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新人間革命に学ぶ−Iam山本伸一!

新人間革命、山本伸一に学ぶ「負けじ魂」、「人生勝利の指針」

「生も歓喜、死も歓喜」

2018年10月09日 | ★死・臨終
教師となって五カ月が過ぎた九月、彼は突然の交通事故で、世を去ったのである。病院で息を引き取った岡島の顔は、安らかに眠っているようであった。 

大聖人は、妙法に生き抜いた臨終の生命について、「悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し」(御書一三三七ページ)と仰せである。 
人には、さまざまな宿業がある。しかし、いかなる罪業も、信心に励むならば、大苦を少苦として受け、今世で宿業を転換し、一生成仏することができる。それが真実の仏法の力である。 

岡島は、強盛なる信心をもって、今世で罪業を滅し切ったのだ。いや、そのための生涯であったといえよう。 
さらに大聖人は「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同七八八ページ)と言われている。 生命は永遠である。広宣流布のために戦い抜き、歓喜と躍動のなかに人生の幕を閉じた生涯は、死後も、そして来世も、その生命は大歓喜のなかにある。 
荘厳な夕焼けが翌朝の好天を約束するように、「生も歓喜、死も歓喜」なのである。しかも、岡島の生き方は後世に青年の模範を残したのである。 
仏法の眼を開いて見る時、なんと意義深き、尊き生涯であったことか。

伸一は、学生部長からの報告で、岡島の死を知った。志なかばで他界した青年教師の無念さを思うと、胸が締めつけられる気がした。だが、岡島の詳細な話を聞くと、今世の使命を果たし抜いて霊山へ旅立っていったと、強く確信することができた。

「すばらしい青年だったね。残念だな……。しかし、仏法の原理に照らせば、彼はすぐに生まれてきて、共に広宣流布の庭で生きることができるよ」

山本伸一は、学生部長に言った。

「岡島喬雄君の葬儀は学生部葬として、四国の学生部で執り行ってはどうだろうか。彼の広宣流布への決意を、みんなで共有し合っていくんだよ。そして、みんなが、彼の分まで生きて、生きて、生き抜いて、頑張っていくんだ」

この提案を受け、岡島の自宅での葬儀に続いて、九月二十日には学生部葬が執り行われた。多くの友人・知人が参列し、彼の人徳をしのび、冥福を祈った。 この学生部葬から半月後の十月五日、伸一は、四国を訪問し、香川県高松市内に完成した四国文化会館の開館式に出席したのである。 その折、四国の学生部の中心となっている副学生部長の下井重直が学生部葬の報告をするとともに、岡島が広宣流布にかける心情を日記につづってきたことを語った。 

「実は、ご家族の承諾を得て、その日記をお借りし、読ませていただきました。こういう思いで頑張っていたのかと、心から感銘いたしました」 

下井は、日記帳を差し出した。 伸一は、日記に目を通した。青年らしい一途な決意と、行動の軌跡がつづられていた。

「もし、ご家族の承諾が得られれば、この日記を出版してはどうだろうか。岡島君の敢闘を、永遠に讃え、残してあげたいんだ。また、その本を通して後に続く青年たちが、触発を受け、頑張ってくれれば、岡島君もきっと喜ぶにちがいない……」 

また、完成したばかりのこの四国文化会館の庭に、岡島の功績を讃えるために植樹も提案し、自ら庭に出て、その場所も選定したのである。伸一は、さらに四国の幹部に、岡島の家族への伝言を託した。 

「お辛い気持ちは痛いほどわかりますが、ご家族の方が幸福になることが、喬雄君の厳然たる成仏の証です」

伸一は、最愛の息子を亡くした両親の苦しみや悔しさを思うと、身を切られる思いであった。しかし、御聖訓には、「亡くなられた御子息が仏になられて、父母を仏道に導くために、御心に入り替わられているのであろうか」(御書一三九七ページ、通解)と、「親子一体」「生死不二」の成仏の法理が明かされている。

岡島喬雄の死から一カ月後に、四国文化会館で彼の名を冠した桜の植樹が、四国学生部の代表の手によって行われた。また、彼の日記や手紙をまとめた本も、翌一九七〇年(昭和四十五年)秋に出版された。本のタイトルは『友よ永遠に』である。この本は、まさに、岡島の生命の闘争記録であった。最後に採録された日記(一九六九年八月六日)には、次のように記されている。

「戦うぞ! このか細き五体を大地に投げて。 頑張るぞ! この身の大地に朽ち果てるまで。 そして信じよう! 東天に輝く、金色の太陽が中天に隆々と照る晴朗の日の来ることを」 

この本は、多くの青年たちの魂を揺さぶった。 山本伸一も、贈られた『友よ永遠に』を涙で読んだ。そして、宝前に供え、現代に青年の生き方の模範を示し、尊き使命を果たして逝いた若き広宣流布の英雄の冥福を祈り、唱題するのであった。 

広宣流布に走り抜いた若き同志の死――。この死という問題について、第二代会長戸田城聖は述べている。

「寿量品の自我偈には、『方便現涅槃』とあり、死は一つの方便であると説かれている。眠るということは、起きて活動するという人間本来の目的から見れば、単なる方便である。しかし、眠らないと疲労は取れないし、はつらつたる働きもできないのである」 

死もまた同様であると、戸田は断言する。人は、死を避けることはできない。しかし、生命は永遠であり、死は決して忌み嫌うものではない。死は生命の「眠り」であり、新しき生への出発となるのだ。

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