「今時の」と言う言葉が出たら、私が年であるという証拠かもしれない。
前回、葬式北九州に行った事を書いたが、丁度その日は花日大会の日だった。
後で聞くと 関門海峡を挟んで両方から競争のように打ち上げ、たいそう豪華であるらしい。
叔母と二人、駅に着くと「花火行」と言う札が立っていた。構内には浴衣姿の二人連れや女の子のグループが多かった。
それでなくともお盆前の夕方で人は多く、私たちは疲れていたので一便遅らせホームの冷房の効いた待合室で30分余り、次の便まで待つ事にした。
反対の「門司行」の電車は次々と入ってくるが乗車率200%ぐらいで駅員さんが総出で押し込み、気の毒に乗車客は電車の窓にへばりついているように見えた。
それでも、若い男女は湧いてくるようにやって来た。それもほとんど浴衣姿で、見ていて飽きなかった。
しかし、それは浴衣と言っても私には信じられない程の柄と、着こなしで粋と言う言葉とは程遠かった。
まるで洋服感覚で私の感覚ではきついコントラストで帯は結ぶのではなく、もう形に出来上がった物を帯に差し込むと言うものであった。確かに昔からあるが、今風のものは大きくまるで背中に大きな蝶?(毒々しい蛾)がへばり付いているようであり、足元はサンダルか若しくは、中国製の下駄で履きなれていないのがわかる。
その上背中の中心線は上と下で揃って無く、全く浴衣とは別物で奥ゆかしさも清涼感も無く、見ているだけで暑苦しい。
その上、帯の上に白いレース状の帯揚げ?それにしては目立ち過ぎの物を付け、まるで後ろからはエンジェルの羽を付けているようであった。
それが流向と言うのかもしれないが、付いていけれない。感覚のずれか?自分の娘がそんな物を買ったら、後ろから蹴りを入れ絶対許さないだろう。
誰が流向を作るのか知らないが、踊らされる方がバカ、いずれ厭きてくるであろう。
学生の頃、スリムのデニムにロングブーツを履いて帰省したら、母に
「蒲鉾屋の兄ちゃんか?」と言われた。それがその当時の流行で、自分では良いと思っていたのが、流向など知らない母からしたらそんなに見えたのだろう。
おまけに、ヘアスタイルは くるくると巻き毛を流し、まるでお水。こっちは、数十年来の筋金入りのベリーショート、耳に髪の毛がかかるだけで、イライラしてくる性質である。
叔母とずっとそんなのを見ていて、二人で言い合ったのは「それなりにそれなり」であった。一組として、「それは無いでしょう。」と言う組み合わせは無かった。面白い物である。
だいたい、女性の姿が見え、後どんな男の子が来るのかなと思ったら、同じような格好の子だった。
先ほどの恰好の女性には必ずと言っていいほどの同じような姿のラメ入りの綿ではない生地の暑苦しそうな浴衣姿の男の子で腰で着ると言う感覚でなく、昔の郵便ポストが歩いているみたいだった。
古典柄で涼しげに着こなしている娘には普通のすっきりした男の子がいた。
中には「田植えに行くんかい?」と、言いそうな童の着るような短い丈の浴衣姿の女の子がいたが、こんな事を言い出したら、もう年なのかなと思うが、ずっと目の前を通りすぎる人達を見ている間に下りの電車は来た。田舎に暮らしている私には物珍しく、駅は人間観察するには面白い場所だと思った。