春夏秋冬 思いのままに

春夏秋冬東西南北右往左往の過去現在、そしておそらく未来も

思い込みについて

2010年08月29日 | 日記
いまどき石鹸で頭を洗う人は少ないと思うが、
石鹸で体を洗うのも少数派だと気付かされた。

石鹸で体を洗うのは普通。 ではない・・・。

家の洗面所に液体のハンドソープと固形石鹸がある。
新型インフルエンザの所為である。
と思ったら固形派と液体派がいた。
厳密には固形派とは言わない。 私一人だから。

風呂で固形石鹸を使い切った。
誰も騒がないのです。

よめさんに勇気を出して聞いてみた。
風呂で石鹸使わないのか?
洗顔用の なんとか で体も洗っている。とのこと
言ってくれれば買ってくるのに。と申すのです。

すでに文化の違いを感じるのであります。
いつの間にか確実に時代遅れに成っているのであります。
しかし、これは時代遅れなのでしょうか?
文化の違いなのでしょうか?

単なる用法の間違えと言うべきではないでしょうか。
負け惜しみですが・・・。








石鹸のこと

2010年08月29日 | 日記
神田川のそばに銭湯が有ったのは人から聞いて知っているが、
入ったこともないし、見たこともない。

石鹸箱のふたに手拭いを被せて、
余ったところをギューと握ると手拭いが三味線の胴の様に張って
これに水を付け石鹸を塗るのです。

石鹸箱の端に口を付けてふーーと吹くと
ぶくぶくと泡ぶくが盛り上がってくるのであります。
60年近くも前に父親と入った風呂の思い出で
口に残った石鹸の味とともに鮮明に思い出すのです。

まだ孫はいませんが、やってみたいのです、これを。
それと背中を洗ってもらいたいなー。

爺くせー。




賞味期限のこと

2010年08月26日 | 日記
素麺を昨日の昼食べたのであります。

時節がら旨かったのであります。
小鉢に卵を割って即席の汁を入れ、薬味はみょうがであります。
そのように用意をしておいて、湧き上がったお湯の中に素麺をばっさと入れて
かっきり3分茹でて、さっと水でしめ水をきります。

皿に盛ったのを小鉢に取ってズルーー(ツルーー)と喉に流し込んだのです。


ところで、この賞味期限2008年であります。

作り方は当然違うのでしょうが、素麺は古い方が旨い。
これは定説でした。

今朝、体に異常は有りませんので多分、これからも食べたことに拠る変調ない確信しております。

実験ではありません。
確信犯であります。
旨いはずと思って食ったのであります。

念のため申し添えますが、食に困っては居りません。


もものこと

2010年08月26日 | 日記
今朝起きるとももがちゃちゃと爪を鳴らして、あわてて近づいてきた。

珍しいのです。
こういう時は大方緊急事態で、一刻を争うのであります。
あわてて顔を洗って、頭を整えて、ももに水をやって。
その間もわんわんと吠えるのであります。
ほぼ確信的に あれ ですからちり紙とビニール袋をもって外に出たのであります。

当たり!

もちろん、状況的に想像することはできるのであります。
しかし、私以外ももの行動は理解できないと確信するのであります。

異論は有りますが。

読んでもらえること

2010年08月24日 | 日記
読んでもらおうと思って書いている訳ではない。

でも、読んでもらえなかったら書かない。
あまのじゃくなのであります。

バッグを作っている。
もちろんアマチュアのそれもど素人であります。
自分のために作っているのであります。
人目は気にしないつもりだけれど褒められればうれしい。

ど素人が作るのだから、みためも野暮である。
でも評価されたいのであります。

農園を、それも4メートル四方のごくごく小さなのを耕して
野菜を作っている。
これもど素人がやるのだから、ときには成功、常には失敗ということになる。

自転車が好きであります。
念願のを手に入れてその辺を走り回って満足しているが、
これも、体力の有り余っていた昔ならいざ知らず。
今はすぐ息が上がる。

海外で駐在生活の経験がある。
もう一度外に行って、今度はゆっくり、のんびり生活してみたいと思うのですが、
いろんなしがらみで実現できないのです。

音楽でも、トレッキングでも、旅行、散歩、ゴルフ、何一つ中途半端なのであります。
こういうことではいけないと思うのでありますが、
達成するには時間が無いと思うのであります。

そういうことかと理解したつもりに成って止めるのであります。
その道で大成された方はすごいと思うのであります。





なんとかマークのこと

2010年08月22日 | 日記
どこのどなたが作ったのか知らない。
なんとかマークのことである。

余程邪魔だとみえる。
なぜ付けねばならないのか。
あと何年かするとその仲間に成るから人ごとではないのである。

確かに私から見てもおっとっと、と思える運転は有る。
だけど、アクセルとブレーキ踏み違えて事故起こすのは年寄りばかりか?
信号無視するのは年寄りばかりか?
スピード違反は年寄りが多いか?
無謀運転は年寄りが多いのか?

そんなに
年寄りが邪魔か?

たく、デザインの問題じゃないだろう。
あのマーク付けてると周りの皆さんが何かしてくれるのか。
付けると事故が逃げていくのか?。

こんなことばかり先走る。
もっともっと、先に考える事が有るだろう。

ホントに年寄りが事故の原因に成っているのならはっきり説明すれば良い。
ろくに説明もせずに、注意を引くようにマーキングするのは誰のためだ。

 

昭和33年のこと

2010年08月22日 | 日記
昭和33年セスナの単発に乗った。
あんな小さなふわふわしたものが人を乗せて空を飛ぶのは怖い。 

年代から言って、おそらく、ほとんど確実に軍用機に乗っていた操縦士に違いない。

バスの運転手、八百屋、魚屋、香具師、銀行員、会社員、警官、ありとあらゆる人が戦争を体験ていたのに
私たち子供は、庭の片隅にガラスの溶けたのが転がっている意味も知らなかった。
そういう人たちがそのことを伝えなかったのは親ごころというより
社会全体の無言のタブーだったんだ、と今感じる。




ももとのこと

2010年08月22日 | 日記
ももの嫌いなことをするのは常に私だ。
だから、こちらが思うほど彼女は私を好きではない。
なぜ、それが分かるかといえば、尻尾の振り方が違う。

目的をもって彼女に近づくとすぐに悟って場所を変える。
敢えてそれをしようとすると鼻の頭にしわを寄せ、威嚇する。
そして、かまれる。

それでも、私の足元で寝そべる。
不安な時はよりぴったりと張り付くように近寄る。
もし、彼女が私に触って昼寝をしていたら
私は体を動かすことができない。




彼女の嫌いなことまたはもの。
風呂に入ること。
グルーミング。
爪切り。
散歩。
犬。
猫。
酒。
雷。
来客。
花火の音。
掃除機の音。
消防車のサイレン。
家の前に止まる車。



彼女の好きなことまたはもの
嫁さん。
長女。
昼寝。
ものを思うこと。


肉を食いたいということ

2010年08月20日 | 日記
ミルク飲み人形に似ている。

私の思考回路であります。
食い物のことを考えると際限が無くなり、肉食いたいに至った次第。

魚のことを考えていてなぜ肉に至るのかと言えば、パイプで繋がっているのであります。
ミルク飲み人形の様に。
考えればそこに至るのであります。

そのようになっているのです、私の頭は。

秋刀魚のこと

2010年08月20日 | 日記
さんまなんてものはいつでも食えると思っちゃいけない。
今は遠くまで行って早取りするから油の載ってないものを食わされたりする。

すすきの頃の秋刀魚の味こそ最高でね。
炭火で焼いたやつを醤油をジューとかけて食ってみたいね。
あれこそさんまだ。
楽しみは先に延ばそう。

秋刀魚なんていつでも旨いなんて思っちゃいけないよ。

いわしが豊漁というじゃないか。
あれを酢でしめて脂の載ったやつを食うと
口の奥の方がジンと痛くなるほど旨いんだ。

たまらないね。

ほっとしたこと

2010年08月19日 | 日記
このところももが散歩に出たがらず、
用をたしてよたよたとすぐ家に戻ることが続いていたので、
年の性かと思っておりました。

昨日恵みの雷雨で、ぐんと気温がさがったのです。
アスファルトも所々しっとりと濡れていて気持ちよくほっとしたのであります。

ももを連れて散歩に出たのですが
生き生き、のたのたと(ももとしては颯爽と)歩いたのであります。 
これにほっとしたのであります。

暑さの性だったのです。
ほっとしたのです。

記憶に残ること

2010年08月18日 | 日記
ふと思った。

記憶が完全ならば
記憶を反芻することができたら
人生が2倍必要だと。

これはたまらない。
人生2倍の幸福と2倍の不幸せと
半分の人生を生きなければならない。

記憶が無ければ永遠を生きる。
これならどうだ。

時間の連続性について

2010年08月17日 | 日記
そもそもももにとって時間の連続性などというものはどうでもいいことで、
その場、その場を気持ちよく、その時、そのときを楽しく過ごせれば良いのです。
その為の手段を常に模索している訳です。


しかし、宅急便が来ると吠え、郵便配達が来ると吠え、その都度思考が停止して、
今まで何を考え次に何をなすべきかについて考えてきた、蓄えてきたそのものが一瞬にして霧散するのであります。
このことは私個人としては非常に無駄で有って、時間の連続性を台無しにする様に思えるのですが、
そもそもももにとっての時間の連続性は前に吠えた時から今吠えた時までのせいぜいこの程度の時間でありますし、
そこで得た結論そのものの有る無しさえ無いのでありますから、
いたって平穏無事なのでありまして、
そう言った中では一向に無駄の概念など発生しないのです。
この概念は色即是空でありまして、
これをももは一声と言いますか、ひと吠えで私に諭すのであります。
いわゆる ワンタイムであります。

その結果わたしに少しの癒しを与えてくれている訳ですが、
そのことについてもももとしては意識の外なのであります。

お分かりいただけますでしょうか。


犬は何を考えるのかについて

2010年08月14日 | 日記
ほとんど一日中横になっているももにとって何が楽しいのかと言えば二人で話をするときと喉と目の周りを撫ぜ回してもらうこと。

それをして欲しいと思うということはその心地よさを覚えているということであります。
従いまして、その心地よさをどの様にしたら味わえるのかを常に考えていて、あの手この手、手練手管を思考しておるのであります。

そう言うことですから、私が彼女が寝ているそばを通ると目を開けて目だけで動きを追うのであります。目だけが私の動きに同期するのであります。
こしたんたんと狙って居るのです。
たまには前足で私の足に引っかけて注意を引こうとするのです。
そんなことは先刻承知で、ひょいと避けますとまた目を閉じて次の手段を考え始めるのであります。

時には寝ている前に行ってかまってやるのですが、これが一番うれしい様であります。
棚から牡丹餅、濡れ手に泡、労せずしてなんとやらであります。と思うのです。

如何に気持よく成るかを考えているのであります。

こんな生活は極めて贅沢極まりないの有って、私のあこがれなのであります。