参加者の喜びのなか、マイクに向かった山本伸一は、熊本訪問に先立ち、十三年半ぶりに大分を訪れたことを述べ、西南戦争での大分・中津隊の戦いについて語っていった。
「一八七七年(明治十年)、西郷隆盛の軍と政府軍は、田原坂で激戦を展開し、西郷軍は敗退してしまう。一方、大分の中津では、増田宋太郎と共に数十人が義勇軍として挙兵した。これが中津隊です。彼らは、阿蘇で西郷軍と合流し、見事な戦果をあげるが、最後 . . . 本文を読む
伸一の手を握り締めて離さぬ壮年や老婦人もいた。一人の婦人が、持参してきた雑誌を見せながら、「念願の料理店を開きました。店が雑誌に紹介されています。ぜひ来てください」と語ると、伸一は「お伺いしますよ」と笑顔を向けた。
なんの分け隔てもない、信心で結ばれた人間の絆――これが“創価家族”である。 . . . 本文を読む
今回の第三回鼓笛隊総会では、壮年・婦人・男子・女子部の合唱団が一体となって交響詩「民衆」を歌い上げた。まさに多様な民衆が力を合わせ、凱歌を轟かせていったのだ。
山本伸一は、詩「民衆」に綴っている。
科学も 哲学も 芸術も 宗教も
あらゆるものは
民衆に赴くものでなければならない
君のいない科学は冷酷――
君のいない哲学は不毛――
君のいない芸術は空虚――
君のいない宗教は無 . . . 本文を読む
長野研修道場がオープンしたのは、一年前の一九七八年(昭和五十三年)八月である。伸一にとっては今回が初訪問となる。彼は、戸田が最後の夏に滞在した地を、世界広宣流布への新たな幕を開く最初の夏に訪れたのである。この宿縁の地から、家庭訪問、個人指導の流れを起こし、新しい創価学会の建設に着手しようと心に決めていたのだ。
世界広布といっても、一人への励ましから、身近な一歩から始まるからだ。 . . . 本文を読む
山本伸一は、静岡研修道場で、世界の平和を推進するために、各国の指導者、識者らとの今後の交流や、文明・宗教間の対話をいかにして進めるべきかなど、深い思索を重ねていった。また、その間に、学生部や婦人部、地元・静岡県の代表とも懇談の機会をもち、広宣流布に生きる創価の師弟の道を確認し、新たな前進を開始するよう懸命に訴えた。
既に、この時、学会の支配を企む弁護士の山脇友政と宗門僧らの陰謀によって、伸一 . . . 本文を読む
伸一には、断固たる確信があった。
“日蓮大聖人の仰せ通りに、死身弘法の実践をもって広宣流布の道を切り開いてきたのは誰か――それは創価学会である。私と共に身を粉にして戦ってくれた同志である!
まさに、創価の旗のもとに地涌の菩薩が雲集し、大聖人の御遺命たる『末法広宣流布』を現実のものとしてきたのだ。学会なくば、大聖人の言説も虚妄となるのだ!” . . . 本文を読む
創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を成就するために出現した、地涌の菩薩の集いである。ゆえに、初代会長の牧口常三郎も、第二代会長の戸田城聖も、万人の幸福の実現に思いを馳せ、死身弘法の決意で、広宣流布の道を切り開いてきた。
われらもまた、その創価の師弟の精神を受け継ぎ、今世のわが使命を果たすために、誇り高く、勇んで弘教に走る。
どのような事態になろうが、創価の師弟の大道を守り抜く限り . . . 本文を読む
創価学会の確信の精髄は、戸田城聖の「獄中の悟達」にある。法華経に説かれた「在在諸仏土 常与師倶生」(在在の諸仏の土に常に師と倶に生ず)の文を生命で読んだ戸田の、「われ地涌の菩薩なり」との悟達こそが、学会の魂である。
その戸田という師に連なる時、学会は広宣流布を使命とする「創価学会仏」たりえるのである。
この時、伸一は決意した。 "戸田先生は広宣流布の大指導者である。先生に自在に指揮を執っていた . . . 本文を読む
あきらめと無気力の闇に包まれた時代の閉塞を破るのは、人間の叡智と信念の光彩だ。
一人ひとりが、あの地、この地で、蘇生の光を送る灯台となって、社会の航路を照らし出すのだ。そこに、創価学会の使命がある。
「日常生活のなかでの信仰実践と、よりよい人間社会を建設していく努力を続けていくことこそ、本来の宗教の使命である」とは、英国の宗教社会学者ブライアン・ウィルソン博士の、宗教者への期待である。 . . . 本文を読む
第三東京本部の婦人・女子部の代表が集った教育部研修会で、山本伸一は、人間教育実践の場について語った。
「御書には、『法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し』(一五七八ページ)とあります。持つ法が最高に優れていれば、それを持つ人も貴い。持つ人が貴ければ、その人のいる場所も尊いとの意味です。
大聖人の仏法は、生命尊厳の法理であり、最高の人間革命の教え、すなわち、人間教育の大法であります。その法 . . . 本文を読む
「創価学会の信心に、なぜ、大功徳、大福運があるか――その理由は、三つあります」
会長・山本伸一の凛とした声が、学会本部の仏間に響いた。創価の師子が放つ、誇らかな信念の叫びであった。「教学の年」と定めた一九七七年(昭和五十二年)元日、新年勤行会でのことである。
「その第一の理由は、創価学会は、日蓮大聖人が御書に仰せの通りに実践し、前進している唯一の団体だからであります。
学会は、死身弘法の . . . 本文を読む
山本伸一は、「教育・家庭の年」の出発にあたって、教学理論誌『大白蓮華』一月号に、「教育」と題する詩を発表した。教育部員や父母はもとより、人間を育成しようとする、すべての人たちに指針を示し、励ましを送りたかったのである。そこに、こう詠った。
子どもはわが所有物ではない
子ども自身が所有者であり
ひいては
人類共有の宝であるという
尊敬の上に立った教育が
時代転換のエネルギーとなるからだ
. . . 本文を読む
創価学会は、どこにあるのか――。
遠く彼方にあるのではない。自分が暮らし、日々戦い、励ましの歩みを運ぶ、わが地域、わが地区(以前の大ブロック)、わがブロックにこそ、絢爛たる創価の大城があるのだ。
ゆえに、そこに、「わが組織を見よ。これが創価学会だ!」と胸を張れる、歓喜と麗しき人間共和の実像をつくらねばならない。
わが組織に――
功徳の体験の花は咲き薫っているか!
信心の歓喜と確信 . . . 本文を読む
山本伸一は、さらに「出家」の真意について掘り下げていった。
もともと「出家」とは、「家を出る」と書き、名聞名利の家を出て、煩悩の汚泥を離れる、との意味である。剃髪は、仏道を究めるまで、二度と家に帰るまいとの決意のしるしであった。 大乗経典の大荘厳法門経には、出家について、次のようにある。
「菩薩の出家は自身の剃髪を以て名けて出家と為すに非ず。何を以ての故に。若し能く大精進を発し、為めに一切衆 . . . 本文を読む