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新人間革命に学ぶ−Iam山本伸一!

新人間革命、山本伸一に学ぶ「負けじ魂」、「人生勝利の指針」

師恩について

2018年10月09日 | ★師弟
また、ここで仰せの師恩とは、大聖人が十二歳の時に安房(千葉県南部)の清澄寺にのぼり、修学された折の師匠である道善房への恩である。

 道善房は師匠ではあったが、臆病であり、念仏者の地頭・東条景信の迫害を恐れ、保身のために念仏を離れることもできなかった人物である。

 しかし、それでも大聖人は、仏法を教えてくれた師であるがゆえに、師恩を深く感じられ、手厚くその恩に報いられたのである。

 山本伸一は思った。

〝ましてや、正法正義のために殉教された牧口先生、そして、日本の広宣流布の基盤を築かれたわが恩師である戸田先生のご恩は、いかに深甚であることか。その希有の師に巡り会えた福運はいかばかりか。なんと幸せなことか。戸田先生は、私に久遠の使命を教え、心血を注いで仏法の指導者に育て上げてくださった。先生なくば、今の自分も、創価学会も、そして、広宣流布の現在の広がりもなかったにちがいない。ゆえに私は、広宣流布の大師匠への、報恩感謝の生涯を生きるのだ!″

日蓮大聖人は、「日蓮は草木の如く師匠は大地の如し」(御書九〇〇ページ)と仰せである。師匠の存在がなければ弟子はない。 

では、その師への報恩の道とは何か――日蓮大聖人は結論されている。 

「此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか」(同二九三ページ)

仏法を学び究め、幸福と平和の道を開く智者、すなわち広宣流布の大リーダーに育つことなのである。 

弟子は、師匠以上に成長し、法のため、社会のために尽くし抜くのだ。その功徳は師に回向され、最高の追善となっていくのである。いや、師の評価も、師の構想が実現できるかどうかも、弟子によって決定づけられてしまう。 

大聖人は「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」(同九〇〇ページ)と御断言になっている。
師弟不二の道こそ、創価学会の魂であり、広宣流布の生命線なのだ。

(18巻・師恩)

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