『パブリッシュ・オア・ペリッシュ』(川崎茂明著、みすず書房刊)を読む。
昨年はいたるところで偽装が社会問題となったが、こちらは知の偽装問題を取り上げた著作である。表題のpublish or perishとは、自らの研究成果を発表して成果を残すことがなければ、その専門分野からは淘汰されてしまうというこの業界の死活問題を端的に言い表した言葉であるが、本書ではこれが1942年に使われたのが最初であると述べ、アメリカでスプートニクショックの後国防と宇宙開発競争におけるソ連の優位を打ち破るべく大学教育と研究に政府が資金を投入した以後論文発表を推進するために広まった経緯があるようだ。その結果論文量産主義がはびこり、結局誰も読まないような論文が量産され、パブリッシュ・アンド・ペリッシュとなり真に得たい情報すら得にくい状況になることが危惧されるようになったという。
そこから著者は、最近の自然科学界を騒がせた論文捏造の背景に迫っていく。そこには研究資金に見合う成果を比較的短期に発表していかねばならない背景と研究室という非常に狭い世界(ほんとうに狭い)での教授と研究員という圧倒的に力関係の差がある人間関係、責任感系が曖昧な共著者という問題を指摘していく。この中で匿名で描かれている教授と論文の恣意的変更を求められた大学院生の話などは、(一方的な情報源から記述ではありながら)さもありなんという話である。
特に著者は、そうした捏造などが発覚した際に当該学術誌が論文の取り下げを行う普遍的ルールの確立が必要であることを強調している。確かにこれは重要なことで、多くの場合論文取り下げの広報があまり目立たない形で掲載されることが多く、その理由や経緯を明記すべきだろう。それは「簡単に編集者への手紙欄などで扱われるべきではない」し、「原則的には、撤回通知の著者は、撤回論文と同じ筆頭著者であるべきである」。こうしたことは周知されないと、撤回された後でもそれがわからずに引用されるということが起こるからである。これは食品でいえば、消費期限切れと分かった食品がその後も店頭に残って買われるような状態であり、より性質が悪いといえる。
著者はさらにインパクト・インデックスという学術誌の評価のための尺度が研究者の成果の評価に使われる誤用を批判(この部分は私も教えられること大だった)し、より適切な評価を確立する必要性を説くとともに、ピアレビュー制度の改正についても述べレフェリー側からの改革も必要であることを説いている。
論文査読から公表という過程が成立して時が経ち、さまざまな利権や資金が絡むようになったサイエンスにはそれに相応しいシステムが必要だということだろう。捏造や盗用を防ぐシステムとしてオンラインでのメール受理システムも一法であると書かれているのもインターネットがこれだけ発達した現在興味深い方法かもしれない。科学者も人の子であり、名声や資金のために捏造や盗用する誘惑があることは認め、その誘惑を損だとあきらめさせるようなシステムを確立することが、単純に研究者個人の倫理を説くより有効だろう。
科学界の問題に限らず、いろいろなシステム(特に経済的利益や社会的権限が成功すればするほど大きくなるようなシステム)を導入する場合には常に悪用されることを前提とした上で、悪用されても発覚すればそちらの方が逆にコストのかかるのだということをシステムの受益者に周知徹底させるようにシステムを設計していく思想が必要だということだ。