動物に嫌悪を覚えるときに心を占めている感覚は、接触すると、こちらのことを見抜かれるのではないか、という不安である。自分のなかには何か、嫌悪を催させる動物と決して無縁でないもの、したがって動物に見抜かれるかもしれないものが生きているのではないか、という漠とした意識、それが人間の奥深くで恐れおののくのだ。-すべての嫌悪は、もとをたどれば、触れることに対する嫌悪である。この感情を抑えたときですら、実はたんに脈絡のない過剰な身振りをすることで、この感情を無視したというにすぎない。つまり嫌悪を催させるものが、この身振りに激しく絡みつき、それを平らげるであろう一方で、きわめてデリケートな表皮的接触の領域は、タブーでありつづける。そのようにしてのみ、道徳の矛盾した要求は満たされうる。つまり人間は、嫌悪感を克服することと、それをこの上なく洗練陶冶することを、同時に求められているのだ。生き物の呼びかけに対し、人間は嫌悪をもって答えるのだが、その生き物との獣的な血縁関係を否定することは、人間には許されていない。人間は自分を、その関係の支配者としなければならないのである。
『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』
ヴァルター・ベンヤミン著、浅井健二郎訳、ちくま学芸文庫