ワタシが高校野球を初めて好きになったのは、
たしか昭和51年のこと。
たいていのことを忘れる私が、51年という数字を調べずに覚えていたのだから、
やっぱり、中学生の脳は柔らかかったんだな。
それまで、野球に興味があったわけでもなかったと思うの。
父に「巨人とジャイアンツはどっちが強いの?」と聞いたこともあるし、
「南海とホークス」も聞いた記憶がある。
51年の夏に、西東京代表で桜美林高校が初出場して、
その時の主将の片桐君に恋をしたんだな。
顔が好きだったんだと思う。
チームメイトにかける笑顔が。
どうやらその頃からワタシのDNAは面長好きだったらしく(笑)、
うんとハンサムなあご勇みたいな方だったの。
いや、片桐君は誰が見てもすごくハンサムなんですよ
誤解しないでね
片桐君はサードを守っていたんだけど、
身体がすごく柔軟な人で、
ちょっと短いボールでも、足を前後にペターンとついて(開脚)、
内野手からの送球をキャッチしてランナーをアウトにするんだ。
プロの試合を観たことのない子供のワタシにはそれがすごくてさー
HEROよね。
もうね、夢中とはこのことよ。
中1か中2だわ、ワタシ。
その当時(1年ぐらいずれてるかも!?)の高校野球のヒーローといったら、
普通の人はみんな東海大相模の原辰徳だったの。
でも、ワタシは片桐君だったなー
そんな桜美林が、あれよあれよの快進撃で優勝しちゃったんだから。
ワタシにとっても夢のような夏だったの
それ以降、ワタシにとって高校野球はなくてはならない物になったのね。
高校時代、私の学校は都立高にしては野球部がかなり強くて、
高校野球の予選も、太ももがミニスカート焼けするほど毎試合見に行ったなー。
駒沢球場の試合で負けて、ミナコとネットにしがみついて泣いたのも覚えてるわ。
その試合に勝てば次は憧れの神宮球場で試合だったのに・・・ってね。
ワンワン泣いたわ。
青春だよね。
大学時代、親友のK子は桜美林短大に行ったの。
片桐君は桜美林高校の体育教師になったんだけど、
どういうわけ?かわからないけど、短大の授業もやったんだったかな。
K子が「今日ねー、片桐センセの授業あったヨー」とか
逐一教えてくれたんだよね。
(メールのない時代だから、わざわざ
で話していたんだろうね)
やがて、「片桐センセ、結婚したみたいだよー」とも
ある夏は仕事を休んで桜美林高校の西東京予選にも行ったなー。
京王線の「山田」駅にある球場まで一人で行ったことがあるわー、思い出しちゃった。
その時、もうワタシは大人ですよ。
そして片桐君は野球部の監督さん。
ワタシが23才なら、片桐君は28才。
そりゃ、かっこいいわよー。働き盛りだわ。
試合では、桜美林が3塁側に陣取っててね。
ワタシは、野球よりも、本当は3塁側のベンチの中が見たいわけよ、
監督が座っているベンチが。
だから、対戦高校の1塁側応援席に座って、試合そっちのけで3塁ベンチの中を見ていたの。
選手に指示を出す片桐君は相変わらずかっこよくてねー
でも、試合で桜美林がヒットを打つと、つい反射的に拍手をしちゃうのよ。
そりゃ、周りの人はワタシを白い目でにらむよね。
当たり前だわ、ワタシ、マナー違反だもの。
それですごすごと3塁側へ移って、そこからは真剣に試合を応援したんだけど・・・って、そんなことも思い出されます。
あー、片桐君のおヨメさんになりたかったなー(笑)
なんか、今でもあの清潔感と白い歯、くるんとカールされたまつげ、形のよい坊主頭・・・ワタシの男性を見る目の「基本線」はあの中1の夏に形成された気がするのよね。
片桐君、このブログ見ないかしら~(笑)?
いや、見たからってどうもなんないのはわかってるんですケドね
片桐幸宏さま。
野球部の監督さんとしてたくさんご苦労されたのも知っています。
たまーに桜美林の予選の動向は検索していましたので。
勝つというのは本当に大変なことなんですね。
結果が全ての試合の世界では、思うように行かないこともあったでしょうね。
でもきっと、片桐君なら、生徒たちの人間形成にもご尽力されたのではないでしょうか。
夏になると、今でも片桐君のいたあの甲子園を思い出します。
夢のような熱い夏でしたね。
今も、あなたなりのフィールドでご活躍されていらっしゃいますか?
37年?たった今でも、私はずっと片桐君以上の高校球児に出会っていません。
それが、初恋ってことかもしれませんよね。
なんてね
たしか昭和51年のこと。
たいていのことを忘れる私が、51年という数字を調べずに覚えていたのだから、
やっぱり、中学生の脳は柔らかかったんだな。
それまで、野球に興味があったわけでもなかったと思うの。
父に「巨人とジャイアンツはどっちが強いの?」と聞いたこともあるし、
「南海とホークス」も聞いた記憶がある。
51年の夏に、西東京代表で桜美林高校が初出場して、
その時の主将の片桐君に恋をしたんだな。
顔が好きだったんだと思う。
チームメイトにかける笑顔が。
どうやらその頃からワタシのDNAは面長好きだったらしく(笑)、
うんとハンサムなあご勇みたいな方だったの。
いや、片桐君は誰が見てもすごくハンサムなんですよ

誤解しないでね

片桐君はサードを守っていたんだけど、
身体がすごく柔軟な人で、
ちょっと短いボールでも、足を前後にペターンとついて(開脚)、
内野手からの送球をキャッチしてランナーをアウトにするんだ。
プロの試合を観たことのない子供のワタシにはそれがすごくてさー

HEROよね。
もうね、夢中とはこのことよ。
中1か中2だわ、ワタシ。
その当時(1年ぐらいずれてるかも!?)の高校野球のヒーローといったら、
普通の人はみんな東海大相模の原辰徳だったの。
でも、ワタシは片桐君だったなー

そんな桜美林が、あれよあれよの快進撃で優勝しちゃったんだから。
ワタシにとっても夢のような夏だったの

それ以降、ワタシにとって高校野球はなくてはならない物になったのね。
高校時代、私の学校は都立高にしては野球部がかなり強くて、
高校野球の予選も、太ももがミニスカート焼けするほど毎試合見に行ったなー。
駒沢球場の試合で負けて、ミナコとネットにしがみついて泣いたのも覚えてるわ。
その試合に勝てば次は憧れの神宮球場で試合だったのに・・・ってね。
ワンワン泣いたわ。
青春だよね。
大学時代、親友のK子は桜美林短大に行ったの。
片桐君は桜美林高校の体育教師になったんだけど、
どういうわけ?かわからないけど、短大の授業もやったんだったかな。
K子が「今日ねー、片桐センセの授業あったヨー」とか
逐一教えてくれたんだよね。
(メールのない時代だから、わざわざ

やがて、「片桐センセ、結婚したみたいだよー」とも

ある夏は仕事を休んで桜美林高校の西東京予選にも行ったなー。
京王線の「山田」駅にある球場まで一人で行ったことがあるわー、思い出しちゃった。
その時、もうワタシは大人ですよ。
そして片桐君は野球部の監督さん。
ワタシが23才なら、片桐君は28才。
そりゃ、かっこいいわよー。働き盛りだわ。
試合では、桜美林が3塁側に陣取っててね。
ワタシは、野球よりも、本当は3塁側のベンチの中が見たいわけよ、
監督が座っているベンチが。
だから、対戦高校の1塁側応援席に座って、試合そっちのけで3塁ベンチの中を見ていたの。
選手に指示を出す片桐君は相変わらずかっこよくてねー

でも、試合で桜美林がヒットを打つと、つい反射的に拍手をしちゃうのよ。
そりゃ、周りの人はワタシを白い目でにらむよね。
当たり前だわ、ワタシ、マナー違反だもの。
それですごすごと3塁側へ移って、そこからは真剣に試合を応援したんだけど・・・って、そんなことも思い出されます。
あー、片桐君のおヨメさんになりたかったなー(笑)
なんか、今でもあの清潔感と白い歯、くるんとカールされたまつげ、形のよい坊主頭・・・ワタシの男性を見る目の「基本線」はあの中1の夏に形成された気がするのよね。
片桐君、このブログ見ないかしら~(笑)?
いや、見たからってどうもなんないのはわかってるんですケドね


野球部の監督さんとしてたくさんご苦労されたのも知っています。
たまーに桜美林の予選の動向は検索していましたので。
勝つというのは本当に大変なことなんですね。
結果が全ての試合の世界では、思うように行かないこともあったでしょうね。
でもきっと、片桐君なら、生徒たちの人間形成にもご尽力されたのではないでしょうか。
夏になると、今でも片桐君のいたあの甲子園を思い出します。
夢のような熱い夏でしたね。
今も、あなたなりのフィールドでご活躍されていらっしゃいますか?
37年?たった今でも、私はずっと片桐君以上の高校球児に出会っていません。
それが、初恋ってことかもしれませんよね。
なんてね
