社会では、一九七〇年代前半から、授業についていけない子どもの急増や、遊び場の不足、子どもの骨折、胃潰瘍などの増加が問題となっていた。
当時の文部省の教育課程審議会は、七六年(同五十一年)十二月、三年間にわたる審議をまとめ、答申を行った。そこでは、「ゆとりのある、しかも充実した学校生活」の実現をめざす必要性が強調され、教材や授業時間の削減を打ち出していた。この答申を受けて、文部省は、学習指導要領の . . . 本文を読む
萩野は、不安を感じ、迷い、悩んだ。“経験の浅い自分に、このクラスの担任という大役を果たすことは、無理かもしれない……”
その時、山本伸一の、少年少女は「人類の宝」「世界の希望」という言葉を思い起こした。
“そうだ。みんな、未来を担う尊い使命をもって生まれてきたんだ。その宝の子どもたちに、だめな子なんているはずがない。一人ひとりが、すごい使命をもっていることを教えてあげるのが、私の役目だ” . . . 本文を読む
なかには、生まれて間もなく、病などによって、早世する子どももいる。しかし、生命は永遠である。今世で妙法に巡り合えたこと自体が、宿命転換の道が大きく開かれたことである。父や母、家族などを、発心させゆく使命をもっての出生ともいえる。
親子となって生まれてくる宿縁は、限りなく深い。親子は一体である。子の他界を契機に、親が信心を深め、境涯を開くことが、結果的に、その子の使命を決するともいえよう。 . . . 本文を読む
ある婦人は、生まれた三女がダウン症候群で、しかも、心臓に二つの穴が開いていることを医師から告げられた。心臓の手術は成功するが、ダウン症候群とは、生涯、向き合わなければならない。しかし、母親は、“使命ある子なのだ”と、一心に愛を注いだ。
小学校六年の長女も、二年の次女も、みんなで妹を大切に育てようと心に決めた。その三女が、笑うと、長女の顔にも、次女の顔にも笑みの花が広がった。母は、思った。“この子 . . . 本文を読む
育児という労作業に勝ち抜く、強い心をつくるには、まず、「子どもをいかなる存在ととらえるか」、いわば、「どういう哲学をもつか」が極めて重要になる。
御書には「法華経流布あるべきたね(種)をつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ」(一一〇九ページ)と仰せである。 仏法では、すべての人間は、「仏」の生命を具え、偉大な使命をもって、この世に出現したととらえる。つまり、子どもは、未来を担い立つ、崇高な人 . . . 本文を読む
その本部棟の前には、高さ十メートルの「学光の塔」が、凛々しく立っている。塔を飾る躍動感にあふれた男女六体の若者の像は、「挑戦」「情熱」「歓喜」「英知」「行動」「青春」の六つのテーマを表現したものだ。
塔には、山本伸一が、創価大学に学ぶ一人ひとりへの期待を込めて綴った一文が刻まれている。
「『学は光、無学は闇。知は力、無知は悲劇』 これ、創価教育の父・牧口常三郎先生の精神なり。この『学光』を . . . 本文を読む
彼は、一九八八年(昭和六十三年)八月、創大中央体育館で行われた第十三回学光祭にも出席したが、ここでも、フランスの文豪エミール・ゾラの生き方を通して、人間にとって最も大切なことは何かを訴えていった。
一八四〇年、パリに生まれたエミール・ゾラは、大学の入学試験に失敗し、進学を断念している。文学者を志していた彼は、出版社に勤務し、本の梱包や発送、返本の整理などの仕事を通して、人びとは“どんな本を求めて . . . 本文を読む
「皆さんもご存じのように、私も夜学で学びました。夜学であれ、通信教育であれ、そうしたなかから偉大な人が、力ある社会貢献の人材が出てこそ、本当の教育革命です。また、そこに人間革命の姿があるといえます。
民主主義の世の中ですから、万人に、学ぶ権利がある。ましてや、懸命に働いている人には、教育を受ける最大の権利がある。その権利を、胸を張って行使し、無名であっても、地道に、懸命に学びゆく人たちのなかか . . . 本文を読む
「教育は、知識のみではなく、長い人生を、生き生きと生き抜いていく力を育むことが大切である」
これは、戸田城聖の持論であった。その意味からも、体験発表は人間教育の大事な教材となる。 . . . 本文を読む
“万人に教育の機会を与えたい。民衆が賢明にならずしては、本当の民主主義はない。それには教育しかない!” それが、戸田の信念であった。それだけに通信教育事業からの撤退は、さぞかし残念であったにちがいない。戸田は、山本伸一への個人教授の折にも、よくこう語っていた。
「日本中、世界中の人たちが、学べるような教育の場をつくらなければならんな」
その言葉を伸一は、遺言の思いで聞いた。 . . . 本文を読む
「人間の完成よりも知識が、知識よりも学歴、資格が優先され、教育目的の逆転現象を呈している今日の大学にあって、人間の道を究めんとする皆さん(通教生)の存在は、教育のあるべき姿を世に問うものと確信してやみません」 . . . 本文を読む
教育の本義は、人間自身をつくることにある。教育は、知識を糧に、無限の創造性、主体性を発揮しうる人間を育む作業である。
知識の吸収は、進展しゆく社会をリードするうえで、必要不可欠な条件ではあるが、知識それ自体は、創造性とイコールではない。内なる可能性の発露こそが教育であり、知識は、それを引き出す起爆剤といってよい。
では、知識を創造へ、生き生きと転ずる力とは、いったい何か――。
山本伸一は、メ . . . 本文を読む
そして、牧口常三郎が提唱した「半日学校制度」に言及。それは、学習の能率を図ることによって、学校生活を半日とし、あとの半日を生産的な実業生活にあてるという制度である。牧口は、この制度の根本的な意義は、「学習を生活の準備とするのではなく、生活をしながら学習する、実際生活をなしつつ学習生活をなすこと、即ち学習生活をなしつつ実際生活もすることであって、(中略)一生を通じ、修養に努めしめる様に仕向ける意味で . . . 本文を読む
「教育だ! 知性の光だ! 知性の光だ! すべてはこの光から出て、またこの光にもどる」
これは、文豪ユゴーの叫びである。
教育は、人間に「知」という力を与え、人びとの幸福を、尊厳を、自由を、平等を実現していく必須の条件である。 . . . 本文を読む