春夏秋冬 思いのままに

春夏秋冬東西南北右往左往の過去現在、そしておそらく未来も

ウイリアム テル 序曲

2010年05月06日 | 日記
あの曲は私にとって冬の曲である。
真冬の朝に足袋履いてズック靴履いて校庭で遊んでいたときに
張りつめた空気を切り裂く。あの曲はそういう曲だった。
今でもそう思う。


彼女のこと

2010年05月06日 | 日記
幼稚園が終わって、電車で家に帰るのにいつも途中まで彼女と話した。

彼女が降りて。私は顔を出して手を振った。
突然、私の頭をドアがはさんだ。
あわてた。
乗客がクスッと笑ったと思う。
それから先は覚えていない。
残念だけれど。

幼稚園の頃

2010年05月06日 | 日記
私も、幼稚園に通っていた。

今思い返すと特別な通い方をした。
今なら、通園バスや親に付き添われての通園が普通だろうが、
私は電車で通った。
初めは親に付き添われて通える場所で暮らしていたが、間もなく親の都合でそうなった。
初めの日、親は降り口、待ち合わせ場所をしっかりと私の頭の中に刷り込んだ。

初めての日では無かったかもしれない。
一発でああは上手く行かないはずだ。
とにかく、幼稚園を終えて電車に乗って目的の駅で降りた。
幼稚園の先生に乗せてもらったかもしれない。
幼稚園じゃ一人で乗れないはずだ。

どうして目的の駅と分かったのだろう。
不思議でならない。
幼稚園の先生が駅員に、とにかくよろしくと丁寧に頼んでくれたかも知れない。
とにかく、降りた。
その駅は降り口2か所あって
母は間違いなく待っていてくれた。が、
私が間違えた。
母は私が間違えたことを確認した。
それからが大変だった。
駅を出て踏切を渡って反対側の入口まで
母は必死に走った。

私はと言えばどこに帰るのかも知らない。
駅で待ち合わせるそれだけが約束だったから。
でも、勝手に歩いた。どの辺で母と会ったのか覚えていない。

それで、私は今ちゃんとここにいる。
ほんとの母のところに。
その日は父親とどんな話になったんだろうか。





これが好きだ。というのがある。

2010年05月06日 | 日記
靴を磨くのが好きだ。

当然靴も好きだがその靴を磨くのが好きだ。
誰にも任せられない。
磨いてもらえないことも有るにはあるが、そんな事とは
関係無く、ひたすら磨くのが好きだ。
道具にはあまりこだわらない。

こだわりはクリームである。
私の場合、缶入りキューイのミンクオイルと
瓶入りのコロンブスのクリーム。
ほとんどの方がコロンブスとキューイだと思うが
私もこれで無くてはならないのである。
なぜかと言えば、使い慣れているからであり、
これ以外だと、たとえばクリームを塗った後の乾かし時間や
においが微妙に違がって磨く楽しみを損じるのであります。

人差し指に嫁さんのはき古したストッキングを絡めて
瓶入りのコロンブスのクリームを適量取り、靴の甲と内側、外側と踵の部分に素早く
乗せ(塗るのではない)次に、素早く甲内側外側踵の順に塗り拡げるのです。
申し忘れて恐縮ですが、当然この作業の前に慎重に土くず、埃などは私の着古しのメリヤスの下着で落としておくのであります。

なにをするにもブラシは使わないのであります。
ひたすら指先の感触で作業するのであります。
土、塵落としは優しく行うのです。
力を入れると砂粒などで、キズが付くからであります。
なぜ、メリヤスが良いのかと言えば織り目の中に
ふき取った土、塵などが入り込む、(と勝手に判断している)からであります。

なぜ、嫁さんのストックングが良いのかと言うとメリヤスでは、クリームを多く
吸ってしまい不経済なのであります。
したがって、ストッキングについたクリームは塗り拡げた後皮のしわの中にもしっかり
行き渡るように塗るのでありますが、多く巻きつけるのは良くないのであります。
この際、しっかり塗った分指先にもクリームがシミ混むのですが、このようなことに頓着は、できないので有ります。
さらにしたがって、(故に)嫁さんには靴磨きは受け入れてもらえないのでございます。

靴は最低でも3足を同時に磨くのが良いとされております。
なぜならば、一足ごとに爪の間に入ったクリームを使い古しの歯ブラシ(この場合はブラシOKです)で落とすのは大変でありますから。
それよりもなによりも、クリームを乾かす時間が必要です。
昔、私のおばが一晩乾かすと良いと言っておりました。
よいと思います。

そして、(昔、小学校の頃、そして、そしてを連発して先生に怒られた経験が有ります)
ストッキングを手に履き?(して?)四本の指に絡めひたすら磨くのであります。
ひたすらです。このようにすると粉埃が付いてもメリヤスの下着でさっと落とせるのであります。怠ると、クリームに埃が付いて後々面倒なのであります。

すなわち、何事にもこだわりを持つことが大事なのであります。
敬白






コーヒーカップを買いました

2010年05月06日 | 日記
予定通り益子で白磁のコーヒーカップを一個買いました。

白磁のを、と言うと、益子で?と思うでしょう。
益子は本来陶器です。が、最近は多くの作家が
益子やその周辺で活動していて陶器にこだわらず
作品作りをしています。
中には、志野の釉薬を使ったものまであって、
益子のオリジナリティを感じる物の方が少ない。
そんな気がしました。

益子のオリジナルは
赤に黒をかけた味噌壺の類、汁椀や飯椀が主だったけど、
今は、そんなわけでいわゆる作品ものが多くあります。

私もそんなのを狙って行ったのですが、
当然昔からの地元の職人さんも居て、しかし
どちらを取る、と見比べてみると、とどうしても
作品、となってしまうんです。

お茶飲むんだって、コーヒー飲むんだって
玉露じゃ無くて普通の煎茶だし、インスタントコーヒーだけど
器は気取っているわけじゃ無く、気に入ったものになる。
どうしてだろう。

買ったコーヒーカップのどこが好きかと言うと
人差し指を差し込んだ感触、これが絶妙にしっくり来るのであります。
それに伴う、親指の支え具合これがまたよいのであります。
そして、全体を支える中指の位置これが遠からず、近からずしっかりと
落ち着くのです。まったくこれぞコーヒーカップなのであります。

このように素晴らしい評価となった、その要因は一重に取っての丸みであって作者の感性なのであります。
そして、数個ある同じデザインのカップの中から惟一このカップを選んだのは
私の手の大きさと、カップそのもの微妙なふくよかな丸みなのであります。
がっははーーー。なのであります。(この笑いは作文への笑いなのであります)
にやーー。(これは良いものをGetした時のひとり笑いなのであります)


飲み口の感触(これは後で分かったのですが)が今までのものに劣りません。
今までのはどうするかと言うと、当然、暫くの間お休み頂くことになるのですが、
このようにして休んでいるカップが結構あって、しかし、彼女たち(当然です)は
幸せなのであります。
とってが取れたもの、空中落下したもの、飲み口がざらついて雰囲気を壊すもの、
などなど、数多く宿下がりをしたものがあり、その後の消息はつかめません。
土に埋もれたものもあるやに聞いております。


女性が持つバックや靴、あれはどうなんだろう。
見栄ばかりじゃないだろうけど、気に入ったものの
基準が違う気もする。
女はね、いろいろと理由や、都合が有るの。
嫁さんの弁である。

私なんか、今は履いてる靴で一番古いのは15年以上になるし、
セーターなんぞ20年ものが有り、ツイードのジャケットは長女の初めての父兄参観に
着て行ったものを今年一回着てみた。
自慢にならないけど、自慢だ。

せっかく選んだのだから長く使いたいよね。