんです。 . . . 本文を読む
会員の皆さんへの感謝が大切です。特に、苦労して頑張ってくださっている方や、何かで尽力してくださった方がいたら、機会を逃さず、丁重に『ありがとうございます』と、御礼を言うことです。
組織といっても人間の世界です。感謝の言葉もなく、やって当然というような態度であれば、皆の心は離れていってしまう。 . . . 本文を読む
四国記念幹部会や婦人部懇談会など、四国研修道場での諸行事を終えた山本伸一は、夜更けて、「東京の歌」の作詞に取り組んだ。
彼は、歌詞を考えながら、東京が、全国、全世界の広宣流布の本陣として、さらに大きな飛躍を遂げていくためには、何が必要かを考えていった。
――東京は、人の層も厚く、多彩な人材が集っている。しかし、それは、ともすると、一人ひとりの責任感、使命感の希薄化を招きかねない面がある。つまり . . . 本文を読む
伸一が部屋に入ると、拍手が起こった。
「皆さん、こんばんは!山本です。いつも、大変にお世話になっております。ありがとうございます」
こう言って彼は、深々と頭を下げた。
「皆さんが、ますますご健康、ご長寿で、ご一家が安穏でありますよう、いつも、いつも、ご祈念しております」
人間として、とりわけリーダーとして大事なことは、常に「感謝」と「賞讃」の心をもち、それを、素直に口に出せるかどうか . . . 本文を読む
“戸田先生あればこそ、大仏法に巡り合うことができた。先生あればこそ、今の自分がある。先生、伸一は幸せ者です……”
戸田を思う時、必ず、伸一の心は、師への感謝でいっぱいになった。そして、感謝は歓喜と報恩の決意となり、広宣流布への闘魂の炎となって燃え上がるのであった。
韓国の“独立の闘士”であった大詩人の韓龍雲は語っている。「感謝の心! そこに理解もあり、尊敬もある。満足もあり、平和もあるのだ . . . 本文を読む
仏法には「恩」という考え方がある。それはタテ社会の主従関係を強いるものではない。「一切衆生の恩」が説かれているように、心を社会へと広げ、他者の存在を受け入れ、信頼の眼を開いていく哲学ともいえよう。
山本伸一は、この「恩」について、松下幸之助に意見を求めた。
松下は「恩」を最重要視していた。「感謝報恩」は、自身の「処世の基本」であり、自社の社員の指針の一つでもあるという。
それは「この思い . . . 本文を読む
感謝の心は、その人の生き方、哲学の表れといってよい。自己中心の生き方を排し、何事も皆の支えがあってこそ成り立つという考えをもつならば、おのずから、人びとへの感謝がわくものだ。しかし、自分中心で、“周囲の人が何かしてくれて当然”という考え方でいれば、感謝の思いをいだくことはない。胸には、不平と不満が渦巻いていく。 . . . 本文を読む
テレシコワ議長は、母親の教育に話が及んだ時、しみじみとした口調で語った。
「私も母がいたからこそ、今の私があるのだと、心の底から思います」
感謝の心がある人は謙虚である。そして、感謝の心が、自身の向上の力となる。 . . . 本文を読む