春夏秋冬 思いのままに

春夏秋冬東西南北右往左往の過去現在、そしておそらく未来も

年越しのそば

2010年12月31日 | 日本人
今夜のために年越しそばを打ちました。

ここ数年私が友達からそば打ちの方法を教わったために

家族には辛い思いをさせております。

材料は良いのですが、腕の方がいまいちのために

旨いそばが食べられないのであります。

家族はそういうことは言いませんが作った本人が

いまいちと思うのですからほぼ当たっていると思うのです。


もっともそばというのは茹で方も相当な技術というかタイミングが
必要でその辺の事は協働作業でありますから一方的に責任問題には
発展しないのであります。

この被害は私がそばを配る数件の家庭にまで及びますが喜んで
くれるところも有るにはあります。
日本人ならそばを食えの精神で配って居ります。

結構疲れました。
ももも食べる予定であります。
うどんは好物の様であります。



もものこと 私の季節だというのに

2010年12月31日 | 私の季節
表現の仕方が難しいいのですが
ヒンシュクも買いそうなのですが
とかく女というものは反抗的で寒いとなると
やたら部屋の温度を高くしてぬくぬくとしたがるのでありますが、
私とももにとってはこの暑さがたまらなく息苦しくて
18度を超えると隣の部屋に早速避難するのであります。


やたら暑いのであります。
居間の温度を19度に設定したりするものだから
汗だ出るほどに暑いのであります。

ももの気持ちを代弁して話すのですが
やっと到来したこの季節を満喫したいのであります。
それだから朝、夕の散歩もじっくりするのです。

ただ、これは私(人間の方の)にとって本音をいえば苦痛です。
手の先が寒さでしびれてくるのであります。
これだけが辛いのです。

それで何が言いたいのかというと
あと2度設定温度を下げてください。
ももと私の切なる願いであります。


お願いします。

ももの世界のこと

2010年12月30日 | ももにもメンツはある
ももが散歩する理由は明確であります。
領有権を主張する。
その一点であります。

そのために朝夕のパトロールはしっかりと行うのであります。
確認の結果はしっかりと匂いで残し領有権を主張するのであります。

たまにニヤミスなど有ってもしっかりと主張するところは主張し
従わなければ匂い消しに後を追うのであります。
これは生存権の主張であり古く古く古代から延々と続く基本的な
行為なのであります。
この行為は何にも優先するのでありましてたとえ自分より巨大で有っても
身を挺して立ち向かうのであります。本当です。

私はこの様な状況ににおいてもものその態度に敬意を表するのであります。
このような彼女の生きる世界の厳しさに敬意を表するのであります。


見習わなければなりません。
われわれの安らかな生活のために厳しい条件を克服しなければなりません。
それが子供たち子々孫々の安心な生活に繋がることを自覚しなければなりません。

残念なことにももには残すものがありませんがこう云う純粋な生き方は
みるもののこころをうつのです。

こう云った物語は政治の世界には役立たないものでしょうか。
無理か。

結構共通するところが有ると思ったのですが、無理か。

無理だな。





念のために だったが

2010年12月27日 | ももとのこと
このところ寒さが厳しいので
ももとの午後の散歩は次第に時間が早まって
4時出発5時帰宅と云う風に成ってきた。

夜はいつもトイレシートを敷いておくのですが、
それが前日、昨夜と功を奏したのです。
午後の散歩が早まったのと寒さが原因のようで
ももとしては失敗したと感じているようです。
朝顔を合わせないのです。
自分の寝床から出て来ないのです。

散歩に出る前はいつも早くしろとついて回るのですが
昨日今日とそれが無くてよほどきまりが悪いようであります。


玄関で靴を履こうと、かまちに腰を下ろすと膝にあごと片足を乗せ
謝りの態度であります。
撫ぜてやるとグーと言ってさらに頭を押し付けてくるのです。
私の反応を余程心配していたようであります。

こういう処は長年の関係で出来上るのだと思うのです。
ガツンと怒ったりしたことも有ったからです。


きょうの午後の散歩は少し遅くすることにします。




カーテンを外し始めた ということは

2010年12月26日 | 私の季節
嫁さんがカーテンを外し始めました。

ということは長年の経験でいよいよ私の出番です。

私の季節というのも大げさですが腰を上げねばなりません。

窓のガラス拭きと外回りの掃除。

これが結構大変なのであります。

本来不精ものですからこういった大げさなことは

極力回避したいのです。


何が大変かというとガラスというものは何んとも意地が悪く

何回拭いても曇りが晴れないのです。

雑巾もきれいに洗わなければなりません。

そのうち疲れてくるし、他の汚れが気になってそっちに手を付けると

その分仕事が増えるし嫁さんの何やってんのという目線が気になる。

ももは外に出せーー。とうるさいし

そのうち郵便配達が来て、ももが吠える。

今日は日曜日なのに郵便配達が有った。とカレンダーを確認しないと気が済まないし。

ほっとしてコウヒーを飲むのです。

今そうしているのです。


昔はもっと大変でした。

餅きりは私の仕事でした。

柔らかいと包丁にべたりと張り付くし、

硬くなると手の平が真っ赤に成って大変でありました。


そろそろ昼飯だ。と思うのです。

干し柿が大変宜しく仕上がっております。

一個食ってみたのです。





ニュウス報道が最近おかしい と思う。

2010年12月25日 | 祭りだわっしょい
テレビニュース報道が劇場化していて
記者やキャスターがキャッチ主体で動く。

朝昼のニュースは三面記事の様で政治ニュースまでが
ゴシップ紙が扱うような表現すらある。

分かりやすいのは良い、政治を日常の話題にするのも良い。
しかし、ホントらしさの程度がどうもと思えてしまう。
本気度が伝わらない。

もっとも政治家自体がアマチュアでどこまで本気かと
疑ってしまう。
数を頼る政治というのは手を上げるだけではだめだ。
他で優秀だから政治でもというのは舐めていませんか。

こういうのを許してしまうのもメディアの責任というのは
云い過ぎだがキャッチ主体の作り方はどうかねと思う。
テレビ自体が人気商売に成り下がった。

本読むのも面倒なのだが・・。

あわてることもないのに ということ

2010年12月25日 | 日記
年末となると何んとも気ぜわしく

あわてる事もないのに何をするのだったかと

ざわざわと気ぜわしくこれは長年の習慣。

こういうことは周りの情報のせいで達観していない。

無視すれば良いことだがどうも気になる。


松飾ぐらいは買って来なくてはならない。

塩鱒を作る

2010年12月25日 | 作ってみる
昨夜子供の彼氏が鱒を釣ったと持ってきてくれた。

30cmほどの立派な奴が10匹程だったのでで塩引きにして食べる事にした。

昨日の内に全体に塩を摺り込んだので今朝はしっかりと水分が出て

身が締まっております。

後2日ばかりはこのままにしてそのあと数日干してから食べてみようと

思うのです。


昔はもう少し大きな塩引き鱒が魚屋に切り身でありましたが、

最近はあまり見ないのはやはり人気が無いのでしょうが

作り方は多分こんなもので良いのだと思うのです。


こういう単純なものは素材の質で味が決まると思うのです。

旨くできるかどうかは私の腕ではなく相手次第なのであります。




オーディオで遊ぶ ⑥

2010年12月25日 | オーディオ自作
バックロードホーンのスピーカーボックスは
大きく開口していて不細工だと家族に評判が悪い。
それならとこのあんぐりと空いた口を
何んとか体裁よくしようと頑張ってみた。

昔はこういう場合にはネットを張って目隠しをしたのですが
専門店も少なくどうも今風ではない。

そこで今風かどうかは分からないが格子で細工することにした。
不細工に成ることは覚悟だが不細工と言わせない様に頑張る。
ホームセンターで材料を買ってきた。
一本120円を10本安く上げるのが流儀であります。

今年中には何とかと思っているのです。
年末になって俄然忙しいのです。


掃除もしなくちゃならないし・・・。




朝から今までのこと

2010年12月23日 | 怖いこと
今朝起きると上の子と下の子が咳をしている。
夕べも向こうの方で咳き込んでいたのを思い出した。

ふたりで病院に行くように言ったが熱が38度を超えているというので
やむなく車で送って行くことになった。
我ながら甘いというより暇を持て余していることにうんざりであります。
特に世間が休日だとそうなるのであります。

最近風邪を引かない。
どうも風邪の免疫がしっかりできているらしい。
しかし、それもそう感じそう信じているだけだから
車の様な狭い空間に風邪の患者をふたりも入れて運んで行くには
少し度胸がいる。
ましてや自分の子供に住み着た風邪のウィールスだから私に対しても
親和性が良いのではないかと思うのであります。
そこのところを知りつつ送って行く度胸は相当なものだと思うのであります。

願わくば発病しませんように。


単なる風邪と言われたようでありますが
そんな簡単に敵の素性が知れる訳は有りません。
ぐっと気を張り詰めて弱みを見せない必要があります。
こう言う時にはぐっと酒など飲んで温かくして置くに限ります。

場合によっては寝てしまうのも良いのです。
そうするか・・。
暇だし。

正月料理のこと

2010年12月21日 | 作ってみる
毎年ではありません。
嫁さんが忙しい時と合わせて私の気が向いた時
その時だけ極限られた部分を手伝うことができるのです。

大根と人参と酢ダコのなますであります。
それも限られた部分。
千切りです。

大根の皮をむいて1,5mm程度に薄く輪切りにするのです。
それをやはり1,5mm程度に細く千切りにして
人参は長手方向に薄くしたやつを同様の大きさに
千切りにし塩をし暫くそのままにしておきます。
私の仕事は水が浮いて来たのを
力一杯に絞って取り敢えず団子にするところまでです。

それ以降は嫁さんの仕事でどの様に仕上げるのかは知りません。

うちのなますはとにかく細く作るのです。
その為に包丁を研いで研いで切れ味抜群にする必要があるのです。


ところが今年は包丁の刃の真ん中が刃こぼれしてしまったのであります。
どうしたら良いか思案しております。


たっく~~。
犯人は分かって居りますが私のものでもありませんので
やむを得ないのであります。

手をつないだ大根に当たるかも知れないのであります。

いかの塩辛を造る つくりたい 

2010年12月21日 | グルメ
そば同様年末押し迫ってくると造りたくなるのが
いかの塩辛であります。

掃除や料理で忙しいのにと言われながら嫁さんの領分に越境して
なんやかんや言われながらもしっかりと造るのであります。
昨年もほぼ15杯のいかで造ったのであります。
それをいろんなところにお裾分けをするのであります。

こう言う嗜好のものは旨いか不味いかだけを
言ってくれれば良いのですが
うちの母親などは生まれが魚屋なものだから
なんやかんやとうんちくを述べるのであります。
やれ味噌を少し入れると良いとか
塩がどうの、酒がどうのという具合であります。

商売ならいら知らず食いたくて造る純アマチュアでありますから
好きな味に仕上げたつもりなのであります。

やり方はこんな風です。
わたはきれいに洗います。
墨などは一切入れてはなりません。
臭みが付くからです。

目の上で切って
くちばしと周辺の軟骨を別に分けておき
身の袋になったところに指を入れて
残った内臓と汚れを取っておきます。

身を掴んでひれと身の間に人差し指と親指を入れ
ひれを掴んで裾の方に引くと皮が剥けるのです。
このところから全体の皮をむきます。
糸状に残った皮も極々丁寧にとるのです。
それから包丁で開いて平らになったのを
更にきれいにして短冊にして行くのです。
皮を一緒に短冊にするのも有りですが
取った方がきれいに仕上がるというこだわりです。

この辺の作業になると待ち切れずに
私のいやしい指先がいかの身を口先に運びます。
これがまた良いにであります。

わたは外側の薄皮が残らない様に、内筋が残らない様にして
指でしごくのです。これに塩だけ入れてかき混ぜ
指先についたのを口に運んで塩味を確かめます。

塩が馴染まないこの時は辛い位がちょうどいいのです。

くちばしの周りの少々硬い部分や軟骨は別に漬けこみます。
足やひれなどげそも別に漬けこみます。

早ければその日の夜には焼酎と一緒に私の体の一部になっておるのです。
ホントであればどんぶり一杯でも食べたいところですが
こう言うものはなめなめ食べるのがどうも作法の様であります。
なぜかというと塩加減が落ち着いた頃にはもう無くなっているという
事になりかねないのです。
しかも、そのころお裾分けに廻らなければなりません。
あまり早いと腕を疑われてしまう恐れがあるのです。

げそや軟骨は塩が落ち着いた頃が良い様です。
これがまた良いのです。

来週は始めなければなりません。
いよいよ忙しくなってきました。

私の季節です。

今日も長くなってしまった。
ついついこのように成ってしまうのです。




そばを食わなければならない shall の精神なのです

2010年12月21日 | 食い物
年末はやはりそばを食わなければならないから
そば粉を買いに出たのです。

家族が四人で母親とあと何人かに配るとして1キロでは少ない。
それで2キロ買って加えて打ち粉が500グラム。
都合2,5キロをバックに入れて片道2キロメートルを歩いてきました。

2,5キロ程度でも持って歩くとなるとずっしりと効いてくる。
食を確保すると言うのは大変なことであります。
取り敢えずこれで一安心であります。
食後の評価は微妙でありますが、毎年の事です。
ど素人は困ります。
その都度出来が違うのであります。


そばを打つというのが男の料理かと言うと
何んとも言えないのですが、でも料理には達していないか。
打ったそばをどう料理しようか考えてみます。


昔のこと

2010年12月20日 | 思い出話
私の祖父は軍人で
海軍で機関の教官をしていた。
父は現役で第二次世界大戦を戦った。
私ばその頃はまだそんな言葉はなかったが
団塊の世代として受験戦争を戦った。

足袋にズック靴と言う恰好で
校長先生の話を毎朝外で聞きラジオ体操をした。

60何人かのすしずめの教室で
わらばんしと
紙にしょっちゅう引っかかる鉛筆と
字を消そうとすると紙も擦り減る消しゴムと
蓋がすぐ折れる筆箱とを持って
でこぼこの机とギシギシ言う椅子で勉強していた。

終わると雑巾で砂ぼこりと
綿ぼこりいっぱいの床を拭いて帰った。
机を寄せると一階の教室は天井から埃が降った。

教室には文房具屋の息子がいて
とっ換えひっ換え、新しいなんやらかんやらを
持ってきていたっけ。
そういう子は人気が有って休み時間は人だかりができてた。

雨の日は校庭でダム工事をやった。
妹も同じ小学校に通っていたのに
まったく記憶が無い。


何だか知らないが急に思い出した。
昔の事ばかり鮮明に残っている。

多分年を取った証明です。
祖父も、父もこんな思いを巡らしていたのかな、と思うのであります。





いじめられたこと

2010年12月20日 | 辛い話
昔の事だ。

朝起きると腹が痛く成った。
腹痛や頭痛や風邪を理由にして学校を休んだ。

いじめがジワリと効いた。
何をされたかでは無い。
鋭さとタイミングだった。
弱さではない。
いじめる側の強さと
いじめられる側の強さの差だ。

優しさの伝え方、
表現の仕方が
一律でない様に
いじめの仕方も人ごとに違う。
ダメージの大きさも百人十色だ。

そんな風に見えなかった。
当たり前だ。
いじめられているなんて、
みじめで、みじめで誰にも言える訳ない。
笑ってごまかすしかないだろう。


中学のときは一人で強くなった。
チームワークなんてやらなかった。
一人で走ることに集中した。


50年も前の話だ。