Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

2007年11月玉置神社と京都

2011-05-16 22:25:44 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

浄瑠璃寺

翌朝は6時に起床し、もう一度サウナに入ってから出かけた。浄瑠璃寺に向かってで出たが、途中朝食を取ろうとお店を探したがあいていなかった。運転はヒラサワさんだったのでどの辺かは良く分からないが大規模な造成地がありショッピングモールで出来るのだろうか?囲いがしてあった。それ以外にもモデルハウス群のような新興住宅地とまだ民家の疎らな造成地が目に入った。

そして昔からの農村の細い道を上がっていくと浄瑠璃寺に着いたが、結局早く着きすぎてお寺もまだ開いていなかった。しかも周辺にも食事のできる所もなかった。

ノワタリさんのお目当ては吉祥天女像を見ることで、その写真が表紙になっている本を持っておられた。

やっと9時に戸が開き、駐車場で待っていた人たちと入ったが仏像だけでなくお庭も紅葉が綺麗で皆さんで撮影されていた。

西方九体阿弥陀堂は人でいっぱいになり、撮影禁止のはずだが、の音がしていた。

吉祥天女様は鎌倉時代の物だと言うが色鮮やかで福与かなお顔をされていた。コンガラ童子トセイタカ童子を従えたお不動さんも威厳があり、母が信奉している事もあり写真を買った。それぞれ好きな像の前で堪能するまで見て出た。

そこでやっと朝食にありついた。人家の疎らな団地の角に小さなパン屋さんを見つけ、駆け込み一息ついた。

その後、京都市内まで帰り、太秦の広隆寺でまた弥勒菩薩像の前は人だかりが出来ていた。しかし、先程もそうであったが、館内に入ると頭がシ~ンとしてすっきりする。順番にそれぞれの仏像を見てそこでゆっくりその場の空気を楽しんでお庭を歩いた。ここも紅葉が綺麗。

その後、下賀茂神社にご挨拶して、崇道神社へ行った。

崇道神社

小野神社

湧き水

今回神社の入り口付近は工事の人が出入りしていた。前回、ノワタリさんの好きな神社だと言って連れてきてもらった時は寂しく、暗くいかにも早良親王の怨霊を鎮めるために造られた神社と言う雰囲気がったが、今回はそんな事全く感じず、穏やかで落ち着いていた。

そこもお清めしてお参りした。境内にある小野神社と伊多太神社にお参りした。小野神社は小野妹子の子の小野毛人が祀られていて上にその一族の墓があると言う。

その後、今日の最後になる亀岡の大本の天恩郷へ向かった。しかし、私達はそこで気付いた全く渋滞に巻き込まれなかった事を。

この連休、観光客でごった返しているのに不思議な事である。

万祥殿

宣霊社

高速を降りて、亀岡市内へ向かっている途中道が分からなくなり、前回運手したウチダさんに連絡を取った。その後、の中でノワタリさんが「何か一つだけお願いをして良いそうよ。」と言われた。

それまでもノワタリさんの所には度々出口なおさんがニコニコ笑って出て来られていた。

願う事は一つ病気の叔父の事だけである。しかし、叔父の写真は持っていないと思っていたら前回の大分の旅の後立ち寄った時に写した写真が1つだけ動画になったものがに残っていた。静止画はフォーマットして消えてしまっていたが…

無事着き事務所の方に「信徒ではないが、お参りさせてください。」と了解を得て万祥殿に案内された。

ここの万祥殿も工事をされていたが、もう夕方で終い支度をしていた。

ご神前に座り、ご挨拶をした後、叔父の姿の映っているを手に持ち、手術が成功して元気な姿をイメージしてお頼みした。

ヒラサワさんはお願い事が済むと、「新興宗教は嫌いだ。」と言ってさっさと出て行ってしまった。

明智光秀の居城だっただけにとても広く、城跡らしい石垣や茶室やお社があった。ここも紅葉がとても鮮やかである。私達はしばらく散策して駐車場にいるヒラサワさんの所へ行った。

それで今回の旅のお参りは終わりである。翌日はゆっくり観光となる。こんな事は初めてだ。「2日間はがんばれ、後はゆっくりさせてやるぞ。」のお言葉通りだった。

その夜の宿は亀岡市内のビジネスホテルである。丁度隣にあるディスカウントの酒屋に行き、ビールや酒とツマミを買ったが、ノワタリさんは土産にする清酒を買い求めた。

部屋は10畳ほどの広さだったが、普段使われてなかったらしく、布団部屋として使われてたみたいで、畳にその跡があった。おまけにポットと急須は用意されていたが茶葉は無かったので白湯を飲んだ。翌朝、朝食時見回すと、私達のように市内に宿が取れず泊まった若い子達のグループを見かけたが工事に来ている人の宿なっているらしく作業着の人が多かった。翌日はヒラサワさんと三嶋亭で合流するまで別行動で京都の紅葉を楽しんだ。その事は京都の休日http://blog.goo.ne.jp/husigi1019/e/385dc034d008a9f089f2ccc45a03a0f8に書いている。

その後、ヒラサワさんは亀岡のホテルの部屋で撮った写真に電源の入っていないに何か文字が写っていたと言う。それは先祖からの物だったと聞いた。

その半月後の12月に叔父は今度は大学病院で手術をしたが、母と隣町に住む叔母は喪服を持参して行ったが、その当日ノワタリさんから「上から、ゴーサインが出たから、手術時に遠隔するからね。」と頂いた。もう安心だ。

背中から、切って気道の縁に付いた腫瘍を取り除く手術だった。終了前に先にノワタリさんから連絡が来て「もう大丈夫よ」と言われた。

その後母から「予定よりもずっと早く手術が終わり成功した。」との連絡が来た。年老いた姉達はさぞかし安堵しただろうと思う。

後で分かった事だったが担当医は叔父が懇意にしていた人の息子さんだったこともあり、とても気をつけていただいた。

叔父は今も元気である。しかし、そういう事があったことを話しても分かっているのかどうか分からない。