春夏秋冬 思いのままに

春夏秋冬東西南北右往左往の過去現在、そしておそらく未来も

年を取るとと いうこと

2011年05月31日 | 日記
年を取ると感情が動かなくなる。
反面、妙に涙もろい。
共感して粒が落ちてしまう。
共感という言葉に弱い。
人のためにと言う言葉に弱い。
我慢と言う言葉に弱い。

怒ることが多くなった。
何やってんだ。と常に思っている。

年を取ると感情が動かなくなる。
涙が落ちること。
怒ること。
そのほかの事には感情が動かなくなった

老化現象だそうです。

心豊かになる、楽しくなるニュースを下さい。

また粒が落ちるかもしれませんが

訂正をします。 二十日大根と白菜のことです

2011年05月30日 | 食い物
種さやの違いは
素人でもはっきり分かります。

白菜の株が少なくて
見えなかったのです。
二十日大根のさやを摘んでいたら
白菜のさやが有ってはっきりと
見分けがつきました。

これはしまったと
早速改定致します。
素人の早合点でありました。

ごめんなさい。

偶然というのは結構あるもんだ と思う

2011年05月30日 | 食い物
娘とテレビを観ていたら
二十日大根の種さやを
そのまま摘み食いをしていたのです。

偶然にも庭に
それと同じものが
白菜と一緒に生えておりましたので
摘まんできたのであります。
先日も書いたように
白菜も大根も見分けがつきませんので
一個一個しげしげと見つめながら食したのであります。
大根の味がほんのりとして
お浸しに良い様でありました。

形状としては
毛筆の穂先と言ったところ
その先のところが少し硬くて
口に残ります。
食感は絹さやよりしゃきっとして
みずみずしくなかなか宜しいと思いました。
白菜の方はと言うと
食感は同じものの味はほとんどなく
二十日大根に分が有ります。
やはり二十日大根は早熟なのであります。


こう言うのは市場には出ない訳ですが
生産者には珍しいものではないのでしょうか

次にやってみたいことは
二十日大根の成長した奴を
すりおろして食ってみたら
どうかという事です。
筋っぽくて辛い予感であります。

半年先です。
気が長いのです。
農作業というのはそういうもののようです。

舟和の芋ようかん のこと

2011年05月29日 | 食い物
なかなか宜しいのであります。
甘さと言い食感と言い
何の飾りけもないのでありますが
何とも良いのであります。

さあ食ってみろと
言われたら はいと言って
素直に食べてしまいます。

煎餅と芋ようかんとどちらが好きかと
聞かれたら芋ようかんと
即座に答えますが
豆大福とではどうだと言われたら
豆大福が良いと思います。
餅とあんを味わっているときに
塩豆を噛みつぶした時の味わいは
やはり絶妙なものでありまして
たまらないのであります。
発明者に敬意を表し敬服するのであります。
豆大福の欠点はあの粉が口に付くことであります。
あれがなければ最強なのでしょうが
あれもあれで大福の一部でありますから
不服は言えないのであります。
大福なのであります。

台風が来ると言うので

2011年05月29日 | 私の季節
農園の風対策をして来ました。

昨日のうちにやっておけば
雨に濡れることもなく終わったのに
根が優柔不断、物ぐさなものだから
しょうがねえなと言う思いで
風対策をして来ました。

添え木が15.6本でそれをひもで
結わえ直した簡単作業でありますから
どれ程の効果が有るか分からないのであります。
しかし、対策を講じたことに変わりなく
大義名分が立つのです。

それにしてもなすときゅうりの成長は早く
既に実を付けているものもありました。

実は苗の購入先は2か所からで
後から買った少し伸びすぎかと思った方のが
先に実を付けたのです。
のんびりしている方はいずれも接ぎ木したもので
今後の成長が楽しみなのですが
今のところで遅れております。


うまく台風を切り抜けて欲しいものです。
原電の然りです。

二十日大根と白菜は似たもの同士 という事

2011年05月28日 | 作ってみる
去年菜園に播いた二十日大根と白菜
二十日大根は順調に成長し食卓に上ったのですが
白菜の方は結球せず食べることはできませんでした。

庭におもしろ半分に播いたのは
なんとか冬を越し
花を付け種が実ったのです。
もう少し経ったら
農園に播いてみたいと思っております。

両方とも似たような種で
ひとつの畝に混在して芽が出る予感であります。
それも良いのです。
収穫の時期が違いますから
間違いはないのであります。



気持が変わってきた

2011年05月27日 | 祭りどころではない
この時期政局の話は後回しと思っていた。が
無責任者に政権を預けて
力を結集できないのなら
今のうちに換えてしまった方が良い。
一日遅れたら一日分の力が
そがれる気がするのです。

そのように決めた。
ぶれない。

問題は誰にするかであります。

死の灰と言った頃のこと

2011年05月27日 | 怖いこと
世界全体が放射能に無知であった頃のことです。
アメリカやソビエトが地上で原爆実験を行ったのです。
小学校低学年の頃のことです。
原爆のチリは偏西風に乗って日本に到達し
死の灰となって降ったのです。


無知というのは知らないという事です。
知る手段が、データが、なかったのです。
だから雨にぬれるなと注意しあったのです。

今は文部科学省の大臣が
市民の抗議に対して
データが有るのですかと
胸を張って反論するのです。

データーで示さなければならないのは
どちらなのでしょうか。
データというのは裏付けのある数値のことです。
まあこれ位という事ではない。
まったく、日本国民をやってられない! と
思うのです。
封建時代に戻ってしまったの感であります。

不安だから予防するのです。
ももでさえそんなことはしております。
事に際して逃げるのでは遅いからです。





東電のこと

2011年05月26日 | 災害
どのように表現して
抗議したらよいのか。

東電というところは
情報の油を抜いてぱさぱさにして
団子にして恐れながらと提出する体質のようです。
まるで目黒のさんまではありませんか。

それにしても決めた事を決められた通りに
実行しない現場の体質は
どのように作られたのでしょうか。
天の邪鬼な私としては
現場の意見を聞かない本社体質に
主な要因が有ると思ってしまうのです。
こう言う会社は普通淘汰されていくのですが
不思議です。

淘汰されないのは
不買運動もできない訳ですし
殿様商売なのでありますから。


どのように抗議したらよいのでしょうか。

ジャガイモの花

2011年05月26日 | 食い物
ジャガイモの花が
予定通り咲きましたが
今年はどうも梅雨入りが早い様です。

ジャガイモにとっては
雨はマイナスなようで
その点作柄に影響する気配で
なんとか影響が少ない様にと
思っております。


それにしても
家ではマーケットで買ってきた
新じゃがが食卓に上がっております。
何ともデリカシーがないのであります。


初物は自産自消としたかったのであります。
デリケートな問題なのであります。
とは言えデリシャスでありました。

東電の態度

2011年05月26日 | 怖いこと
立場を間違えている。
原因当事者の意識がまるでない。

東電の発表は常に
データーを検証した結果
事実はこうでありました。なのです
この立ち位置は間違っている。
実験結果の報告ではないのです。

最悪事態を想定して先手先手を
行かなくてはならないのに
事実を見極めて対応するその体制が
間違っている。
開発実験ではないのです。

実験結果の発表のように
何か他人事でその事実で
どれ程の迷惑が、苦悩が、不安全が発生し
人の命に、動物達の命を
不安を与え奪おうとしているか
その重大さを無視している。

東電は人の生活の
従って動物を含めすべての生き物の
将来を捻じ曲げてしまうほどの
影響力を感じて欲しい。

そういう立ち位置で
全てに対応してほしいのです。
そういうものが感じられないのです。

とんでもないことです。
まだ言い足りないのです。


今日は雨が降りそう  という事

2011年05月26日 | 怖いこと
今日は雨が降りそうなので
洗濯はしないのだそうです。
もっともなことです。
洗ったものが雨で濡れてしまう。
子供でも分かることです。
結果に不安が有れば回避します。 
当たり前です。


最近のデータに基づく天気予報は
結構当たるのです。
だから晴れの予報が有れば
洗濯を始めたはずなのであります。


政府の発表は信頼できないのです。
放射能のことです。
外で遊ぶこと問題ないとのことです。
本当でしょうか。

本当ならば今頃は という事

2011年05月25日 | 災害
大地震が発生して
多くの方が被災して
多くの方が亡くなって
その事実は日本の国の
全ての人の心の中に深く
刻まれて長く忘れられないものになったのです。

それでも2カ月を過ぎた今頃は
復興のその思いだけで前向きに
作業が進んでいた筈なのです。

ところが原発の(これも復旧の過程ですが)
影響で先行き不安が払拭出来ないのです。
なんとかこれを解決する明確な
確信できる、信頼に足る工程を
示してもらえませんか。
こう言う仕事は誰が行うのでしょうか。

もう示して有るという方も
おるかもしれません。
しかし、あれは信頼出来るのでしょうか。
基本的に
技術に裏付けられた工程なのでしょうか。
やるべきところがやるからそちらに聞け
というのでは
絵に描いた餅というものです。


そんないい加減なものではないですよね

基準というものは という事

2011年05月24日 | 災害
技術屋というのは頑固です。
決めたことの裏には
多くの事実の検証と合意があるからです。
単にこれにすると指差して決まるのでは有りません。
そんなことは先刻承知と言うかもしれません。
それなら安心です。
そうなのであれば変更の根拠を示さねばなりません。

基準というものは
不変的でなければいけません。
それでなければ基準の意味はありません。
だから変更は大変な作業なのです。

基準がぶれたら豊臣秀吉の時代以前に
戻ってしまうじゃないですか。
そうでしょ。

誰を思って決めた基準ですか
たまりませんよ。
その度に右往左往させられては


たとえば
放射線量のことです。








かさぶたが取れて シミとなった。

2011年05月22日 | 辛い話
初めに出来た水泡が
初めにかさぶたになったのは
当然のことと思うのだが
これが最後までしつこく
かさぶたのままで居座っているのは
不当なのです。

ほかのは順調に
赤く腫れて、水泡になって、
かさぶたができ、静かにはがれ落ちる工程で
終わったのに最初のが最後まで居残っている。

しぶといのであります。