いつもココロに太陽を!

~ Me Hana O Ka La I Ka Pu'uwai ~

会社を辞めるということ(2)

2015-07-08 | 仕事
私のチームの2人の社員はその日以来本当に仕事がなく、可哀そうなほど席に座っているだけ。
新人のHさんは手帳を見たり、新聞を読んだり、自分の作ったレポートを見直したりとそんな状況で、上司のYさんは研究と称して図書館へ行きました。

簡単に解雇されない社員はそれで済んでも、アルバイトの私はそうもいかず、それに「私を辞めさせまい!」と動いてくれた何人かによってその日その日の仕事が与えられました。
今日はMさんの調べ物の仕事。
明日はSさんの資料整理の仕事。
仕事に優劣はないと思っている私は「こんな仕事をワタシにやれですって?!」とは思わないけれど、みんなが一生懸命自分の仕事を削ってでも分け与えてくれる「日雇い」の仕事がとても心苦しく、それでも希望を持って会社へ行ったの。
夜は寝られなくとも。

「これをやっている間にうまく事が運べばいいなぁ」
まさに、祈るような気持ちでした。





「4階に産休の子が出たって!これで一件落着だよ!社長も納得してくれた!」
上司のYさんが言ってきた時、私は心底ホッとする反面、この数日間に開いた胸の中の空洞はどうしたものかと、戸惑っていました。

でも、誰かを切るのではなくオメデタという形での契約解除なら、まだ私も心苦しさは生まれないかも…
良かった。
私はこれで4階に移って仕事が続けられる…

そうして6月が終わりました。



0701、再び上司のYさんに呼ばれます。

「二転三転してしまって本当に申し訳ない。4階に妊娠した子がいたでしょう?彼女とMくん(ジェントル上司)が話をしたんだけど、彼女は臨月まで働きたいと言うんだ。今度これを無視するといわゆるマタハラになりかねないらしくて、社長がやっぱりMarchさんに辞めてもらえ。今度は最終通告しなさい、と言うんだ。」

あー…やっぱりか。
最近問題のマタハラね。

まぁ、そりゃそうだ。
私が彼女だって同じ選択をするだろうし、マタハラで訴えられるのは会社だって嫌だろうよ。

でもさ、じゃー私のは何ハラなの?とムカムカしたのも事実。
私のは何のハラスメントでもないの?
ヒマハラじゃないの?
社長はあと半年を待てないのね。
あと半年、私と彼女がWで働くことを待てないんだ。


翌日、私の定休日。
私は労働基準監督署に行く前に、ジェントル上司Mさんに電話をしました。

彼の認識はどうなのか?と。

頑張って抵抗してくれたMさんをもってしても「もうだめだ」と言うなら、私は潔く身を引こう。
彼が「まだあきらめてない」と言うなら私も頑張る。

「実際のところ状況はどうですか?マタハラの話は聞きました。私はやっぱりアウトですか?今の状況でウルトラCは起こりえないでしょう?」

Mさんは、
「俺はまだあきらめたくはないけれど、でも1か月後の解雇日までに好転するから、と100%で確約できないのも事実なんだ。
6階に大きな仕事が入るとかそういうことでもない限り、社長は納得しないと思うよ。
もしこの先、誰かが急に実家の家業を継ぎますと辞めでもしたら俺はMarchさんに残ってほしいけど、その時に君がフザケンナ!とケツまくったとしても俺はそれを尊重するよ。
その選択権は君にあるんだ」


もういいや。
そこまで思ってくれた事実があるのなら、もうこれで良しとしよう。
22年間で得たものは幾人かの社員の信頼。
悲しがってくれる数人のアルバイトの仲間。
ありがたいことではないか。

思い出でご飯は食べられないけど、思い出でお金は生まれないけど、それでも私の心の中のプライドだけは誇り高く持っていよう。



毎日少しばかりの仕事を分けてもらい働くこと。
中には心配するフリして今回の顛末を楽しんで見てる社員がいるのも知ってる。
自分に火の粉が降りかからないと人の気持ちがわからない人たち。
自分だってヒマなくせに。

ヒマになったここ2年は「手伝うことありませんか~?」と他のチームに営業にも行った。
押しの強い上司についているアルバイトの子はヒマになるとその上司が次の仕事をどこからともなく見つけてきてくれていた。
でも私はいつも自分でやったんだ。
本来は研究員がやる外回りの仕事も「私もやりたい!」と頼み込んで行かせてもらった。

私が手がけた仕事を「Marchさん、○ちゃんが仕事ないからその仕事教えてあげて」と横取りされたことも。
なまじキャリアがあるからかくだらない仕事は回ってこず、私に頼むなんて恐れ多いという空気。
「ゆっくりやっていいからね」と言う枕詞がついて仕事を分けてもらうこと。

…ありえないでしょ?

私、心が折れちゃったんだよね。



そうして私は整理解雇を受け入れたの。

受け入れたんならあとは権利を行使するのみ。
明日を最後にもう会社にはいかないぞ!と決めたのが0702のことなのです。


「1から10までMarchさんにおんぶにだっこだったよね。もし辞めた後もいつもの仕事が入ったら応援に戻ってきてほしい。ムシのいい話なのはわかるけど」
上司のYさんにそう言っていただいたけれど、私は知っている。

仮にその時そのPJを手伝ったとしても、それが終わったらまた花火のように消えねばならず、次は自分たちでやってみようと新しいバイトさんが入ったりして、その時に私は2度振られるんだってこと。
世の中に私じゃなきゃできない仕事なんてものはなく、その時にもう一度「不要」を突きつけられるのはまっぴらごめんだわ。

だからこの先声が掛かってももう行かない。
ううん。
私のきっぱりした態度を見て、上司ももう悟っただろう。

「せっかく月末までのお仕事を作っていただいたのに、明日から有休を使ってみようと思います。月末までもう働きたくありません」
私がそう言ったら、ジェントル上司はとても悲しそうな顔をした。

ごめんなさい。
でも、もういやなんだ。
好奇の目にさらされることも。
おこぼれを恵んでもらうことも。



「俺たちミスったなー。こんなことになるとわかっていたらあの時無理にでも4階に引っ張っておくんだった。そのあとにも何度かチャンスはあったと思う。俺が先を見越せていればこんなことにはならなかったのに。本当に申し訳ない…」
エレベーターで2人きりになった時、ジェントル上司は言ってくれました。

「いえ、私がYさんとMさんの両方の仕事をしますなんて欲張ったからいけないんですよ。」



私自身がアルバイトの分際でありながら、大学生のバイトさんを大人数頼んだときにはその適性に応じての配置もしていたし、スケジュールも組んでいた。
私は仕事が好きだったんだよね。
可能な限りのやりがいのある仕事をしていたかったの。






専業主婦5日目の今日。
有給休暇4日目の今日。

まだ心の中には悔しさが充満しています。
こうしている時間にも同じようにヒマな人たちが少ないパイを分け合って働いているんだ。
なんて理不尽…


でも、世の中にはもっと不安でいっぱいの人がいて、これが一家を養うパパだとしたらその心情はこんなもんじゃ済まないだろう。
お友達の友達は息子さんを亡くしたとブログでも読みました。

私より大変な人がもっともっといるんだ。
それを一週間心の中で唱えながら、私なりに頑張ったんです。

だからそれよりは今は少し楽。



幸いなことに、夫はこの状況を少し喜んでいます。

まず、帰宅したら晩ご飯ができているという事実(笑)

今までは一緒に20時に帰宅してダッシュで刑務所風呂に入り、2人で粗末な晩ご飯を作って、21時過ぎから食べるのが普通だったの。
食べ終えたら消化する間もなく夫は寝るわけ、明日に備えて。

それが私を駅でピックアップすることもなくまっすぐ帰り、20時前に食事が始まるのはとてもいい感じだと(笑)


それと、今まで奥さんが遠くまで通勤していたのが心配だったと。

やれ小田急線が人身事故だの、3.11もあったし、一日のうちの4時間を通勤に費やしてまで働きに行き、クタクタになっているのがなくなるのは安心だと。
もしこの先有事があって、その時に私がたまたま新大久保にいたとしたらそれは運命だけど、実際には家にいるかピックアップしやすい近いところで働いていてくれたらそれは安心であるって。


まぁ、私の心の中の空洞は夫には100%はわからなくても仕方ない。
彼は私じゃないからね。

けれど、この状況を「少しほっとした」と言ってくれるんだから、そういう意味ではいいのかもしれません。


まずは晩ご飯。
そしてサボり続けていた家事全般。

結婚以来初めての主婦業を少しはやってみようかな。




会社を辞めるということ。
整理解雇されるということ。

年齢的にも遠くない未来に起こると思っていたけど、それがいつだかはわからなかった。
そしてまさかここで来るとも思っていませんでした。

この先、少しのんびりしたらまた仕事をしたいと思うけど、今度はうまく見つかるのでしょうか?
22年ぶりの仕事探し…正直言うと、考えたらどっぷりブルーになります。

今の会社は30歳でお世話になり、みんな一緒に歳をとったから自分の年齢が肩身を狭くしたことはなかったわ。

けれど一歩外に出たら今度はいやおうなく突きつけられる自分の年齢…
「おばさんじゃん」という現実。

私の持ち前のパワーだけで乗り越えられないことも多いと思う。
イヤだなぁ。
本当にイヤだ。



それでももう現実は決まっているんだし、流されてみるしかないよね。

何人もの友達が「大丈夫?」というメールをくれました。
私にとっての働くことの重要さを理解してくれていたもんね。
家事を軽くは考えていないけど、私自身のやりがいは家庭の外にもどうしても欲しいんだ。

くんちゃんは可愛いブーケをくれました。
「ひとまずはおつかれさま」と。
会社の人でもないのにね(笑)



22年ぶりの黄色い花束。
昔ビールを辞めたときには毎晩持って帰った黄色い花束。

黄色いバラも、トルコキキョウの黄色も可愛いよ。




こうなったら遊ぶわよー。

働いているからと言い訳してなかなか会えなかった友達にも会いに行こう。
今のうちに。
専業主婦のプロの友達には歌舞伎も連れていってもらおうかな?


私、夕飯の支度さえしたらあとは大いばりで出かけちゃいますから(笑)。

友よ。
たまには私と遊んでくださいね(^^)

会社を辞めるということ(1)

2015-07-08 | 仕事
22年勤めた会社を辞めました。

正確には今月末までの在籍。
今は有給休暇中です。


私はシンクタンク会社にアルバイトとして働いていました。
夫の扶養の範囲の収入で、基本週5日、新宿まで通っていました。(年末には出勤調整もしています)

シンクタンク会社の仕事の内容は、クライアントから依頼をされたある事案を調査し、研究し、分析してクライアントに報告をするというもの。
職場には「研究員」と呼ばれる社員と「研究助手」とされる女子社員&アルバイトがいます。

私は2人の社員とチームを組んで、その助手的分野を一手に引き受けていました。


これまでにもこのブログで何度か、仕事のヒマさを書きました。

大きな仕事(依頼)が入れば忙しく、そのプロジェクトが終わるまでは毎日がとても充実します。
けれど、レポートを仕上げてしまうとパタッと暇になり、正直出社するのがイヤになるほどヒマな日もありました。
(そんな時は休んだりもしていました)

いや、こんな風になったのはここ2年ぐらいかな?
かつてはルーティンワークに加え、どんどん仕事の依頼が舞い込み、本当に忙しく、そして楽しかった。

運がいいことに会社の風土として、たとえアルバイトといえども社員に渡す最後のデータまでの一手を、私のやりたい手順で、私の工夫のままにやらせてくれるようなところがあり、言われたままに動くのではなく創意工夫できる良さがあったの。
それは22年かけて私が培ってきた実績のようなものだったかもしれないけれどね。


思い返せば22年の間にたくさんの仕事をしました。
最初はほんの腰掛けのつもりで、ビールを辞めて少しのんびりしてからお世話になった会社。
子供ができたら辞めるんだろうと漠然と思っていたけれど、人生とは計画通りに事が進まぬもので、気がついたらの22年でした。

働くということは時に大変でもあり、でも自分を表現するための重要なファクターだったの。
働かない自分は考えられない。
それは金銭面においても、17歳から誰にもお小遣いをもらわずに暮らしてきた自分には、自分の収入があるということは(金額の多少は関係なく)基本中の基本だったと思います。



「ヒマだなぁ」
「今日は会社で何をしようかなー」

今までそんな状況が情けなく、意地もあるから友達には口にしなかったけど、そんな風に思いながら小田急線に揺られた日もありました。
家でできる軽作業をわざわざ会社に持参して、こっそり時間をつぶしたことも。
いっそミシンを持参して縫い物がしたい、編み棒を持参して編み物がしたい…それは無理なんだけどね(笑)

仕事がないというのは、私に限られたことではなく、ここ数年会社全体がそうでした。

私の会社には営業部門がなく、自分で仕事をとってくるという社員がいないの。
それはすべて社長一人の仕事。
社長の持つ太いパイプで、ある一社(不動産会社最大手)からの仕事を専属でこなす会社だったのね。

ところが先方も代替わりが進み、社長の太い神通力が効かなくなってきた。
「○○社長(うちの社長)、ピントがずれてるよなぁー」
なんていう若手社員が先方に出てくるようになったの。

加えて、「この分析なら我が社は●●万円でやります!」というライバル会社の出現もあり、私が途中まで準備した仕事が突然他社に寝返ったなんてことも出てきました。

世の中は不景気なんだから当たり前だよね。
同じ仕事を安くやってくれる会社があればいくらパイプがあろうとなかろうと、水は低い方へ流れるのです。

去年の暮れには、会社の3つの柱のひとつであった大きな契約(部門)がなくなり、年間数億という収入が途絶えました。
その憂き目を見たのは仲良しだったみっちゃん。

みっちゃんは去年の年末で会社を辞めています。


そして、先月末(0626)。
私の上司Yさんに呼ばれ、「明日からの僕たち3人の仕事が全くないんだ。社長はMarchさんに会社を辞めてもらえ、と言っている」

さっきまでとなりのグループの仕事を手伝い、次の仕事の指示かなぁと気楽に膝を突き合わせた自分が馬鹿のよう。
私が会社を辞める?
辞めてもらえ?

仕事がないのは私のせいじゃない。
社長のせいでしょう?
今まで3人でチームワーク良くやってきたじゃないか。
なぜ私が割を食わないといけないの?

その提案には到底納得できず、私は「はい」という言葉は最後まで言いませんでした。
「お話だけはうかがっておきます」と。

これまで、表面上仕事がヒマでも本当になくなったことはなく、同じフロア内でなんとなく調整しながらみんなで食いつないできたの。
けれど、明日からの社員2人の仕事が本当にないんだって。


帰りの小田急線は心臓がドキドキしてとても苦しかった。
どういうことだろう?
どういうことなの?
私を切るなんて会社は何を考えているの?


私には少し前まで別の上司がいた。
このブログにもたびたび登場したジェントル上司Mさん。
私は彼を尊敬し、彼は私をとても買ってくれていました。

彼が異動をすれば私もついていき、そうしてこれまでやってきていたの。

けれど2年前、Mさんが6階から4階の室長になった際、私は彼の誘いを断ったんだ。
「このまま6階であなたの仕事を補佐します。4階には私の座る席がなく、毎日PCを持ってジプシーになるのはいやです」と。

【その時の記事】

そうして見た目は6階の社員2人とチームを組んで、新しい環境が始まりました。


今回、私を切ると社長が決めた時、Mさんが
「彼女を切ってはダメです!彼女のスキル(と言ってもあの会社における だよ)を簡単には手放しちゃだめです」
と社長に抵抗してくれました。
スキルや経験などは関係なく、何としてもアルバイトの削減1をしないと気が済まない社長は
「だったら彼女を4階に移して4階のアルバイトを1人切れ!」と。

Mさんは「俺が今頑張ってるからまだ短気を起こすな。どうにかするから」と言ってくれ、回りの社員も「彼に任せておけば大丈夫だよ」と言ってくれました。
その心境は私のチームの2人も同じで、上司のYさんも私が辞めることには強く反対だけれども、自分に仕事がないことには社長に強く言うことができず、新人のHさんも
「Marchさんがいないといざ仕事が来た時に困ります!」と言ってくれていたの。

私の気持ちも上がったり下がったり、安心していていいのか不安なままなのか…
実に苦しいものでした。

また、同じフロアで働いていた女子社員Sさんは、私を4階に移して4階の人を1人切れ!などという人事上の裏話が私の耳に入ったことをひどく立腹してくれて、
「そんなことはMarchさんが知らなくていいことじゃない?たまたま4階に欠員が出たから運良く移れた~♪でいいものをそんなことをあなたに言うなんて!」
とYさんの対応を怒っていました。

確かにそうなの。

誰かを切って私が残る…
知らなければそれだけのことでも、知ってしまった以上『誰かの不幸の上に私の幸せが成り立っている』なんてことは私には耐え難いことなんだよ。


うちの会社には、40代のアルバイトの男の子がたくさんいて、時々「彼らはこの先結婚ができるのかしら?」と私が心配になるような所得で働いているの。
それでもニートで親のすねをかじっていない分だけ、私は彼らを尊敬しているよ。
でもこれが今の日本の縮図かと、悲しくなるのも事実。
そんな彼らの誰かを切って私が残るなんて…

私はどうしたらいいんだろう?