「遅くなってしまったが、おじゃまして大丈夫かね。私は、ともかく会場提供者に心から御礼申し上げ、大切にしたいんだ。
個人会館は、いわば広宣流布という戦いの出城だ。人びとは、そこで仏法の話を聞いて信心し、奮起し、人間革命、宿命転換の挑戦を開始していく。つまり、『弘教の城』であり、『発心の城』であり、『幸福の城』だ。
また、そこに集う同志の、常識豊かで楽しそうな姿を見て、周囲の人たちが、学会への . . . 本文を読む
その間にも、伸一は、幹部らに、会館の在り方について語っていった。
「来館者が休息するベンチを、もっと多く用意した方がいいのではないかと思う。会館には、若い人だけでなく、年配の方も、たくさん来られる。その方たちが、ゆっくり休めるように、工夫することが大事です。
学会は、青年が先頭に立って広宣流布の道を開いていく〝青年学会〟だが、建物や運営の考え方は、若い人中心ではいけない。お年寄りや体の不自 . . . 本文を読む
山本伸一は、次いで、寺院の起源から、その意義について論じていった。 ――釈尊の化導方式は、「遊行」であり、全インドを歩きに歩き、民衆のなかで仏法を説いた。
ところが、インドには雨期がある。一年のうち、三カ月間は遊行できない。その間、弟子たちは、一カ所に集まって修行に励んだ。その場所が、舎衛城の祇園精舎や、王舎城の竹林精舎など、「精舎」である。そこは、文字通り、修行に精錬する者のいる舎であり、こ . . . 本文を読む
山本伸一は、中部第一総合研修所に滞在して、中部の新章節を開くために、人材の育成に全精魂を注いだ。七月二十四日には、研修所内をくまなく回った。
安全管理や研修会の運営状況を、自らの目で確認しておきたかったのである。館内の各部屋や廊下なども入念にチェックした。電気がつけっ放しの場所もあれば、清掃が行き届いていない個所もあった。伸一は、中部の幹部らに、それら一つ一つの事柄について、細かくアドバイスした . . . 本文を読む
山本伸一は、広島市の南観音にある広島会館に到着すると、会館の前にある民家に向かった。その家の主や夫人たちが、庭にいたからである。畑仕事から戻ったばかりのようで、主の手は泥にまみれていた。
伸一は、前回、広島会館に来た折にも、一人でこの家を訪れていた。
「会館に大勢の人が集う時など、ご迷惑をおかけすることがある」と聞いて、あいさつに行ったのだ。その時は、勝手口から訪ね、主が不在であったため、主 . . . 本文を読む
「会館には、大勢の人が来るんだから、トイレなどは、なるべくゆったりと、数も多くした方がいいね。集会用の広間が、どんなに立派でも、トイレの数が少なかったり、階段が狭く、急であったりすれば、人を大切にした設計とは言えない。 学会の会館は、特に安全性を考慮していくことが大事です。建物には、思想が表れる。人格が表れる。学会は、生命の尊厳を守る人間主義の団体なんだから、人への配慮が表れている設計にしていかな . . . 本文を読む
山本伸一は、大田区の幹部たちに視線を注ぎながら、話を続けた。
「地域広布を推進していくには、地域の方々に、学会の会館はわが町の誇りであると、思っていただけるようにすることです。 したがって、会館の使用に関しては、駐車や駐輪、騒音などで、近隣に迷惑をかけることがないように心がけていただきたい。そして、『学会の会館があると、地域が明るくなり、活気づく。町が栄える』と言われるようにしていくことが大事で . . . 本文を読む
空港から二十分ほどでパリ本部に着いた。 会館は、閑静な住宅街にあった。芝生の庭が広がり、広間のある鉄筋コンクリート造り二階建ての建物や、三階建ての別棟などがあった。川崎は、会館を案内しながら、感無量の面持ちで伸一に語り始めた。
「七年前に、パスカル通りにあった私の二間のアパートを、ヨーロッパ事務所としてスタートしたことを思うと、まるで夢のようです。そして、五年前にヌイイにパリ会館をオープンしま . . . 本文を読む