伸一は、家族の健康状態や家庭の状況などを尋ねていった。
彼は、学会員と接する時には、“体は大丈夫か”“生活は安定しているだろうか”“子どもなど、家族の問題で悩んではいないだろうか”といった事柄に、常に細心の注意を払っていた。
人は、皆、なんらかの悩みを抱えている。その悩みに、喜々として挑戦し、乗り越えていくための信心であるからだ。
また、そうした問題を解決していくなかで、自身の生活の足場 . . . 本文を読む
八月二十四日は、初の「壮年部の日」を記念して、東京・八王子市の創価大学や、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂などで、祝賀の集いが行われたほか、全国各地で、総ブロックごとに記念の部員会が開催されていた。
山本伸一は、この日、九州総合研修所で、諸行事の運営役員らと、記念のカメラに納まるなど、終日、メンバーの激励を続けた。
彼にとっては、深い意義を刻む、大切な記念の日である。だからこそ、広宣流布のた . . . 本文を読む
「はい。私は六十五歳になりますが、これからが本当の戦いだと思っています。島の人たちを、一人残らず幸せにするまで、頑張り続けます。
実は、私の家には、先生のお部屋があるんですよ。だから、いつも、先生と一緒なんです。何があっても、その部屋に入ると、先生とお話ししている気持ちになるんです」
「ありがとう。嬉しいです。では、今日を記念して、一緒に写真を撮りましょう」
二人は、並んでカメラ . . . 本文を読む
彼女は、よく、悩みをかかえ、苦闘している島の同志に、こう語って励ました。
「苦しいと思った時が勝負だよ。厳しい冬の次に待っているのは、春なんだ。信心で打開できない問題なんてないよ」
それは、幾つもの体験を通して、生命でつかんだ、彼女の実感であり、確信であった。
炎のごとき確信こそが、励ましの魂である。 . . . 本文を読む
勝利への力は、魂の触発にある。自身の燃え盛る生命が、同志の生命を燃え上がらせるのだ。伸一の敢闘を目の当たりにして、関西の幹部たちは深く思った。
“これが、ほんまのリーダーなんや。生命を削って戦うから境涯革命があるんや。やったろやないか!”
山本伸一の率先垂範の行動が、全同志を触発し、共に戦う何人もの“山本伸一”をつくり出していったのである。 . . . 本文を読む
彼は、まず、大阪中をくまなく回り、同志の激励に奔走した。会員から自転車を借りて、動くことも多かった。時には、その自転車がパンクしてしまい、夜道を引いて帰らねばならぬこともあった。
小さな小さな家々が軒を連ね、狭い路地で魚を焼く煙が立ち込める地域も回り、同志を激励した。果てしなく田畑が続く地域にも足を延ばした。
学会員の多くは“こんなところまで、よく来てくださいました!”と感激して迎えてくれ . . . 本文を読む
二部学内の先輩の指導は具体的であった。
「もし、学生部員で、しばらく学校に来ていない人がいたら、すぐに、その理由を考えてみることだ。仕事が忙しい場合もあれば、体調を崩していることもある。あるいは、精神的に行き詰まっているのかもしれない。その一人ひとりの状況を知るために、学生部員同士で、常に情報交換し合っていくことも大切だ。
さらに、重要なことは、心配になったら、すぐに会いに行くことだよ。可 . . . 本文を読む
伸一には、通教生たちの苦闘が痛いほどわかった。彼自身、青春時代に、大世学院の夜学に通い、苦学してきたからだ。
また、会長として、同志の激励に全国を東奔西走するなか、寸暇を割いて、リポートの作成に取り組んだこともあったからだ。
――戸田城聖の事業を再建するため、やむなく中退した大世学院の後身にあたる富士短期大学(当時)から、卒業のためのリポートを提出してはどうかとの、強い勧めがあったのである。
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宮城の平山成勝は、この年の四月、医薬品販売会社の社員となり、経理事務を担当した。この会社は、休みは社員が順番に取るというシステムになっていた。彼は、新入社員だけに、長期の休暇を取りたいとは、なかなか言いだしかねていた。
ある日、意を決して上司に通信教育を受けていることを打ち明け、夏期スクーリングに参加するので、十五日間の休みがほしいと訴えた。上司は困惑した顔で言った。
「そんなに休むのか! 先 . . . 本文を読む
佐江は、日ごろ、学会の男子部の先輩たちが、「祈りとして叶わざるはなしの信心だ」と語っていたことを思い出し、母に尋ねた。
「この信心は、必ず願いが叶うというのは本当かな。もし、そうなら、真剣に祈れば、俺でも創価大学の先生になれるのか」
ささやかな願望はあったが、本当になろうなどとは考えていなかった。なれないに決まっていると思っていたからだ。むしろ、信心に熱心な母親を、困らせてみたいという気持 . . . 本文を読む
伸一は、「昭和三年会」の記念の集いに出席するため、創価大学に向かう車中でも、通教生のことを考え続けた。
“明日からは、また、それぞれが一人となり、働きながら、日々の生活と格闘しつつ、時間を割いて勉学に励む……。このスクーリングを通して、学業に勝利する、強い決意を固められただろうか……”
午後二時過ぎ、伸一は、大学の文科系校舎前に到着した。玄関のブロンズ像の辺りに、帰途に就く通教生たちの姿があっ . . . 本文を読む
伸一が、テーマとしていたことの一つは、通信教育は卒業生が少ないという問題を、どうやって乗り越えるかであった。彼は、大学側にも、「入学してくる通教生が、少しでも多く、卒業できるよう、最大の尽力をしていただきたい」と要望していた。
教職員たちも、この問題に懸命に取り組んできた。他大学で通信教育部長をしている人からも話を聞いた。
その人は、「通教生を孤立させないことですよ」とアドバイスしてくれた . . . 本文を読む
山本伸一の乗った車は、広島市へと急いだ。午後七時から行われる、広島文化会館での勤行会に出席するためである。
途中、生花店の前に、十人ほどの人たちが、人待ち顔で道路の方を見て立っていた。婦人や壮年に交じって、女子中学生や女子高校生もいた。 伸一は、運転手に言った。
「“うちの人”たちだよ。ちょっと、車を止めてくれないか」
呉会館の勤行会に、間に合わなかったために、「せめて、ここで、山 . . . 本文を読む
「孤立した人間は無力である。事実、弱い」とは、スペインの人権活動家アレナルの指摘である。
苗が地中に深く根を張り、すくすくと伸びていくには、水や、太陽の光が必要である。同様に、私たちが信仰者として成長していくには、同志の激励が不可欠である。ゆえに、互いに励まし、触発し合っていく、人間共和の組織が必要となるのだ。 . . . 本文を読む