狭野神社外拝殿
二の鳥居より
翌朝、妹に迎えに来て貰いまず最初に今年火山灰で被害を被った高原町の狭野神社へお参りしした。
国道横の案内版に従い駐車場に入り参道の途中から境内に入ったが、境内はとても広い。小雨の中清として気持ちよい。杉並木の参道を進むとどっしりと落ち着いたお社があった。神武天皇の幼名にちなんで狭野神社と言われると言う。拝殿でご挨拶すると、中で御祈祷を受けておられる一行がいた。邪魔をしないよう静かにした。
それから宮崎市内を通り越して日向に向かったが道は単調で長い。運手している妹以外は
やっと日向市内に入り大きな「大御神社」の案内板を目にすると、みんなシャキッとして張り切った。
柱状節理
大御神社の拝殿にお参りした後、私達はそれぞれ岩場や砂浜に降りてお清めをした。その間ノワタリさんは祈られ歌われていた。寒いのに最後には海の中に入られていた。とても波は荒く岩場に打ちつけしぶきを上げていたが、良く見ると遠くに頭のような物が見える。サーフィンをしているらしかった。
さざれ石 神座 ニニギノ命がこの上から海を眺められたと言う。
この神社の社後の柱状の岩やさざれ石と変った形状の岩が多かったが、昔この場が浅瀬で川が運んできた石が粘土や砂に混じり大きな石になったのがさざれ石で火砕流と礫岩の上に堆積下のが柱状節理だと調べると書いてあった。
ここもとても良い気が満ちていたと思う。
神社前のお店に入り、昼食を取った。若いご夫婦がされていて、サーファーの人たちが来る店らしく、アメリカの古着が山積みされ売られていた。
その後は西都市の方に入り佐土原の巨田神社へ向かった。
巨田神社は静かな田園の中にあり、社務所も無く、前に集会所のような所が在って氏子さん達が守っておられるような所だった。ご祭神様は天太玉命、魂誉田別命、大帯姫命とだった。
私達はそこでもお清めしてノワタリさんは歌われると、境内が明るくなった。
初めて、金比羅さんでノワタリさんにお会いした時、「あちらこちらの神社のお清めをしています。」と言う言葉を実感した。その時はお清めという言葉を清掃して周られていると言う風にとり、何と奇特な人だと思ったが
そこで今回は終了。宮崎空港に戻り、妹家族と夕飯を取りその後お茶を飲んでいると、信長ファンのハヤシさんに「ゆうべ夜中に髪の長い女の人があなたの体から起きてきたの。信長の側室だったみたいね。でも喉に傷もないし、自害はせず、尼さんにでもなったのね。」と言われた。
信長が大好きなハヤシさんは大喜びだった。
そこでお別れして、私は妹宅で休憩し、真夜中の日豊線でに乗り朝帰宅した。