『欲望について』(ウィリアム・B・アーヴァイン著、竹内和世訳、白揚社刊)を読む。
著者は本書の末尾にある紹介ではオハイオ州デイトンにあるライト州立大学哲学科教授とあり、大学での欲望についてのセミナーがもとになり本書ができている。通読してみると心理学や進化学、宗教など周辺分野に広く目配りしながら人間の欲望について考察したものである。わかりやすく書かれてある反面、特定の領域に深く入り込むようなものはないので、その分野について特につっこんだ考察を求める人にはやや物足りない印象が残るだろう。欲望というとフロイトやラカンは避けて通れないところだが、このあたりの精神分析的な考察はあまりないのが残念だ。
それに対して欲望の生物学的基盤があることは是認しており、人間のつくる社会によって欲望が構成されたものだとはしていない。すなわち生存のために適した欲望-報酬機構が生得的に備わっており、進化的にみてそれがうまく作動したおかげで人間は今まで生存できていることを認めている。本書ではBIS(生物学的インセンティブ・システム)と名付けられている。このこと自体はただしいと思うが、この欲望のシステムは「人類が種として栄えることを可能にしたが、多くの場合、それは私たちを個人として幸福にはしなかった」と述べられており、淘汰が個体レベルで起きる現象であることの誤解があるようだ。あくまでもBIS(というものがあるとすれば)は個体の生存と子孫の繁殖に適したシステムであるはずだ。これによって個人が必ずしも幸福になっていないというのは、人間がBISによって得られる生存環境から大きく逸脱するような環境、そしてときにはBISにより獲得できる環境自体を否定するような環境さえも欲望できるように進化したためだからだろう。そして人間の欲望は、単に環境中のモノを欲望するだけでなく、欲望を欲望するという高階の欲望システムがあることが人間を悩ませることになったのだと思う。しかしおそらくこのことは、他者が何を考えているかを素早く察知し判断する神経回路が社会的生物としての人間の生存上不可欠だったからだろう。社会によって構成される欲望はまさにこの欲望の欲望システムであり、私たち人間にとって問題なのはこの欲望である。この二種類の欲望をもう少しきちんと区別して論じるべきではないだろうかという疑問が残る。
これは後半の欲望をいかに制御するかという問題、すなわちどう適度なところで満足すればいいのかを考える場合にも必要になる。古来さまざまな宗教は我欲を捨てることを説いているが、人間であるが故の欲望が、人間社会で生活するためのシステムである以上、それを捨てるためには当然世捨て人になるしかないだろう。この正解はないのであるが、BISとして備わっているからしかたがないというのが一つの達観というならば、それはちょっと早急な諦念だというべきだろう。