烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

秘密の動物誌

2008-01-13 16:19:54 | 本:文学
 『秘密の動物誌』(ジョアン・フォンクベルタ、ペレ・フォルミゲーラ著、荒俣宏監修、管啓次郎訳、ちくま学芸文庫)を読む。以前筑摩書房から同名の題で刊行されていた本の文庫版である。謎の動物学者ペーター・アーマイゼンハウフェン博士が世界各地で写真に収め分析した珍獣の記録を紹介するという形の幻想動物誌である。
 有翼の蛙や像、多足の蛇、尾部が蛇となっている齧歯類、脚をもつ魚など驚嘆すべき動物たちの写真が掲載されている。その中には根室海峡で北海道の漁師たちに発見されたコック・バシロサウルスという恐竜の末裔のような生物もある。博士の友人である大阪大学の鹿鳴助教授は、この海洋生物を密かに保存していたという。なんとも楽しい幻想博物誌であるが、自然科学の体裁をとり写真で掲載されている(なんとX線写真まであるものもある)点が、いかにも現代らしい手のこんだ方法である。現在ならばさらにコンピュータグラフィックスを高度に駆使して、さらに”リアル”な珍獣を説得力のある形で提示できるに違いない。この珍妙な記述と写真を眺めながら、各時代によって、どのレベルの証拠(らしい)物件があると、その存在を他人に信用させることができるのかを考えてみるのも面白いだろう。現代人であれば、インターネットに写真つきで掲載されていればすぐに信用してしまうかもしれない。最近はメディアリテラシーなどといって安易に信用しないようにする教育がなされているようだが、基本的に相手を信じたいのが人間なのである。
 小さい頃未知の密林や絶海の孤島にはどれほど奇妙で恐ろしい生物が棲息しているかを紹介した本を読み、いたく感動した覚えがあるが、古代、中世ヨーロッパの珍獣譚から現代の怪獣にいたるまで未知の生物の存在に胸躍る興味を覚えるのは共通した心性のようだ。しかしこうした性向は(なぜかわからないが)一般的に男性のほうが強いようだ。これらの生物は、人間世界と縁のないところで密かに生活しているところが想像力を刺激する。これがあるとき人間の知るところとなり、捕獲されてしまうことは胸躍ることであると同時に秘密の世界の版図がまたひとつ狭くなったことを私たちに告げる。未確認生物の本体を知りたいと渇望しつつ、どこかで捕まらずに棲息していてほしいというアンビバレントな欲望があるかぎり、奇獣珍獣は生まれ続けるのかもしれない。
 偶然気づいたが、本書の中に登場するスカティナ・スカティナという謎の宇宙人のような生物は、この直前に読んだ『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』の巻末にある、ザルツブルク大聖堂博物館に収蔵されている奇妙な生物(おそらくエイの乾燥標本か)の写真とまったく同じであった。

愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎

2008-01-13 09:42:48 | 本:歴史
 『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』(小宮正安著、集英社新書ヴィジュアル版)を読む。
 博物館の成立に先立ち、十六世紀にヨーロッパに出現した個人の蒐集物展示場たる「驚異の部屋Wnnder Kammer」を紹介した本で、カラー写真が豊富に掲載されており、見るだけでも楽しめる趣向になっている。本書によるとその起源は十五世紀のイタリアでその後珍品収蔵庫の流行がアルプス以北に及んだとのことだ。博物学の世紀が「集めよ、そして分類せよ」というのが標語であったとすれば、この時期は「ひたすら集めよ」という時期だったといえよう。蒐集家の眼鏡にかなったものが集められているから、現在からみればそれらは雑多であり、見境のなさだけが目立つかもしれない。しかし幼小児期になにかモノを集めた経験がある人ならば、この楽しさは必ずわかるだろう。
 それにしても人間はどうしてこんな蒐集癖があるのだろう。おそらく見て驚くこと自体が脳の報酬系を刺激するという仕組みがいつのまにかできあがったからに違いない。そうでなければ、明らかに使用価値のないものを溜め込むということが説明できない。そしてさらに重要なのが、どんなに小さくても自分の世界を紡ぎだすという心性がそこにはある。蒐集したものに囲まれることの快感という、これまた独特の快楽がさらなる蒐集へと人を駆り立てる。あらゆるモノを蒐集することで、世界を俯瞰しようとする欲望と、蒐集したモノの宇宙の中に安住したいという欲望がこうしたヴンダーカンマーには感じられる。
 蒐集される対象が、自然科学や分類学が発達するにつれて生物、工芸品、美術品と切り分けられ、お互いの境界を超えることが否定的にとらえられるようになってからヴンダーカンマーは衰退していく。しかし蒐集する欲望は絶えることなく続いている。現在インターネットの世界でありとあらゆる対象がデジタルデータとしてさまざまな個人によって収蔵され、互いに閲覧できるようになっているが、これも現代の形をかえたヴンダーカンマーだといえよう。