Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

昭和の日の事

2011-05-19 23:53:09 | 日々のつぶやき

今年はいつまでも寒い、やっと昼間は暑くなったが朝晩はまだ冷たく体の弱い母は3月からずっと風邪が治らない。

みかんの花の香りもいつもなら連休頃から匂出だすが、10日ぐらい遅かった。昨晩、外へ出るとみかんの花に混じり草の青い匂いがした。

ちょっと遅くなったが先月の29日、プールで一緒だった友人に誘われて歩け歩け大会に参加した。子供達に混じりせっせと歩いた。ゴール近くのゴミ焼却場前に小学生が5,6人今回の震災の為の募金を集めていた。みんな立ち止まり、募金をしていたが千円札を入れる人が多かった。

子供達は喜んで大きな声でお礼を言っていた。私達もそこで千円と財布に有った硬貨を全部入れたが、ゴールで又、女子中学生たちが募金を募っていたが、今度は入れる人が少ない。その付近には屋台や出店が出てお弁当やサンドイッチ、クレープ、焼き鳥、ジュース、うどんなど食べ物を売っているので、何度もその前を通過した。

私達が何度もそのまま通り過ぎるので中学生達は声を荒げて「今回の被災した人の為の募金です~」とわめくように叫んでいた。

どうせなら1箇所でして欲しい。

無農薬のお米のおにぎりと、手延べうどんを食べ、マウンテンバイクのレースを見た。その山道をぐるぐると6週するという。

自転車と言えど近くで見るとスタートは迫力あり、ユニフォームはそれぞれ鮮やかで綺麗だった。

帰りは違う山道を降り遠回りして友達の家まで行った。

そこで友人が万歩計を見るとなんと2万6千歩以上歩いていた。どうりで股関節から足が外れていきそうな感じになっているはずだ。運動不足であることを痛感したが、今でも泳いでいる彼女は平気そうだ。

その後、日本で最古だと言う自転車が市内の旧家の蔵から見つかったと言うことでその他の古い自転車を数点集めて展示されているので其処へ見に行った。

20人くらいの人が来ていたがボランテアの人が、自転車だけでなく持ち主だった人と建物と中庭の蔵の説明された。この町は明治の時大阪へ船を出しとても勢いがあり元気で栄えていたらしい。

その日、妹は阿蘇の幣立神宮と国造神社へ行き、翌日は坊がつるに登った。

後日、「幣立神宮は本やブログに書かれてるらしく今までに比べてとても人が多く、ご神水を頂こうとペットボトルを持ってきた人が沢山いたが、2つともポタポタとしか水が出ず、諦めた。」と言った。その頃こちらも宮崎も雨らしい雨はなく、水不足で困っていたが、先の台風1号でどうにか一息ついた。

でも、幣立神宮の東御手洗社の湧き水がほとんど無いのは単なる雨不足でなく阿蘇の地下水に異常があったのではと思った。考えすぎだろうか?

そして「坊がつるも強風で吹き飛ばされそうで怖かった。」と妹は言った。