Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

選別の時 (最後のご挨拶?)

2012-08-09 21:43:30 | 日々のつぶやき

 オリンピックの女子マラソンも終わった。

8年前、半べそをかきながら北海道1周の予定を立てた事を思い出す。高橋尚子が走ったのもプランを練っていたので見てはいないが、周囲の家の灯りが付き、歓声が聞こえたのと、ほぼその晩見通しが付いたのでそれまでのように苦しくは無かった。

また、今年も隣家は毎晩灯りが点きっ放しである。

前回書いた旅の話は妹に背を押される形で驚くほど速く進んだ。

ノワタリさんと話を決めた翌日 妹に連絡をすると快諾し、姪も参加する事となった。

しかし、今回1泊2日では周りかねる。大本の御本部2箇所と鞍馬山、伏見稲荷の稲荷山と当日出たのでは無理である。

「朝1番のでも京都に出るとなったらお昼近くになってしまうわよね。前日に京都に宿を取り、朝一から動けばどうにかなるかな。」と妹と話した。

火曜の朝にはもう妹はのパックを取り、連絡してきた。決断と行動の素早さにこちらが驚き、彼女と同じホテルの予約を入れることとなった。

「これが最後、最後と言いながら、このところよくあるわね。」と、妹

「当分行けれそうに無いから、最後のご挨拶に行くと言うことらしいわよ。それで、将門さんの国王神社にも行かれるそうよ。」と、伝えた。

今回姪は退社と同時に空港へ行き、最終で出ると言う。私は仕事が終了しても空港は遠く、もう早割りのチケットは無いのでJRで行く事になる。

しばらく旅は少なかったが、この最近活発な事も気になる。言われるようにもう動けなくなるので最後のご挨拶と言う言葉も。

そして友人の話をしていて「後、少し。」と言う言葉をノワタリさんが受け取った。どういう意味合いであろうか?問い返したが、それ以上は分からなかった。

政治は機能せず、世の中不穏で落ち着かない事ばかり…、こうやってノワタリさんの旅のお供をして歩く事で私の背負っていたものはだんだん軽くなったが、反比例するように世の中は重苦しくなっていっている。一体、どういうお役目があるのだろうかと思う。

その後でまた ノワタリさんに宿の手配を済ませたことを伝えると、

「行ければ、いいんだけど。」

「そうなったら、そうなった時ですよ。あの東北の地震の日もそうでしたから。」

「何時もお世話掛けてすみませんね。」

「いいえ、このお手伝いをしなかったら、どうなってたかしら?有り難い事に先祖事も落ち着きましたし、以前の自分では重い気持ちのままでは無事に過ごせたかどうだか。」

「命と引き換えですよね。あちらの世界も魂が消滅するか、どうかの選別になってますからね。どうも8月は重いですけど、何か身近に起きないと人って分かりません。普段、それを言うと、変な目で見られ、避けられちゃいます。」その後、従姉妹の家の話になった。

昨年 お清めをしたものの、まだ先祖事が中途半端になって浮いていた。そして敷地内に無縁さんか、若しくは古い先祖かもしれないが墓が幾つかある。

中島知子の騒ぎがあり、初めは快く動いていてくれたのがそれと同じように見られ、こちらの思いがうまく伝わらず、全部納める事が出来ないでいた。

しかし、その頃起きていた問題は自然に解消し、叔母夫婦も仲良くなり落ち着いてきたので、また向こうの受け取り方も違うであろうと思う。

「あした、連絡を取って話を進めないと、何が起きるか分かりませんから。」

と、ノワタリさんは言われた。何かしら慌ただしい。

以前から、オリンピック後に何か起きるのではと、よく言っていたのを思い出した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日あった事

2012-08-06 22:50:08 | 霊現象

弟橘媛様の事を書いていたら、無性に悲しくなった。

書き終えてあの鮮やかな瑠璃色の海の写真を見ているとポロポロと涙が自然に出てきた。それを妹やノワタリさんに伝える度、また涙が出てしまった。肩の掴まれた強い痛みは消えたものの、まだ 左の肩甲骨に芯が残っていたのが消えていた。

書き終えた夜、夢の中で友人のパンダに会い、地震や津波の事を懸命に話し、気をつけるように言っていた。どうも、彼とは弟橘媛様が生きておられた時代近くにいたみたいだった。

「でも、恋愛とかじゃなくっても本当にいい人達だった。出会えて良かったと思う。」と 言うと、

「そうですね。出会えて良かったですね。もし、彼を選択していたら、一人じゃなかったでしょうね。でも、この道に進めなかったわね。たぶんあなたはとても媛様のいの一番の側近か、媛様だったかもかも…、(それは畏れ多い)泣く事で浄化されたんですよ。でも、瀬戸内海って鮮やかで綺麗ですよね。」と、ノワタリさんは優しく言われた。

そう言えば、体は軽く楽になっていた。

軽かったのは土曜日限りで、日曜の朝になると、左半身が重く痛い!

自分でも清め、遠隔でエネルギーを流していただいたが、別に寒気は感じられないの事、体の変化が起きているらしかった。

全く昨日の日曜は思い返してもそれまで味わった事の無い不思議な1日だった。

エネルギーを流していただいた事もあり、大分楽になっていたが、午後になると、今度は右半身がとても重く痛い、半端な重さではない。立っているのがやっとであり、コメカミも偏頭痛のようにズキズキする。

仕方なく、またノワタリさんに

「今度は、右に移ったみたいなんです。」と連絡して流して頂くと、右足が千切れそうなほどの痛みが数回出て行った。

「変ね~、別に寒気を感じないのよね。」と言われ、勧められるまま近くの温泉へ母を誘い、そこで塩サウナに二度入って頭から全身清めた。

外で食事を済ませ、茶の間のソファーでうたた寝していると、また足から昼間のような鋭い痛みが出て行った。今度は盆の窪辺りが重く、足も痛くてまともに歩けず、ビッコを引いていた。

胸も苦しく、重力を一身に受けているような感じである。温泉に行くまで一歩も外には出ていない。

何で???

昼食時に届いた本を読みたかったが、とても読める状態ではなかったので、早くから就寝した。

うたた寝を入れると7時過ぎから休んでいた事もあり、真夜中近く目が覚めた。今度は仰向けに寝ようとすると盆の窪辺りが重く痛いので届いた本を読むことにしたが、本を読んでいる間は痛みは感じない。また、休もうとすると痛みが来る。おまけに横になっても起きても膝から下が昔患ったリューマチのような痛だらしさである。昨晩はその繰り返しだった。

そんな事で本の内容も面白くグイグイ引かれたのもあり、2時半まで読み、今度こそ寝ようと灯りを消した。すると、グレーのネコが出てきた。そのネコが消えた後、飼っていたネコのぶうちゃんが目の前を歩いて出てきた。

「あんた、何処へ行ってたのよ。久しぶりやね~。」と、声を掛けつつ思い出した。10年余り前に17歳で癌を患い亡くなっていた。

ぶうちゃんは私の左脇に体をべたっとつけて、頭を肩に乗せ上機嫌でゴロゴロと喉を鳴らしていた。亡くなっていても冷たさは無くネコの温かみが体に伝わり、頭の黒い短毛の縞模様が目の前にあった。

やがて居なくなった後、汗ばんだ二の腕や首に見えないが毛が付いている感触と、脇に温かみが残った。

ぶうを特別かわいがった訳でもなく、公園でそのままにしておくと怪我をしてぐったりしているので死んでしまうので妹と仕方なく連れ帰ったネコだった。

その晩、妹は体を綺麗に洗った後、膿んでいる幾つかの引っかき傷口に動物用のテラマイシンを塗った。飼った中で一番手が掛かり、よほどひどい目にあったのか人間不信らしく半年ほどは懐かず、お尻がダメで、母を怒らせ、一度は捨てられた。それでも縁があったのだろう1週間後舞い戻った。

その後も眠れず、大方1冊読み上げた。

それは1年余り前出版された「日月神事の緊急未来予測」と言う本で、中矢伸一、高島康司、大石憲旺の対談集だったが、結構中矢さんのこの手の本は読んでいるし、高島さんのブログは読んでいる事もあり、これまで読もうという気は起こらなかった。

が、しかし読んでいる内にそれが間違いである事に気づかされた。

ノワタリさんが、心配されていた事もあり、朝になって連絡を取り、昨晩の事を話した。

ネコはお盆月であることもあり、特に好物だった餌を沢山供え、鈴を鳴らし名前を呼んでやることと、また海のお清めを言われた。そして、

「若しかして、そのネコは白に黒い模様ではありませんか?出ていますけど。」と言われる。

「ええ、そうです。 メスなのにとても大きくて5キロ以上あったんです。おまけに片方はアフリカ大陸、もう片方はインドからアラビヤ半島まで続く模様があったんです。」と笑いながら言った。

「でも、本当じゃないですね。胸が重い!」

「グーと押される感じです。そう言えば本が気になるんですけど、昨日の昼過ぎに届いてから、調子がおかしくなったみたい。また、『日月神事』関係なんですけど。興味深い事が書いてあったので今日頼まれた飛行機のチケットと一緒にお送りしようかと思っていたんです。」と、本の中でひっかった事を話し始めた。そうするうちに私の体の痛みと重さは少しづつ消えていった。

以前、大本の亀岡、綾部の本部へお参りする話が出ていたが、天橋立にはもう行けないと言われ、それから宙に浮いていた。

「鞍馬山のサナート.クマラ」「伏見稲荷…」と話しだすと、寒気が走った。ノワタリさんも

「ざーっと、寒気が走りました。」と言われ、「先日、知り合いの家で伏見稲荷の写真を見た時に行かなくちゃと思っていたのに。」と言われる。

「日本中の神社のエネルギーが弱ってますからね。でも、お盆は忙しいから、何時がいいかしら?」

「すぐの方が良いですか?大本も京都だし…」

「そうですね。大本と言ってたのが何かそれだけだとボケちゃって。」

で、結局9月に決まった。そして行く事が出来るメンバーも言われたが、これはそれぞれ都合と言うものがあるので、揃うかどうかは分からない。

どうも私の体を通して呼ばれたらしい。振り返れば、玉置から帰ってから、先週の白鳥神社参拝した日を除いて毎週日曜日、私の体に何か起きて注意事項や呼び出しが起きている。上も仕事に障らぬよう休日を選んでおられるのかしら?と、思ってしまった。

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白鳥神社 東かがわ市

2012-08-04 01:15:19 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

日曜の朝8時前から、電話で「おんなのひとりごと」を手に入れるため、見当をつけたお店に電話していくと、3件目で在庫を持っているお店に当たった。一般の国道沿いであるが、有りがたい事に進行方向にあるので、時間のロスにはならなかった。

お店へ行くと、奥の壁側が全部ガラス戸の冷蔵庫になっていて驚いた事にワインと同じように温度管理してあった。

「良いお酒ですからね~、うちはちゃんと温度管理しているんですよ。」と奥さんは言いながら、冷蔵庫からお酒を出して箱に保冷剤を入れられ、

「助手席に立ててシートベルトをして下さいね。」と言われた。一升瓶とお墓参りに行った時におチョウさんにもあげたいのでハーフボトルと頂いた。今まで日本酒をそのように冷陳で管理するとは知らなかった。

「アルコールは一切入ってないから、二日酔いはしないんですよ。」と以前醸造元の酒六酒造の奥さんが言われた事を思い出した。

お酒に気をとられていたので、神社の電話番号を控える事を忘れていたので香川県に入ってパーキングエリアで電話帳で探したが、西のエリアしかなく高松を過ぎた所でまた、調べやっとナビを設定して走った。

とても暑くもう既に35度に外温はなっていた。

着いたのはもうお昼近かったがおなかは空いていない。まず、目的を果たしてか昼食にする事にした。神社の横に広い駐車場があったが、他に2台しか入っていなかった。

まず、代々の高松藩主奉納したという立派な灯篭が参道の両脇にあり進むと、丸々と太った狛犬さんのお迎えで、門をくぐると 夏越祭りの準備で提灯や輪抜けの準備がしてあった。

境内はとても広く、4万坪近くあると書いてあり、ここも立派な楠木が多かった。

写真を撮ろうとしたら、カメラはバッテリー切れでダメで今回もまた、からである。

白鳥神社はしろとりと読むそうである。名前からしてヤマトタケル命魂が白鳥になって飛んで来たことを連想させるが、ここの町の名前も白鳥町だった。平成の大合併で東かがわ市になったが、白鳥町の名は残っている。しかし、一目で由来の分かるよい名前があちこちで消えていったのが惜しまれる。

御祭神様はその他に皇后の両道入姫命(フタジイリヒメノミコト)弟橘姫命だが、皇后以外の沢山の后の中でなぜ、弟橘姫命だけが祀られているのだろうと思い、ノワタリさんにお尋ねすると、

「力が違う。」と言われた。たぶん巫女的な能力をお持ちだったのだろう。でも、悲しさが付きまとう。

能褒野(三重県亀山市)で戦死し葬られたのち、白鳥となって飛び去った日本武尊の霊が舞い降りた、という伝説が残る。当地に降りた白鳥は間もなく死んだため、日本武尊の子である武鼓王がを建て手厚く葬ったという。白鳥神社はこの時に始まるとされている。(ウィキペディアより)

お社はどっしりとしてどっしりとした趣があり 炎天下の中、お昼時の事もあり、他に参拝者はいない。静寂と言うよりは異次元の世界にぽっかりと入り込んでいるみたいな不思議な感覚がした。

ご挨拶をした後、海に向かって歩いた。

広い松林を通り抜け、海岸に出ると、たぶん昔は、松林はすぐ砂浜に続いていたのではなかろうかと思うが、松林の向こうは県道と人家が数件あり、潮風特有の匂いと重く体にまとわり付く風が吹いてきた。

夏休みの日曜なので子供達や家族連れの海水浴客がいるので砂浜で神事を行う事は出来ない。

人工的に作られた防波堤の外側のテトラポットを汗を噴出しながら足元を気をつけて海面近くまで下りた。瀬戸内の海は穏やかで、ギラギラと照付ける太陽の光を反射してとても青かった。

それでもお神酒はお店の奥さんの心使いのお陰てまだ冷たく、最高の状態で奉納できた。ご所望であったので本当に良かった。美味しく頂かれただろう。これが当日まで手に入らなかった理由かもしれないと思った。何時ものように、粗塩、水を入れ、鈴を転がして鳴らしながら、海に入れ、榊、白い小菊の花を海に入れ、祝詞をあげて祈った。奉納する度、それまで穏やかだった海が波を立てて押し寄せてきた。これがご返事なのかしら。

最後に竜神さまの御真言を唱え、弟橘媛様の所へ運んで頂くよう祈った。

でも、この場所に立てたことがとても嬉しかった。今、思い出しても泣きそうである。

その後、清めた海にタオルを浸して上着を脱いで肩や肩甲骨の辺りを浸した。とても冷たくて気持ち良い。

それを何度か繰り返した。そして何時も身に付けているピンクサファイアのブレスも海に浸し清めた。でも、不思議な事に全く海水のベタベタとニチャ付きは全く無く、さらっとして心地よい。

そして、タオルを三枚先日転んだ母に持ち帰る為、浸してビニール袋に入れた。それで拭いたり湿布したら良いと言われた。

お清めはこの場の海だけでなく、ずっと世界に広がって浄化して行くと以前ノワタリさんに教えられた。先日も、近くの内港でお清めをした時、それまで濁って見えなかった海の中が澄んで下のほうにハゼや他の小魚が群れで泳いでいるのが見えて、浄化の力のすごさを目の当りにした。

すべて終えると、おなかはぺこぺこ、喉はからからになり急いで神社に戻った。日本一低いと言われる御山へ行く余裕も無く、境内に入ると回廊には神話に基づいた絵が幾つか奉納してあり、それを見ながら歩いた。

焼けて熱くなった車に乗り込むとなんともう2時半になっていた。自販機で冷たい水を1本買って一気に飲み干した。

その後 、うどん屋さんを探して近くを走ったが、見つからず、近くの美味しいうどん屋さんをガイドブックで探し、ナビをセットして走ろうとするとすぐに、ナビの台座が暑さのため外れて落ちてきた。

直してからまた走り始めたが、落ちた時コードが外れた為、うどん屋の設定は消えていて、また神社に案内されてもたついた。

「寄り道はダメですよ。まっすぐ行って帰るだけ」と言われたお言葉通りで、諦めて高速のサービスエリアまでお預けとなった。

県境のサービスエリアに着いたのは4時を過ぎていた。大変混雑していて駐車スペースの空きも無く、やっと一つだけ開いていた。そこで遅い昼食件夕食を取り、ゆっくり休んだ。

うどん好きの父にうどんを買ったが、レジも行列で人の波だった。やっぱり夏休みの日曜は何処へ行くのか家族連れが多い。

家に帰ると、8時近くになり私は12時間出ていた事になる。

早速、風呂上りの母の背中や腕を拭いていると、寒がりの母は下穿きを3枚重ねて履いていたため、あせもになりそれに雑菌が入りただれてお尻の割れ目の柔らかいところが赤紫になっていた。そこに湿布のように数分載せてから拭いた。ただそれだけであせもは枯れじくじくしたかゆみは消えた。すご~い、弟橘媛様は!!

それでノワタリさんを通じて教えてくださった。やはりこの時も、海水特有のベタベタ感は全く無く、さっらとして臭いも無かった。気づけば、私の肩の食い込むような痛みも消えていた。

母はお尻のあせもが有ったので整体も温泉も恥ずかしくて行けなかったそうで大変喜んだ。

たった、1回で暑くなるとイラ痒くなっていたお尻からかゆみは消え枯れたが、ノワタリさんの指示通り3日間腰に湿布し、エネルギーを入れた。

昔、銭湯に潮湯というのが有り、あせものある赤ちゃんなどを入れていたがこんなに速効性は無かったように思う。本当にあり難い事である。涼しくなったら、母が行きたいと言う。

その時は場所も分かったのでもっと速く行けるだろう。

その晩は、前日も寝ていないので良く寝れると思いきや、2時過ぎても寝付けず、横になっていると、おなかをかき混ぜられるような感触がした。また、変化して行くのだろうか?

そんな事もあり、寝付けない日とそうでない日が極端で、眠い日は7時くらいからソファで寝てしまい一度おきてまた、寝なおすという日々を送っている。

でも、弟橘媛様とどういうご縁があったのだろうか?とても知りたくなった。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おんなのひとりごと

2012-08-01 01:43:19 | 霊現象

他のブログで弟橘媛様が東京湾に津波が入ってこぬよう守っておられると目にしてから、弟橘媛様の所にお参りしたくなっていた。

「春には みんなで集まるようにするから、また、逢おうね。」と言いながら、世話役の人が体調を崩したりしてなかなか出来なくなっていた。その友人達にも逢って地震や津波に気をつけるよう伝えたいと思った。

しかし、その頃から急に左肩をむんずと掴まれたような痛みが起きた。肩から肩甲骨と左全体が痛い。

この1ヶ月間、憑き物の痛みは無なくなったものの、他の原因で背中がよく痛くなる。これも経験か?

ノワタリさんと弟橘媛様が祀られている香川にある白鳥神社の事などを電話で話していると、

「左が痛いですね。」

「ええ、体操のしすぎでしょう。新しいメニューを増やしたので 何時もよりも20分ほど長くしたから。左手首を折ってから、二の腕の筋力が落ちてしばらく運転すると、手首でなく二の腕が痛かったから、そのせいでしょう。」と言って流していた。

しかし、2日ほど体操を止めても肩は食い込むような痛さで背中は、バリバリである。

痛みが取れないので連絡すると、

「弟橘媛様が、お待ちですよ。」と、言われた。それで掴まれたような肩の痛みは弟橘媛様らしいが、媛様の力はすごい、男性の力よりも強く指が食い込んでいるような痛さである。

ノワタリさんに遠隔をして頂き、少し緩和されたが行かないと取れない。

今回は私にとってとても大切な神事で弟橘媛様との真剣勝負であり、一対一で向き合わねばならない事を伝えられ、誘っていたタカコちゃんに断るようになってしまった。

当然、寄り道など持っての外である。

富津の海に奉納したように、白い小菊の花束、鈴、御幣を付けた大き目の榊、そして何時もの御神酒、水、塩を用意する事となった。

金曜日に花と御神酒以外はすべて揃えたところで、今回は何時も使うお清め用のお酒でなく、もっと高級なものが良いのではと閃いた。

夜遅くその事を連絡すると、

「そうです。『おんなのひとりごと』です。」と言われた。

簡単に手に入るだろうと思っていたが、何時ももらう酒屋さんには在庫が無く取り寄せで、土曜はあちこちイベントに出かけられる為、お休みで連絡がつかなかった。

仕方が無いので、近所の醸造元で違う銘柄のお酒を用意したが、やはり何か違うような…。

そしてその土曜の朝、母が起きてこないので部屋を覗くと、

「夜中にトイレに行こうとして仰向けに転んだんだけど、どんなにころんだのか分からんのよ。腰と両腕と、頭を打ったからアイスノンでずっと冷やしたから起きれると思う。これで3度目やから、もう無いでしょ。」と言って10時頃起きてきたが、朝食も余り取らずに またすぐに横になってしまった。

これでは明日出かける事は出来ない! 

3度目と言ったが、そういえば、一度目は転んでも大した事は無かった。2度目は2日前、熱い紅茶のカップを膝の上にひっくり返し、氷で冷やした後アロエを塗ったので水泡にはならなかったが、暑いので翌日其処は雑菌が入って赤くなりじくじくしてしまった。

どうも気になる。それでまた、ノワタリさんに遠隔をお頼みした。午後から、遠隔をされたみたいで、午後3時頃になって、母は何事もなかったように起きて来たが、翌日何もしなくていい様にご飯を作ったりオリンピックを見たりとか あれこれとしている内に部屋に帰ると11時であった。

お礼とその結果も気になっていたので、にあれこれと積み込んだ後、深夜にまた、連絡を取り、そのお酒が手に入らなかった事を伝えると、

「思いつきで言ったのではなく、弟橘媛様がそのお酒をお望みなのです。」と言われ、

「また、験しですね。お酒もお母さんが転んだのも…、それでも行くか?と言う。」と言われ、全部験しである。私が何処までやれるかという、最近は少なくなっていたが、ノワタリさんに付いて歩き始めは色々と難題が降りかかり、試された。

そして私の肩や背中も本当は清めた後の海水をひたひたと当てればいいのだけど、濡れるのでタオルに濡らして当てるように、そして数枚のタオルに海水を含ませ母に持ち帰って患部を拭いたり、湿布するようにと言われた。そういうビジョンが現れたそうであった。

どうしてもその「おんなのひとりごと」を手に入れなければならない。いや、絶対手に入るはず。

酒六酒造のホームページを開け、取扱店でリンクして行ったが、この銘柄はこの醸造元でもマイナーな銘柄なのか他の銘柄はあっても出ていない。挫けそう…

もう一度今度はこの銘柄で検索すると、1件ヒットしたが、お店の名は出ていない…。ただ、どの町だあるかは分かったので、その町の取扱店と、地元である内子町の取扱店をメモして明朝電話する事にした。

そんな事もあり、気づけば2時だった。何時もの事ながらこういう日はほとん眠れず、朝方2時間ほどうつらうつらしただけだった。

これはハーフボトル

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする